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Vol.208 医療先進国のはずなのに、他国の公的研究にタダ乗り ~オプジーボの光と影(4)

医療ガバナンス学会 (2016年9月15日 06:00)


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この文章は、『ロハス・メディカル』2016年8月20日発行号に掲載されたものです。

ロハス・メディカル編集発行人 川口恭

2016年9月15日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp

我が国で行われているオプジーボ(ニボルマブ)の臨床試験が少ない理由を探ってみると、私たちが臨床試験について当たり前と思っていたことが世界では非常識で、そのせいで薬を高く買わされているのでないかと思い至りました。

前号(ロハス・メディカルwebで電子書籍を読めます)と全く同じ書き出しで恐縮ながら、「クリニカルトライアルズ・ガブ」でオプジーボ(ニボルマブ)の臨床試験を検索すると、全世界で220件ヒットしました(7月25日現在)。1カ月前より13件、2カ月前より20件増えています。この間、日本では21件から1件も増えておらず、特に欧米との差は開く一方で、このツケは近い将来ドラッグ・ラグとなって日本に返ってくる恐れがある、というところまで書きました。

日本で臨床試験の実施が少ない理由として一般に言われているのは、コストが他国より高くなりがちなことです。

高コストの要因としては、国民皆保険制度で患者が自己負担少なく「最善」の治療を保証されているため、敢えて試験に参加するメリットは薄いこと、がよく挙げられます。米国のように保険格差があると、試験に参加しない限り「最善」の医療を受けられないという患者が大量に存在し、その人たちにとっては試験参加のメリットが大きい一方、我が国の患者にとってのメリットは薄いということを指しています。この背景がある上に、さらに試験を実施する医療機関の規模が他国に比べて小さい(1施設あたりの患者数が少ない)こともあって、試験参加者を集めるのに時間と手間がかかる、だから高コストなのだ、これが業界内で広く受け入れられている説明です。

ただ被験者募集にコストがかかることに関して、オプジーボを巡る様々な混乱が起きてから改めて考えてみると、ただ単に、患者本人が効果を実感できないような医薬品の試験しか行われていなかったから集まりが悪かったのでないのかとか、参加希望者の中から極めて条件の良い患者だけ選抜して試験されてきた既存薬との比較試験に勝つため、新しい薬の方でも被験者を厳しく選抜したから集まりが悪かったのでないのか、といった疑念は湧いてきます。

つまり、患者が価値を感じづらい分野でドングリの背比べの試験を繰り返してきたからコストが高くなってしまっただけで、多くの患者から見て充分な治療が存在しない分野で顕著に効くと期待される薬の試験が行われるのであれば、被験者募集に苦労してコストが膨れ上がってしまうことはなかろう、と考えられるのです。

少なくとも進行がんに関して、高額の自己負担をして自由診療や先進医療に押し寄せている患者の数を見れば、現在の「最善」に患者たちが全く満足せず新たな治療法を求めていることは明白です。よって、日本でオプジーボの試験実施の少ない理由が、試験に患者が集まらないからでないことも明白です。

また、規制当局の考え方次第の面もありますが、よく効く薬ほど被験者数が少なくても有効性の統計的有意差を出せる可能性は高い、つまり試験の規模を小さくでき費用も安く済むはず(安全性の検討は別問題ですが)なので、コストが高いから日本はダメなんだと思考停止する前に、これだけよく効く薬の試験数が少ない背景に、コスト以外の要因が隠れていないのかを探してみる価値はありそうです。
●実施者の偏り

では改めて、なぜ日本での試験件数は、これほどまでに少ないのでしょうか。

他国と何か違う点はないか、とオプジーボの試験220件を個別に眺めていくと、日本では単に件数が少ないだけでなく実施者が偏っていることに気づきます。

日本での臨床試験の主たる実施者は、日本での製造販売者である小野薬品工業が4件、世界での製造販売者であるブリストル・マイヤーズスクイブ(BMS)が16件、自社の薬との併用を試している協和発酵キリンが1件、以上です。つまり製薬企業しかありません。

これを読んで、そんなの当たり前じゃないかと思ったとしたら、日本の常識(世界の非常識)に囚われ過ぎです。医薬品の臨床試験は、製薬企業が自らの利益のため自らの責任と負担で行うもの、と思っていませんか? かく言う私自身も、かつてはその常識を疑いもしませんでした。しかし、世界の状況を見たら、製薬企業しか臨床試験を実施していないことの方が極めて異常だと気づきます。

何しろオプジーボの220件で主たる実施者が製薬企業なのは、BMS73件、小野薬品工業8件、ノバルティス、協和発酵キリン、アッヴィ、ミレニアム(武田薬品工業の米子会社)2件ずつなど、合計しても100件に満たないのです。
残りの120件以上をどこが主体となって実施しているのかと言えば、公的な研究所や医療機関だったり、ベンチャー企業(まだ1品も薬を持っていない企業)だったり、です。
特に公的機関が多く、例えば米国でNCI(国立がん研究所)が23件、MDアンダーソンがんセンターが12件、モフィットがんセンターが6件、メモリアルスローンケタリングがんセンターが6件と続き、豪州でシドニーキンメルがんセンターが8件、欧州でオランダがん研究所が3件、フローニンゲン大医療センター(オランダ)が2件といった按配です。

世界の医薬品市場に日本の占める割合が1割弱あることを考えると、日本でも10件くらいは公的な機関による試験があっても不思議はない計算になりますが、現時点では0です。
●めざす所が違う

日本の常識から見ると、なぜ、ここまで世界では公的機関による臨床試験が多いのだろうかと不思議に思うところです。しかし試験の中身を具体的に眺めていくと、日本の常識に染まることは極めて危険であると分かってきます。

例えばNCIが主たる実施者となっている試験は、表 (http://robust-health.jp/article/images_thumbnail/2016/08/%E3%82%AA%E3%83%97%E3%82%B8%E3%83%BC%E3%83%9C%EF%BC%94%E8%A1%A8-579.php )のようなものです。術後非小細胞肺がんの再発予防というのは対象患者が多そうですが、他は少なそうです。つまり市場規模が小さいものの試験を積極的に手掛けていることになります。

考えるまでもなく、製薬企業の経営陣に課せられた使命は、株主利益の最大化です。経営資源に限りがある以上、相対的にリターンが小さそうな所への投資は、したくてもできません。つまり、企業だけに任せておくと置き去りにされる領域が必ず出てきます。そういう領域に目配りしてNCIは試験をしているのだということになります。

もう少し普遍的な言い方をすると、営利を目的とする企業に、必ずしも営利を見込めない公益目的の試験を自発的に実施させるのは無理がある、だから公的機関が担当する、という役割分担が存在することになります。

役割分担の必要性は、ちょっと考えれば当たり前の話なのに、なぜか日本はすべてを製薬企業にやらせようとして、穴だらけになっています。公益と企業の利益が一致しないならまだしも、公益と企業の利益が真っ向衝突するということもありうるのに、です。
●企業益と公益の衝突

オプジーボを例にすれば、その薬価の高さが特に危険視されている理由は、効いた場合に長くよく効くため、投与患者数がどんどん積み重なって、加速度的に薬剤費が膨れ上がるかもしれないからです。誰も悪くありませんが、効いている人の投与をやめても大丈夫なのか、という試験が行われていないので、本人が拒否しない限りは続けざるを得ません。この辺が、同様に高額とは言え、投与期間の決まっているC型肝炎治療薬のソバルディやハーボニーとは違う点です。

今までの抗がん剤では、やめたらどうなるかを敢えて臨床試験で調べないでも、何年も続けないうちに耐性などで投与できなくなる、つまりやめ時は決めるものではなく自然と決まるものだったので、問題ありませんでした。ですから、承認前のオプジーボで、そのような試験を実施されていないのは当然です。しかしオプジーボの潜在力が明らかになった現時点では、やめ時を決められるような試験の実施が切実に求められています。

この試験を、メーカーであるBMSや小野薬品工業に実施しろ、と要求したら、やるでしょうか? 彼らに、そのような試験を行う義理はありません。売上につながらないだけならまだしも、もしやめても大丈夫という試験結果が出たら売上が減ります。さらに前々回にも紹介したように同じような作用機序の薬が他に4品あって市場を奪い合うことになる近い将来を考えると、承認を取れていないがんへの適応拡大狙いとか、効かない人で効かす併用療法の開発狙いで一歩でも先んじることに経営資源を割くのが当然の判断になります。

ちなみに前々回の記事で、日本に免疫関係の併用療法のタネがいくつもあって、しかし臨床試験の土俵に全く乗れていないということも紹介しましたが、実は免疫関係のタネとの併用だとオプジーボの使用量を減らせたり中断できたりする可能性があります。そういう意味では、そんなものの試験には協力しない方がBMSや小野薬品工業としての賢い経営判断になりますので、このままだと日本勢の活路は開けないかもしれません。

オプジーボの例を離れても、似たような効能効果の薬のどれが最も費用対効果に優れているのかとか、どれを第一選択にするべきなのか、といったようなことの解明を企業だけに任せておくと、この連載で何度も述べているように、試験をやって早く当てた者勝ちにしかなりませんし、どんどん薬の値段が上がっていきます。

公的機関(ただし官とは限りません)が適切に関与することでしか守れない公益というものは確実に存在します。しかし、その担い手が日本には存在しないのです。
●米国の底力の源泉

日本で公益を追求する臨床試験の担い手が存在しない異常さに気づくと、別の意味でも寒気がしてきます。これを米国などの他国から見ると、日本は他国の公費で行われる試験結果にタダ乗りする気しかないし、実際にタダ乗りしてきたと解釈することも可能なわけです。世界3位の経済大国で世界2位の医薬品市場を持つ国として、極めて恥ずかしいことではないでしょうか。公益への貢献を何もしてないのだから、出来上がった薬くらい言い値で買えと言われてしまったらグゥの音も出ない状態で、実際にそう思われているのかもしれません。

ただし、タダ乗りをやめたくても先立つものがない、というのも、また事実です。

米国の公的臨床研究の多くに、NIH(国立衛生研究所)が資金を拠出しています(加えて実施者自身も集金力があります)。そのNIHの2016年度予算は313億ドル(約3兆3千億円)です。その裏付けがあるからこそ、あれだけの公益追求型試験をできるわけです。

対して、日本版NIHとの呼び声で誕生した日本医療研究開発機構(AMED)の予算は、1265億円+重点配分枠175億円です。国の規模や医療費の規模から見て少ないことに驚くと思います。

ですが実は、国が医療にお金を出していない、ということではありません。臨床試験も医療には違いないと考えると、日本の場合は国費の多くが、普及医療の実施に直接充てられているために、研究的医療に回っていないだけです。

要するに完全な一文なしというわけではないのですから、何とか知恵を使いたいところです。例えば、こんなのはいかがでしょう?

年間の国民医療費約40兆円のうち国庫負担は約4分の1の10兆円です。また、医薬品に充てられているのも4分の1の10兆円程度と推計されていますので、国庫から医薬品代として2兆5千億円流れ込んでいる計算になります。このうち1%を迂回させただけで250億円出てきますから、何件か試験を実施することは可能でしょう。もし試験結果を用いて医薬品を上手に使い、同じ効果でコストを1%削減できたら、持続可能ということになります。

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