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Vol.137 看護・育児・介護を通して見える「学ぶ」意味

医療ガバナンス学会 (2016年6月14日 06:00)


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看護師 栗原あゆみ

2016年6月14日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp

私は、看護大学で非常勤助手として看護学生実習を担当しています。
看護師免許を取得してから看護師として病院勤務を25年続けてきましたが、4年前に初めて離職という決断をしました。母親の介護のためでした。それまでに、結婚、出産、育児、父親の介護と、仕事を続けながらなんとかこなしてきましたが、母親の介護は特別でした。仕事をしないで家族と過ごした初めての期間でした。
1年半の介護の後に母は他界しましたが、看護師として患者にこれまでどのように関わってきたのか、そしてこれからはどのように関わっていけばいいのか、とあらためて考えさせられた時間でもありました。
それから程なくして、復職を考えましたが大きな不安がありました。現場をしばらく離れてからの慌ただしいフルタイムの仕事に戻る不安、これは離職経験のある看護師にとって復職への大きなハードルになります。昨年から始めた看護学生の実習指導をしながら、これまでの看護経験から看護に還元出来ることは何か、考えてきました。私自身が勉強して、看護を、そして自分自身を見つめ直したいと感じ、学生指導をしながら、通信制大学院で看護教育を学ぶことに決めました。これまでを振り返りながらあらためて「学ぶ」意味を考え、今後看護師として復職を目指す方に少しでも参考になればうれしいです。

母が看護師であったこと、父親がもともと病気がちであったことは、私が看護師を目指したきっかけになったと思います。私が高校生だった当時は、まだ男性中心にすべてが回っていた時代で、それを強く実感したのが高校3年で進路を決める時期でした。地元茨城県の旧女子師範学校が改編されてできた高校に通っていました。(共学高でしたが、実際は女子しかおりませんでした)ある優等生の同級生が高校卒業後は就職すると聞き、私はとてもショックを受けました。その子から「父親が、女子に教育は必要ない、嫁にいって、子どもを産むのに、学歴は邪魔だと言ったからなの」と知らされました。バブル真っ只中だった当時は、同級生の女子は大学進学をして、普通の会社に就職し、結婚して家庭に入る、というのがほとんどでした。
そんな流れに反発を感じ、結婚しても、子どもを産んでも、続けられる仕事に就きたい、男性に比べられ、下に見られるような会社組織に組み込まれたくないと、若いなりに必死に考え、看護師を目指すことを決めました。父親が病気がちでも、母が看護師であることで経済的に困らずにすんできたことにあらためて感謝すると同時に、自分も経済的には自立をしようと強く意識しました。母は夜勤のためにしばしば家を留守にしていて、周囲からは「いびつな家庭」と言われたことを覚えています。それが嫌だった兄から、私が看護師を目指すことに強く反対を受けました。周りからの「働く女性」への偏見なども聞くにつけ、どこまでできるかやってやろうと気持ちを強く持ちました。

地元を離れ東京都内の看護短大に進んだ私は、卒業まで先輩や友人を頼りになんとかこなすことで精一杯でした。決して熱心な学生だったとはいえず、いくら授業で看護について習っても、実際の看護師のイメージができないままで、楽しさを感じられませんでした。試験のために詰め込みの勉強をするだけで、どういった看護師になったらいいのかはっきりしないまま過ごしてしまったためでしょう。
短大卒業後には付属の大学病院に就職し、集中治療室(ICU)への配属を希望しました。看護学生時代の反省から、苦労することを承知で、厳しい環境にあえて身を置きたいと考えました。しかし、入職後わずか1か月ほどで、ICU勤務のオリエンテーションもまだ残る中、父が肺を患い入院しました。自力呼吸ができず、気管切開が必要でした。人工呼吸器を使いながら治療されましたが、回復は難しく、2か月で亡くなりました。先輩看護師に手取り足取り教えてもらいながら必死に看護師として「独り立ち」を目指している中の父の死でした。外見は、看護師として社会的に自立した女性なのかもしれませんが、父に対して看護師として何もできず、ただ見ているだけで「中身が伴わない」自分に強い後悔が残りました。

父の葬儀が終わり、職場に戻ると、同期の仲間が現場で自立して働いていることに気づきました。短い期間に一回りも二回りも成長している同期に驚き、私は焦りました。自分が自立するためにどうしたらいいか、今自分に何が足りないかも考えることができず、入職後すぐに休んだことへの後ろめたさと周囲の視線もあり、看護師を辞めたいと考えることが多くなりました。

結局、その大学病院では8年間勤務しましたが、もし入職初年度に辞めていたら、私は二度と白衣を着なかったと思います。未亡人になった母に迷惑がかからないように、自立した女性になろうという意思で勤務を続けていましたが、何より心強い支えだったのはある先輩看護師の存在でした。周囲に迷惑ばかりかけていて、配属先の病棟全体の不信感を買っていた私に、「私があなたの盾になる。できるんだから、やってごらん」と励ましの言葉をかけてくれたのです。そこから私は変わりました。これまで自分に足りなかった「自主性」に気づき、積極的に仕事に向き合う決意をしました
やっとの思いで看護師として「独り立ち」してからは、ICUだけでなく広く外科・内科一般の現場でたくさんの経験を積むことができ、充実した日々を過ごしました。職場上司の勧めや母校からの誘いで、母校医学部の科目履修生として、「勤務しながら通学する」ことができ、学位授与機構から看護学の学士号の取得もできました。科目履修生としての勉強は、看護学生時代と大きく違いました。目の前の患者で起きていることを理論的に解説する講義や、社会人としての一般教養科目は、夜勤明けの眠気が吹き飛ぶくらい楽しく感じました。学びはタイミングが大切で、ある程度の現場経験を持っている方が理解しやすいこともあるのだと強く感じ、いつか機会があれば大学院に行ってみたいとも思いました。

結婚を機に、大学病院を離れ、茨城県の小児専門病院に移りました。昔の交通事故の影響で左上肢に障害を持つ夫は、入院や手術の経験も多く、看護師という職業に敬意と理解を示してくれました。育児・家事・仕事のバランスをかろうじて保ってきた「綱渡りの生活」は協力的な夫の存在なしでは無理でした。同僚の看護師には、出産後の育児は自分の親に頼りきりの人もいました。私には育児で手助けをお願いできる親や親せきが近くにはいませんでした。頼れる人がいるのといないのとで、「働く女性」の大変さにこんなにも違いがあるのだと実感しました。私たち夫婦で主体的に育児に取り組むことは、親としても、小児看護をする看護師としても大きな意味をもち、必ず支えになると考えて、育児も仕事もしていました。

しかし、育児と仕事の両立は過酷でした。毎日の現場での慌ただしさに流され、精一杯でした。看護師としてこれまでの経験を活かし学会発表や看護研究をするように同僚からの勧めもありましたが、時間的にも体力的にも私には無理でした。これ以上どうすることができるのだろう、というほど追いつめられていました。そんな中、急な勤務変更で通勤する途中に追突事故を起こし、さらに顔面神経麻痺も患いました。ストレスはピークに達し、体力の限界を感じました。そこへ追い打ちをかけるように、母親が大腸がんであることがわかったのです。

父の最期に看護師として関われなかった後悔を強く持っていた私は、母と一緒に過ごす時間を優先して小児専門病院を退職しました。1年半にわたる闘病生活の末、母は自宅で亡くなりました。本人の意思を尊重して在宅で看取ったあと、私が看護師として考えられたすべてを母にはできたのではないかと思いました。また、患者家族として出会った訪問看護師さんたちとの毎日のやり取りに、私はとても助けられたと実感し、看護の素晴らしさを再認識しました。

母親の介護が終わってから、私自身のキャリアについて考える時間が増えました。小児専門病院を退職する1年前に起きた東日本大震災も大きく影響しました。身近で医療事故や医療訴訟が目立つようになっていたのです。一度現場を離れてしまうと、これまでの遅れを取り戻すにはどんなことを学んでおかないといけないのだろう?という不安と、自分が見ないうちに周りが大きく変わってしまったのではないか?という焦りでいっぱいでした。看護師として現場で起こるどんなことにも対処しなくてはと思うと自信が全くありませんでした。正直なところ、どこでもいいから「とりあえず」復職しようと思ったこともありました。
しかし、自分にできることは何か、そしてこれまでの経験から看護に還元できるものは何かと考えました。看護師としての自分を見つめ直すためには勉強が必要だと感じました。悩んでいる私を見かねた先輩看護師から看護大学の臨地実習助手をしてみないかと勧められました。この非常勤助手として小児看護実習を担当することは、私の「学ぶ」動機づけを強めてくれました。実習を通して学ぶ学生を見て、私の看護学生時代を思い出しながら、私自身ももっと勉強して彼らが学ぶ助けをしたいと強く感じました。

こうして私は看護大学で学生指導をしながら、通信制の星槎大学大学院で看護教育を学ぶことを決めました。入学してから、いろいろな科目の関連資料や文献・書籍の山に囲まれる状況がとても新鮮です。私が求める学びが大学院の2年間で形になるかどうか不安はあります。でもこうやって看護師としての自分のこれまでを振り返ると、経験してきたことや悩んできたことが、自分が知りたい学びたいことにつながっていることがわかりました。具体的には、意識がない、言語コミュニケーションが取れない患者を、社会的スキルの低い学生が「人」として理解していく過程を明らかにし、学生にとって満足できる実習にするための援助を考えられればと思っています。他にも知りたいことは沢山ありますが、私が主体的に学ぶことで家族にも、看護師仲間にも、いい変化が生み出せるのではと期待しています。

【参考文献】
1.グレッグ美鈴、池西悦子編集:看護教育学-看護を学ぶ自分と向き合う 南江堂
2.佐藤紀子: 看護師の臨床の知―看護師生涯発達学の視点から 医学書院
3.川島みどり:看護の力 岩波新書

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