6) 医療者教育
和田仁孝(早稲田大学法科大学院 教授)、嘉山孝正(山形大学医学部長)、土屋了介(国立がんセンター 病院長)、津田健司(北海道大学医学部医学科6年)、児玉有子、総合討論:鈴木 寛(司会)、児玉直樹(高崎健康福祉大学 准教授)、半田一登(日本理学療法士協会会長)
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患者対応能力教育:メディエーション・モデル
和田仁孝(早稲田大学法科大学院 教授)
患者中心医療の推進のために、医師には狭義の医療業務に加えて、患者との適切な対話能力が必須となってきている。また、医療事故のひとつの要因として、医療スタッフ間のコミュニケーション不全が影響していることも明らかになっている。いまや医師に取って、的確な対話能力は必須の素養となってきている。
しかし、表層的なコミュニケーション技術の教育に留まっていては、現場ではほとんど意味を持たない。現場で求められているのは、表層的な対話能力でなく、患者の視点やニーズを深い次元で感知するセンス、そこで採るべき対応を方向づける価値態度や姿勢、そして的確な応答的振る舞いに具体化する能力などが備わって初めて、真の対話・対応能力が習得されることになる。そのためには、患者と向き合う姿勢を育成するとともに、患者のニーズを把握するセンス、身に付いた的確な振舞いへの統合能力などを総合的に涵養する新たな教育モデルが必要となる。
この点で、近年、医療現場で、事故後の対応、クレーム時の対応、さらにはICや日常業務でも有益な患者対応モデルとして注目されている医療メディエーションがひとつの有力な教育モデルを提供してくれる。医療メディエーションは、狭義には、第三者的役割をになうメディエーターにより患者=医療者間の対話と情報共有を促進するモデルであるが、実践的には、個々の医療者がメディエーター的姿勢とセンス、ふるまいを体得することで、その視点を患者と1対1で向き合う場面でも生かすことができる、これをセルフ・メディエーションという。さらにその視点は、スタッフ間の調整でも有効であり、真の情報共有を促進することで事故防止にも貢献する。既に、30名程度の受講者を対象にロールプレイ中心で実施する研修教育手法がほぼ確立しており(すでに約3000名の医療者が受講し現場で生かしている)、これを医学教育に組み入れることで、今後の医師の対話・対応能力の向上に貢献できるものと考えられる。
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臨床研修制度の発展的解消には卒前病棟実習の充実が不可欠
津田健司(北海道大学医学部医学科6年)
少なからぬ医学生にとって5年生から始まる病棟実習は特別なものであり、聴診器を持つのも嬉しく、期待にあふれて病棟に向かう。しかし、半年もたつと彼らのうちの幾人から情熱は消えうせ、最低限でこなそうとし始める。なぜなだろうか。原因の一つに、医学生に認められている手技が極めて少ないことが挙げられる。
現在の医学生の主な仕事は、一度医師が済ませている問診と身体診察をもう一度なぞることである。しかし患者さんにもう一度身体診察をする理由を聞かれたら、「練習のため」と素直に答えるか、言い淀む他ない。医学生には患者さんの診療に参加する正当的な理由がないのである。だが「練習のため」と答えると、「ぜひたくさん練習していいお医者さんになってね」と言っていただけることが多く、本当にありがたいことだと感じている。患者さんの善意で成り立つ医学生の病棟実習であるが、問診と身体診察だけでは一年をかけてやるほどの内容ではなく、各診療科の醍醐味を味わえずにデモチベーションの一因になっている。
演者は医学生の立場で臨床研修制度改定の問題点を、反対署名やシンポジウム開催などの形で発信してきた。特に、研修医の都道府県別・病院別の募集定員の上限を設置する、いわゆる「研修医計画配置」は、地域医療の再生に結びつかないこと、憲法上等しく保障された居住・移転及び職業選択の自由を侵害する可能性があること、教育的視点が欠落し医療の質を低下させること、から強く反対している。
臨床研修が実質一年化される今、臨床研修制度自体も見直しの時期に来ている。社会状況などにより常にアップデートが求められる医師教育の内容を法で規定し、国会審議の対象とするのは非現実的であり、世界的にみても異様である。米国においてもローテート研修が行われていたが、カリキュラムを卒前教育に圧縮し現在はストレート研修である。我が国においても、臨床研修制度の発展的解消には卒前病棟実習の質の充実こそ必要である。
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看護基礎教育にもっと教員を
児玉有子(東京大学医科学研究所 特任研究員)
400対12、480対140、これは大学設置基準で定められている大学における看護学科の学生対教員比、医学科の学生対教員比である。卒業要件とされている単位数(時間)はそれぞれ125単位、188単位である。
看護教育の問題は多々あるが、まずは教員数の問題がある。もちろん、それぞれの学校での工夫はあれど、根本的に配置数が少ないことは、この数字から異論はないのではないだろうか。看護学科の教員定員は実習を伴わない法学部や経済学部と同等、工学部や理学部よりも少ない人数である。教育課程の23%を臨地(病棟や地域)実習で占めている看護学科の教育体制はこのままでよいのだろうか。
医学科教員が担当する看護学科の科目などもあるので、単純な割り算はできないが、ある大学の比較では、看護学科教員の一人当たりが担当する講義・時間の平均はその医学科教員の場合の70倍ともいわれ、ちなみに私の看護学科助手(助教)当時のある年にかかわった講義や実習等は時間割の中だけで年間680時間であった。
医学科では、このたびの定員増にともなって教員定員数が増えるときいている。一方、看護学科はどうであろうか。
看護教育の大学化に伴い、看護の専門性も細分化されている。また、看護教育の種々問題の解決にむけた方針として、看護基礎教育年限の4年化を日本看護協会は訴えているが、看護基礎教育が十分にいきわたらないと評価される根本は教育にかかわる人員があまりに少ないことに他ならないと考える。
ちなみに、全国の看護系大学の教員数を公開されている資料からカウントしたところ、平均の教員数は33人、教員対学生比は8.57、設置水準以上の配置であっても、教員一人当たりの背負う単位数は医学科教員より多いのである。患者と学生の安全と安心を守りながら看護師基礎教育を支える看護教員数の増員はNPの導入より先に解決すべき問題ではないだろうか。
MRIC by 医療ガバナンス学会