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臨時 vol 305 新型インフルエンザワクチンは、何回打てばいいのか?

医療ガバナンス学会 (2009年10月24日 04:41)


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東京大学医科学研究所
先端医療社会コミュニケーションシステム社会連携研究部門
上 昌広
 新型インフルエンザの流行が急速に拡大する中、今週から予防接種が始まりました。医療現場はワクチン接種の準備に大慌てです。ワクチンの供給が十分でないため、多くの病院では、全て医療従事者が接種を受けることは出来ません。また、厚労省の方針では、事務職員は接種対象外のため、彼らが新型インフルエンザに罹れば、休診せざるをえない病院が出てくることが予想されます。
【新型インフルエンザワクチンに関する意見交換会】
 ここにきて、さらに病院を混乱させる事態が生じました。それは、16日に厚労省で開催された「新型インフルエンザワクチンに関する意見交換会」でのことです。その議論内容は、当日の夕刊、および翌日の朝刊で広く報道されたため、ご覧になった方が多いでしょう。
 産経新聞によれば、「厚生労働省の専門家会議は16日、免疫が上がりにくいとされる「1歳から13歳未満の小児」以外は原則1回接種とすることで合意した。」とあります。
 この結果、「2回接種を想定した場合の2700万人分から大幅に増加し、4000万人分の国産ワクチンが確保されることになる(産経新聞)」となったようで、多くの国民は吉報と感じたでしょう。
【厚生労働省の専門家会議が合意した根拠は?】
果たして厚労省の言い分は、科学的に妥当なのでしょうか?どうして、突然、以前は2回打たねばならないと言われていたワクチンが、1回でよくなったのでしょうか?結論から申し上げますと、厚労省が下した結論は医学的に無理がありました。
この意見交換会で、厚労省はアメリカ、オーストラリア、そして日本で実施された3つの臨床試験の結果を呈示しました。このうち、オーストラリアと日本の臨床研究では、アジュバントを含まない同じタイプのワクチンが用いられていて、研究デザインも似ているため、日本での議論の参考になります。
 日本では、本年9月に20~50歳代の健康な男女200人を対象に臨床研究が行われました。全体を二群にわけ、それぞれに対して、通常量、および倍量の国産ワクチン(北里研究所製)を接種し、3週間後に抗体価を調べました。その結果、1回分のワクチン量を打った96人のうち75人(78%)、倍量を打った98人では86人(88%)に効果が確認されたと言います。
【臨床研究結果を曲解した厚労省】
 この結果をもとに、厚労省と専門委員は、1才から13才未満以外は原則として1回打ちにすることで合意しました。インフルエンザワクチンの予防接種の基本は「二回うち」です。果たして、その判断は妥当だったでしょうか。
 問題点は以下です。
1)今回の研究で評価したのは抗体獲得率。この指標は、必ずしもワクチンの能力を示す指標の一つに過ぎません。抗体獲得が、実際の感染防御に直結するかも議論の余地があります。これまで、医療界がワクチンの2回打ちを標準としてきたのは、総合的に評価した結果であり、抗体獲得率だけで判断するのは危険を伴います。
2)臨床研究で検討したのは、通常量 vs. 倍量投与であり、1回打ち vs. 二回うちを検討したわけではありません。
3)日本、オーストラリアの何れの臨床研究も、研究対象は「健康な成人」。妊婦、中高生、持病を持つ人は対象外で、彼らはワクチンに対する免疫反応が弱い可能性があります。
4)今回の研究における抗体獲得率は、通常量、倍量接種で78%、86%であり、約10%程度の差があります。逆に、接種量を減らすことで、抗体を獲得できない人が5割ほど増加したとも言えます。これを許容するか否かは評価が分かれます。
 今回の試験で分かったことは、健常人に対してはワクチンの1回接種で78%程度の人で抗体価が上昇することだけです。このため、今週から接種が始まる医療従事者、年明けから予定されている健常人には、1回打ちで対応可能かも知れません。
一方、妊婦、中高生、持病をもつ人に対しては、今回の臨床研究は何の情報も提供していません。既に、南半球やアメリカでは妊婦に死者が多いことが問題となっていますし、従来、5才以下に発症するとされてきたインフルエンザ脳症が5才以上の小児にも多発しています。更に、先日、16才の高校生が新型インフルエンザ脳症で亡くなりました。妊婦や中高生を、健常成人と同列に扱うのは無理があり、現時点では「標準的な接種法」である二回接種を推奨すべきです。
【厚労省の論拠】
 では、今回の臨床試験結果を、厚労省医系技官がどのように解釈したのでしょうか?医系技官が厚労省幹部に提出した資料(レク資料)によれば、以下のようになっています。
この文章をみて、私は衝撃を受けました。まともな医学トレーニングを受けた医師が書いたとは思えなかったのです。この説明を受けた、足立信也政務官は激怒したでしょう。彼は筑波大学医学部の助教授まで務めた人物で、医系技官の誰よりも臨床経験が豊富です。彼は、後述するように、19日の深夜に緊急専門家会議を招聘し、政治主導で方針転換をはかりました。
 以下に医系技官の主張をご紹介します。
1)妊婦は健常成人より免疫がつきにくいという根拠はなく、成人同様1回でよい。(筆者注:成人が妊婦と比べて免疫抑制状態であるのは、医学的公知。また、新型インフルエンザでは妊婦の死亡が問題となっています。)
2)高齢者は1回接種とする。(筆者注 今回の研究から高齢者は除外されており、データがありません。)
3)基礎疾患を有する者は1回接種を原則とする。(筆者注 今回の研究から基礎疾患を有する者は除外されており、データがありません。)
4)中学生、高校生は過去のインフルエンザの流行状況から考えると、成人同様にプライミングされていると考えられることから、成人同様1回接種を基本とするが、念のため、臨床試験を行うことを努力目標とする。(筆者注:今回の研究は中高生に関する一切のデータを提示していません。根拠のない推論です。)
5)季節性ワクチンの実績から、国内メーカー4社の品質に大きな差異はないと思われるため、今回の国内1社の臨床試験に基づいて国内メーカー4社の方針を決めても問題ない。(筆者 ワクチンの製法は各社で異なり、「大きな差異はない」と結論することは無理がある。この理屈を通すなら、外資系ワクチンメーカー、また他の薬剤の承認で厳しい臨床試験を求めていることとはダブルスタンダード。)
このように、医系技官の主張に共通するのは、「事実」と「推論」の区別が出来ていないことです。このあたり、医師教育においては、大学院や医局での研究を通じて徹底的に仕込まれます。医系技官の多くは、初期研修を終えて、そのまま行政官となっているため、トレーニングを受けていないことが関係するのかも知れません。
このあたり、自治医科大学の森澤雄司准教授は、以下のように述べています。「海外のワクチンが1回で効果があると言っても、それと国産ワクチンとは全く別物。それぞれ独立に判断しなければならない。前提条件を3重にも4重にも間違えている。以前は確信犯的にやっていると思っていたのだけれど、最近は本当に知らないんじゃないかと思うようになった」
【単なる意見交換会の話し合いを、決定事項として報道するマスコミ】
 今回の厚労省の発表は、「科学の仮面を被ったデタラメ」と言っても過言ではありません。しかも、意見交換会での議論が、恰も厚労省の決定事項であるかのように報道しました。例えば、前述の産経新聞は「輸入品の接種効果も調査中で、こちらも1回で効果が確認されれば、国内生産分と合わせ全国民にワクチンが行きわたる計算となる」とまで、解説しています。この論調は、産経新聞だけでなく、ほぼ全てのマスコミに共通したものでした。勿論、長妻大臣が承諾した訳ではありません。
 これは、どう考えても変です。そもそも、12-14時にかけて開催された会議の内容が、当日の夕刊には大きく報道されるのですから、誰かが事前に入念に準備したことは明らかです(夕刊に記事を載せようと思えば、12時過ぎまでには内容が固まっていなければ間に合いません)。その誰かは、容易に想像がつくでしょう。こうやって既成事実が積み重ねられていきます。
 民主党は、記者クラブの開放を主張していますが、状況はもっと複雑です。記者クラブ以外に、リーク、記者懇など、さまざまはルートが存在し、「立派に」機能しています。
【足立政務官による緊急会議の招集】
 事態が急転したのは19日の深夜です。事態を憂慮した足立信也政務官が、前回とは別の専門家も加えて、公開で議論をやり直したのです。前回の会議を主導した尾身茂 自治医科大学教授、田代眞人 国立感染症研究所インフルエンザウイルス研究センター長に加え、舛添要一前厚生労働大臣のアドバイザーを務めていた森澤雄司・自治医大病院感染制御部部長、森兼啓太・東北大大学院講師、岩田健太郎・神戸大大学院教授の3人が参加しました。
 議論内容は、ロハスメディカルが詳細に報告しています(http://lohasmedical.jp/news/2009/10/20010545.php)。森澤、森兼、岩田氏らが、前回の合意内容について疑問を呈し、尾身教授たちは弁明に終始しました。どちらの言い分に説得力があるかは、明らかでした。
  なぜ、尾身教授や田代部長が、専門家が見ればすぐにわかるような「暴論」に合意してしまったのでしょうか。その真相は不明ですが、ワクチン不足を糾弾されている医系技官が、国産ワクチンの「水増し」を狙い、尾身教授や田代部長は医系技官に同調したと考えるのが妥当でしょう。
彼らは公衆衛生や基礎医学の専門家で、医療現場での経験に乏しいこと、および、尾身教授は元医系技官、田代部長は医系技官が人事権を行使する国立感染研の要職であることは、示唆に富みます。人は誰しも、人事権を持つものや、自分が属する「ムラ」には抗いにくいものです。
 余談ですが、政権交代が常態化している米国では、医療行政の要職の多くが政治任用です。例えば、オバマ大統領はNIH長官にゲノム研究の世界的リーダーであるフランシス・コリンズ博士を任命しました。今回の会議でも、舛添大臣、および足立政務官が登用した森澤、森兼、岩田氏が「正論」を唱えていることと相通じるものがあります。彼らは、「医系技官ムラ」の住人ではないので、「ムラ」の評価より、アカデミズム、および任用してくれた政治家の評価を気にします。そして、アカデミズムでは、「科学的正しさ」が何よりも求められます。どちらも一長一短ですが、現在の日本に限った場合、後者が活躍してくれる方が国民には有益でしょう。
【どうすればいいか?】
 事態の経緯はどうであれ、厚労省の朝令暮改が国民、および医療現場に大混乱をもたらしています。
 責任者の足立政務官は、自ら国民に向かって説明しなければならないでしょう。そして、現時点でのインフルエンザワクチンの標準接種法が二回打ちであることを広報し、全ての国民に二回打ちの機会を保証すべきと考えます。そして、1回で済ますか否かは、医師と接種を希望する国民の判断に委ねるべきです。おそらく、多くの医師は、健常な成人は1回接種で大丈夫だと説明するでしょう。政府の責務は、医師の判断の細部をコントロールすることではなく、ワクチンの確保と遅滞なく医療現場に届けることです。厚労省の奮起が期待されます。
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