4) 先端医療・がん難民
釣田義一郎(東京大学医科学研究所附属病院 講師)、小野俊介(東京大学薬学系研究科 准教授)、片木美穂(卵巣がん体験者の会スマイリー 代表)、児玉有子(東京大学医科学研究所 特任研究員)、松本慎一(ベイラー研究所フォートワースキャンパス ディレクター) 討論司会:鈴木 寛
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大腸癌に対する癌ペプチド療法-よりよい癌治療法をめざして-
釣田義一郎(東京大学医科学研究所附属病院 講師)
近年、腫瘍における数多くの遺伝子発現を網羅的に探索することが可能となり、腫瘍の性質、特徴が遺伝子レベルで解析できるようになった。この手法を用いて、大腸癌組織に高発現し大腸癌細胞の増殖に関与している分子を同定し、この分子由来のペプチドを作成したところ、その分子を特異的に認識・傷害する細胞障害性T細胞を誘導するエピトープペプチドであり、癌ワクチン療法に使用できることが判明した。日本国内のいくつかの施設で、このペプチドを使用した切除不能大腸癌に対する臨床試験が行われている。
また、我々は、直腸癌に対する癌ペプチド療法と術前放射線化学療法の併用療法についての臨床試験(第I相臨床試験)を計画した。直腸癌は同じ病期の結腸癌と比べると予後が不良であり、その主たる要因は、術後の局所再発である。現在局所再発制御の目的で広く行われている術前放射線化学療法には、局所再発の制御(局所再発率の低下)には有効であるが、5年生存率の改善には寄与しない点、術後機能障害によるQOL(quality of life)の低下が生じる点、レジメンをより強力にすると手術療法を安全に行えない可能性が高くなる点といった問題がある。これらの問題を克服するために、全身に対する腫瘍免疫の低下を抑制しながら、かつ局所制御力をさらに強力にし、かつ手術療法を安全に行う新しい治療法としてペプチド療法との併用を考案した。
臨床試験は、より有効な癌治療法の開発に不可欠であり、担癌患者にとってはその遅れは命に関わる。担当医師のみならず、看護師、薬剤師、検査技師をはじめ病院全体が一致協力してその遂行にあたることが必要である。その遂行を妨げるあるいは遅らせる手続きや制度は、可能な限り簡略化、廃止すべきである。
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「日本の行政当局にはできないこと、無理なこと」を行政に告白させよう
小野俊介(東京大学薬学系研究科 准教授)
日本の医薬品行政の儀式・神事的な体質は依然変わらない。医療システムが複雑で予測不可能、判断が不確実性下にある「から」神事なのではない(そんなものは世界共通だ)。行政システムの限界や判断の誤りを認めず、行政官自らがそれを神事に仕立て上げているのである。お上頼みの業界・学会体質がこれに加担する。
例えば医薬品の副作用対策。人員の増員、データマイニング、果てはファーマコゲノミクスとfancyな方法論を動員して、「着々と対応中」と胸を張る。しかし、薬による健康被害をできる限り減らすという目的に照らして、最も大事な要素-想像力と共感-がすっぽり抜け落ちている。「今後の薬害が自分たちの想定の範囲内でお行儀良く発生してくれる」と信じている行政官たちは、これまでの薬害の全てが行政の想定の範囲外で起きたという当然の事実から何一つ学んでいない。恐ろしい話である。
行政が今取り組むべきは「現在の行政ができないこと、対応不可能なことは何か?行政官の能力が欠けているのはどこか?」のリストを作って、国民にしっかりと提示することだ。実はそのリストこそ、次の薬害や「がん難民」をはじめとする医薬品アクセスの問題の源泉であるとともに、国民が必ず知っておかねばならない情報である。「行政ができないこと」は残念ながら山ほどある。「できないこと」を告白せず、儀式・神事を延々と繰り返し(むろん現在も続いている)、患者・国民・医療人を危険に曝して、「あとは運任せ」にしてきた歴史が、これまでの日本の医薬品行政の歴史だ。これは「行政ができないこと」を見て見ぬふりをしてきた我々のお上頼みの歴史でもある。
厚生労働省に「できないこと」を洗いざらい告白させよう。告白は恥ずかしいことではない。国民一人一人が告白をしっかり受けとめて、自分が考えよう。そこではじめて、すべてのプレイヤー(行政を含む)が責任を自覚した世界が現れる。
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薬鎖国日本への提言
片木美穂(卵巣がん体験者の会スマイリー 代表)
日本では年間約8000人が新たに卵巣がんになり、年間約4500人が亡くなっている。その理由のひとつは、日本では「プラチナ製剤」に耐性ができた場合の抗がん剤の選択肢が無いことである。米国にはその際に選択できる治療薬が3つもあるのに日本ではそのいずれもが「適応外」で使えない。世界75カ国で承認され、米国からの遅れは10年…しかも、日本では他の癌患者がその治療薬を使っている。そんな薬が使えない日本は医療先進国なのか!?
本来であれば、治療薬を承認するべきというのは理想ではあるが、治験コストが高く、なかなか承認審査が遅い現状では、回収できないくらい患者が少ない癌に対して企業がなかなか治験に乗り出さないのは仕方が無いことだ。
適応外使用に苦しむ患者のために、いわゆる日本独自の人道支援「日本版コンパッショネートユース」のような制度の整備が急務であると思われる。
また、日本には、希少難病が様々な治療薬の問題に苦しんでいる。
肺高血圧症のフローランは薬価が米国の10倍であり、2002年には減額査定をしないという通達が出されているにも関わらず、減額査定が今現在も行われ医師が正しい量を処方しないという問題で患者が命の危険にさらされている。欧米と同じ方法で治療ができない…これもひとつのドラッグ・ラグである。
またさらに希少な難病のCINCA症候群は、アナキンラを個人輸入したところ大変効果が見られているにも関わらず、欧米でも未承認であり、しかも日本では販売ルートが無いバイオベンチャーの治療薬のため日本で開発のめどが立たない。こういった患者はどこに声をあげていけばいいのか。
これらの患者の訴えは、未承認薬検討会議では「未承認薬検討会議の基準に当てはまらない」として取りこぼし、製薬業界は見て見ぬふりをしてきた。
ドラッグ・ラグは患者からすれば、問題から目をそむけてきた者たちの不作為による殺人である。今こそ当事者の声に耳を傾け解決策を考えてほしい。
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看護職からみたデバイスラグ―がん性疼痛―
児玉有子(東京大学医科学研究所 特任研究員)
ドラッグ・ラグに対する国民の関心は高まり、さまざまな解決策が試行錯誤されています。ところが、同じような状況にあるはずの医療機器については、多くの国民が認識していません。これをデバイスラグと言います。現場からの医療改革推進協議会でも、第一回シンポジウムからこの問題に取り組んでいますが、状況は改善していません。
私たちは、体内埋め込み型医療機器を用いたがん性疼痛に対する治療の日米の実態について調べるにつれ、看護師の立場からもデバイスラグ解決にむけ声をあげることが、よりよい療養環境につながると確信し、看護職からできるデバイスラグ解消に向けたアプローチを始めました。
事実を知ると多くの方が驚くでしょうが、アメリカでは18年前から、がん性疼痛に対して、埋め込み型ポンプを用いた疼痛治療が行われています。一方、体内埋め込み型製品そのものは、我が国でも、2005年に脊髄損傷や脳性麻痺による重症の痙縮に対して承認され、保険診療で利用できますが、がんの疼痛対策への使用は適応外です。我が国では治験の要否を含め、適応拡大にいたる道筋ははっきりしていません。これは、デバイスラグの典型例です。
デバイスラグについては、様々な要因が指摘されています。埋め込み型ポンプに関して言えば、機器メーカーと薬剤の製造・販売メーカーが異なるため、企業間の調整に時間がかかること、マイナーバージョンアップやメンテナンスなどの「軽微な変更」に審査制度が対応できていないこと、また技術開発に対するインセンティブがないことが挙げられます。さらには、医療者とメーカーの関係ついての様々な規制がデバイスラグを助長しています。医療機器の開発では、薬剤と異なり、医師とメーカーに属する技術者が互いの専門知識や技術を共有できなければ、治療はおろか、安全にその機器を動かすことができないのですが、両者間の連携には、両者間の癒着を極度に懸念した結果、さまざまな規制が作られ、現場での両者連携が取りにくい環境にあります。
ところで、がん対策推進基本計画では、10年以内にがん患者およびその家族の苦痛を軽減することと、療養生活の質の向上の目標として掲げられました。あれから3年、果たしてどれだけ進んだのでしょうか。埋め込み型ポンプを用いた疼痛治療では、モルヒネの投与量は経口投与の300分の1で済み、モルヒネにつきものの便秘や吐き気、眠気といった副作用が軽減します。この結果、がん患者は日常生活のレベルを保つことができます。
従来の緩和ケアだけでは消えない痛みの治療に、医療機器の力は欠かせません。デバイスラグの解消に看護職がかかわることが日本における痛みからの開放につながればそれは看護師としてとても幸せなことです。
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膵島移植における糖尿病治療確立への道のり
松本慎一(ベイラー研究所フォートワースキャンパス ディレクター)
糖尿病は、発症すると根治することは不可能で、血糖値をコントロールすることが最善とされてきた。しかし、血糖コントロールは必ずしも容易ではなく、血糖値が安定しない場合、高血糖や低血糖発作、腎症や網膜症そして心筋梗塞など様々な合併症が起こる。
我々は、糖尿病の中でも重症型であるインスリン分泌が完全に枯渇するタイプの糖尿病に対して、2004年日本で初めて膵島移植を行い、その患者がインスリン注射が不要になることを示した。しかしながら、膵島分離が難しく移植可能な膵島が分離できる確率は50%以下であり、インスリン注射が不要になるためには複数回の移植が必要であり、膵島移植はその効果が年々薄れるという問題があり、今も世界的に実験的医療とされている。
当時我々は、日本で膵島移植を標準治療として確立することを目指していたが、世界的に確立されていない医療を日本で先駆けて標準治療にすることが極めて困難であると判断し2007年に移植で有名なテキサス州のベイラー研究所に本拠地を移した。そこでまず、日本で開発した膵島分離方法をアメリカで利用し、その後、移植時における炎症反応において特にインターロイキン1ベータ(IL-1ベータ)が膵島に悪影響を及ぼしていることを突き止め、移植時にIL-1ベータの抗体を利用し始めた。その結果、膵島分離成功率はほぼ100%になり、1回の移植でのインスリン注射からの離脱も可能になった。また、2007年2月に、私がベイラーで実施した1例目の患者さんは今もインスリン注射が不要であり長期的にも効果があることを示すことができた。現在、この治療を標準治療にすべく第3相試験の準備をしている。
米国では、このように臨床的に有効である治療に対しては、国を挙げてのサポートが得られ、標準治療への道筋が示される。日本においても、臨床的に有効な新しい治療を標準治療にするための国のサポートシステムの構築が切に望まれる。
MRIC by 医療ガバナンス学会