最新記事一覧

Vol.257 現場からの医療改革推進協議会第十一回シンポジウム 抄録から(7)

医療ガバナンス学会 (2016年11月22日 06:00)


■ 関連タグ

*このシンポジウムの聴講をご希望の場合は事前申し込みが必要です。
(参加申込宛先: genbasympo2016@gmail.com)

2015年11月22日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp

2016年11月27日
【Session 05】震災 13:10~14:20

●震災からの復興に必要なもの
高野己保

福島第一原子力発電所の事故から5年8か月、双葉郡では民間3病院、公立2病院がいまだに再開できず、稼働を続けているのは当院(高野病院)だけです。警戒区域等の解除に伴い住民は少しずつですが帰還し、
さらに廃炉や除染関係者が何千人と暮らしています。それにも関わらず、医療の復興は全くといって進んでいないのが現状です。復興を遅らせている一番の要因として、私が現地で日々感じているのは、「公平性さ」です。
当院は事故後から一度も休止せず医療を提供してきましたが、たった一つだけ残ったことで、支援が受けられない状況です。つまり私たちの病院のみを支援すると、他のところと公平性が保てないというのが行政の考え方なのです。同様に私達が「民間」ということで、公の施設には支援がな
されても民間病院一つに支援することは、公平性の観点からも難しいと言われてしまいます。
しかしながら、この公平性を守ることで一番の不利益を受けているのは私達ではなく、この地で生活をしている人々です。救急車が出動しても、当院の専門外になると、双葉郡外の搬送になり、受け入れてくれる病院を探すまでの時間が、震災前より長くかかっているのが現状です。重症の場合には下手をすると命にかかわります。
そうでなくとも、疾病によっては、その後の後遺症が問題となります。そんな医療環境に、この地で生活している人たちは置かれているのです。
福島第一原子力発電所事故により、突然医療機関は医療の提供を継続できなくなりました。患者さんたちは、自宅からの避難を余儀なくされただけではなく、かかりつけの医療機関を失いました。地域においてかかりつけの医療機関と患者さんは常に一体であったのです。その関係を取り戻すことこそが、地域の医療を復興させることではないかと思います。公も私もなく、力を合わせることこそが今一番必要なのではないでしょうか。
●熊本地震を振り返る
上村克哉

2016年4月14日21時26分(前震)と28時間後の16日1時25分(本震)の二度にわたり震度7の直下型地震が起こった。阪神淡路大震災と異なり火災による被害はなかったが、震源地近くの木造家屋や1981年以前の耐震基準で造られたビルなどは壊滅的で、その後もやや強い地震とされる震度4
以上が1か月中に104回あり、学校の運動場、公園、広場、屋根のない広域駐車場などは夜を明かす車中泊で埋め尽くされていた。
当施設(当時は上村循環器科医院:旧館)は前震では被害が全くなかったが、本震により大規模半壊で施設が使用できなくなった。幸いにして隣接地に5月より移転開業予定であった新館(上村内科クリニック)があり、急遽、医療政策課へ開設の申請を行い(受理)、すぐに医療機器を移設し本震翌日には自院患者の透析を行い、いくつかのめぐり合わせにより奇跡的にも本震2日後からは被災施設から受入れ施設として活動した。
受入れ期間は2か月間におよび、想定していたものよりも長かった。私を含め多数のスタッフも被災者であったが、被災直後は「透析難民を作り出さない」という使命感だけで行動し、“よく言えば充実している” 毎日が過ぎていったが、10日ほど経過すると、がむしゃらから振り返り考えることでき、体力の消耗とともにスタッフ間に軋轢が生じ始めた。この溝を埋めてくれたのが、福島県いわき市の常盤病院と滋賀県草津市の富田クリニックからの人的支援であった。人手不足を補ってもらっただけでなく、精神的にも大きかった。特に常盤病院のスタッフからは東北震災での経験を伝えてもらい団結力に変えてもらった。
これらを乗り越えても実際の生活状況は変わらず。そこで、受入れた施設の復旧を支援することにした。このことが、支援する側、される側の全スタッフにどこまで続くのかという閉塞感から希望へと変わった。
災害を想定して対策を講じても経験して初めて知るものが多く、体験者の支援は大切であると思う。
●復興に携わる作業員の健康問題 ー放射線の影に潜む生活習慣病
澤野豊明

2011年3月の東日本大震災は、福島県に広範囲の放射能汚染をもたらした。放射能の健康影響は現在も検証され続けているが、その一方で風評被害や避難がもたらす影響といった放射能以外の影響も少なくないことがわかってきた。そういった意味で、原発災害の及ぼす影響は未だにわかっていな
いことも多い。
放射能汚染による健康影響を最小限にするため、福島県内では多くの作業員が従事している。県内外から多くの作業員が集まり、その数は4万人程度と考えられている。南相馬市でも1万人が生活し、朝には福島第一原発方面に向かう車で渋滞が起こる。県外から来た作業員はプレハブ宿舎で共同生活を送っている。除染作業員の年間被ばく線量は平均で0.6mSv(2015年)と少ないことがわかっているように、日々被曝線量が測定されている一方で、それ以外の健康状態に関しては全く情報がなかった。 私たちは南相馬市立総合病院に入院した除染作業員の調査を行い、作業員の方では生活習慣病の方が多い可能性があることがわかって来た。入院した113人の患者のうち、63.7%が高血圧、39.8%が脂質異常症、23.8%が糖尿病を持っていた。特筆すべきはそのいずれの生活習慣病も6~8割が未治療、あるいは本人が無自覚だった。加えて、アルコール常用者は73.5%、喫煙者は83.1%といずれも高かった。この結果から生活習慣は乱れていることが疑われるが、
この状況はおそらく除染作業に従事する前からの作業員の健康状態を反映していると私たちは考えている。除染作業には特殊技術を持たない、いわゆる社会経済的状(SES)が低い方が雇用される傾向にあることが関連していると考えられる。低SES層では健康リスクが高いことが知られてる。つまり、もともと生活習慣病のリスクが高い方が復興のために集まっている可能性があるのだ。
私たちは現在、復興作業員に対して健康啓発活動を行なっている。除染作業は徐々に縮小となるだろうが、廃炉作業などは少なくとも40年はかかると言われている。復興を支える作業員の健康を守るため、さらなる支援が必要だ。
●東日本大震災の教訓:健康被害と高齢社会への対策
森田知宏

東日本大震災から5年以上が経過した。
私が相馬に赴任してからは2年半だ。復興は着実に進んでいる。同時に、東日本大震災当時の情報も明らかになってきた。
東日本大震災の教訓は大きく分けて2つある。まず1つめは、原発災害対策だ。福島第一原発事故は、原発災害後の避難の困難さを示した。
私達の調査では、原発事故後3ヶ月間、周辺の病院が閉鎖したことで救急搬送が遅延していたことが示された。さらに、原発発生から1週間程度で、避難地域周辺の、避難指示が出ていない地域でも人口が10%まで低下していた。このように、原発事故後には避難地域、その周辺で大規模な避難が起きることで二次的な健康被害が起きる。震災から5年間の相馬市・南相馬市の死亡率を調査したところ、震災による死亡を除いても、5年間で最も死亡率が高かったのは最初の1ヶ月であった。
この1ヶ月の死亡のなかで、最も多い死因は肺炎であり、口腔ケア不足による肺炎の増加によるものと考えられる。このように、福島第一原発事故の最も大きな健康被害は、原発事故後の大規模な避難・混乱によるものであったと言える。原発再稼働に向けて、各自治体で原発事故後の避難計画策定が進められているが、原発事故後の避難時には想定以上の混乱が発生することを、いま一度思い起こして頂きたい。
2つめの教訓は、高齢社会への対策だ。東日本大震災後に若年層が避難してしまったため、介護が必要な状態になってしまった高齢者を自宅でみることが困難なケースが増えている。その結果、公的な介護サービスに頼る世帯が増加したため、南相馬市では高齢者一人あたりの介護費用が1.3倍に増加した。核家族化が進んだ東京では、公的な介護サービスへの依存割合がより高くなると予想され、在宅介護が主流とはなり得ない。介護予防のためには、相馬市で設置された「井戸端長屋」のような、高齢者同士で共同生活を送る仕組みが有効だ。
●被災地周辺の公立病院の建築コスト増は、将来の負の遺産となる
吉田実貴人
震災後に建替・再オープンした北茨城市民病院、そして建替工事が進行中のいわき市立総合磐城共立病院等の公立病院建設コストは、自治体病院共済会調査の民間病院平均コストや公立病院平均コスト、総務省の新公立病院改革ガイドラインの上限単価をはるかに超えており、異次元のコスト増が予定されています。この背景は、震災後の被災地周辺での建設作業員の除染作業分野への流出や、各種復興需要に関連する建設作業員の特需、さらには建設資材自体の高騰等といわれています。
一方、甘い将来計画の下で異常な高コストの建設費を受容すれば、借金返済と運営費用が増え、それが病院経営の赤字とキャッシュ不足につながります。悪い経営状態が続くと、必要なタイミングで適切な設備投資ができず、さまざまなコストカットせざるをえない等の悪循環を呼び、最終的に医療スタッフのモラルにも悪影響を及ぼします。
「医は仁術」のとおり、魅力がない病院から医療スタッフが立ち去ってしまえば、診療自体が継続できなくなります。財政的には自治体本体が、自治体病院の面倒を見ることとなり、市政運営への重いお荷物になります。
そしてすべての結果は、有無をいわさず、地方自治体の住民が負うことになります。自治体病院の建替えのような極めて重要な投資意思決定は、政局のムードや定性的で感情的な判断に左右されてはなりません。しっかりとした定量的なデータとロジックに基づき、良識的に判断することが必要です。そして、民主主義の根本に立ち返り、異なる立場からの意見をオープンに論じて意思決定していく、そしてその過程に対して最終責任を持つ住民がチェックしていくこと、そういう行政・住民意識を持つことが次世代に対する責任です。
●震災前よりもいい相馬市に
立谷秀清

大震災から5年8か月。復興事業は概ね計画どおり進んでおり、昨年完成した恒久住宅への移住もほぼ完了した。水田農業の復旧はほぼ完了したが、水産業ともども風評被害はまだ続いている。9月には、漁業の本拠地となる荷捌き施設が完成したが、放射線検査施設など事故に対する配慮と工夫を凝らした造りとなっている。
5月、現地の我々が主体となって開催した「こどもと震災復興国際シンポジウム」では、相馬地方がこれまで積み重ねてきた健康対策や放射線対策の科学的知見を人類の財産として世界に発信すことができた。
NPO相馬フォロアーチームによるPTSD対策活動のお蔭で、子供達は全体として落ち着いて学習や各種活動に励んでいる。音楽による生きる力を育む事業としてエル・システマジャパンと連携してきた情操教育は、ドイツでベルリンフィルと共演できるまでに成長した。
新たな住宅団地に作った「骨太公園」での介護予防事業などは、今後の高齢者健康づくりに大きな示唆となる。今後さらに実験的に効果を検証し広く発信してゆきたい。
10月、地震による被災で建て替えを進めてきた3階建て和風造りの市役所新庁舎が完成、業務を開始した。
現在、今後10年の市政運営の指針となる長期総合計画を策定している。市民125人によるまちづくり協議会で喧々諤々の議論をいただいた。大事なのは、自分たちのまちは自分たちで作るという精神であり、市民の英知を結集し相馬市全体で取り組んでゆきたいと思う。
被災直後より「震災前より良くなった相馬市を」という思いで復興に取り組んできたが、亡くなった人達を想うと口に出すことはできなかった。しかし、市民を挙げて復興に邁進してきた成果が目に見えて現れてくるにつけ、将来に希望の持てる復興を成し遂げることこそが供養になると考えている。

お知らせ

 配信をご希望の方はこちらにメールをお願いします。

 MRICでは配信するメールマガジンへの医療に関わる記事の投稿を歓迎しております。
 投稿をご検討の方は「お問い合わせ」よりご連絡をお願いします。

関連タグ

月別アーカイブ

▲ページトップへ