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臨時 vol 341 「新型ワクチンは余っている?:10 ml容器の功罪」

医療ガバナンス学会 (2009年11月16日 12:03)


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東京大学医科学研究所附属病院内科
湯地晃一郎


11月12日、鳥取県の病院で、余った新型インフルエンザワクチン(以下、新型ワクチン)
を職員親族に接種したことが各紙で報じられました。

ワクチン余剰分、親族に接種 ”有効利用”県注意 (2009/11/11 日本海新聞)
余った新型ワクチン職員親族に接種…鳥取・西伯病院 (2009/11/12 読売新聞)
余った新型ワクチン、職員の親族に接種 鳥取の病院(2009/11/12 朝日新聞)

記事の読者は「皆が希望する新型ワクチンを、便宜を図って身内の職員親族に接種
するとはなんとずるい病院だろう」と怒りを覚えたことでしょう。しかしながらこの報
道は、事実をある一面から捉えたにすぎません。

実は全国どの医療施設でも、新型ワクチンは余っているのです。どういうことでしょ
うか。

根因は、季節性ワクチン(以下通常ワクチン)で用いられる1 ml容器の10倍、10 ml
容器で新型ワクチンが供給されたことにあります。この功罪を本稿では論じます。

●必ず余りが出る10 ml容器

ワクチンの1回接種量は、新型も通常も、成人(13歳以上)0.5 ml、6〜12歳が0.3 ml、
1〜5歳が0.2 ml、0歳が0.1 mlです。昨年まで、通常ワクチンは、1 ml容器で供給され
ていましたが、今年の新型ワクチンは、10 mlと1 mlが混在して供給されました。製造上
の制限から、10 ml容器には11.2 mlの薬液が、1 mlには1.15 mlの薬液が充填されてい
ます。

写真1 10 ml容器と1 ml容器、1円玉と比較 実際の写真です

http://expres.umin.jp/influenza/fig1.jpg

接種の際には、11.2 ml, 1.15 ml を0.1-0.5 mlずつ注射器内に分けることになります。

写真2 10 mlから注射器に吸引する様子

http://expres.umin.jp/influenza/fig2.jpg

容器内には、もともと多めに薬液が充填されているため、1 ml容器にせよ、10 ml容器
にせよ、分けると新型ワクチン液が余ってしまうのです。

写真3 余ったワクチン液

http://expres.umin.jp/influenza/fig3.jpg

ただ、昨年までの通常ワクチンは、1 mlという小さい容器であったため、分ける回数
も少なく、少ない人数で使い切ることが可能でした。しかしながら本年度の新型ワクチン
は、生産効率を上げるために10 ml容器が選択されました。成人1名分が0.5 ml、小児で
すと0.1-0.3 mlですから、計算上は20名~100名分のワクチンが1容器に同梱されている
ことになります。

実際は、10 ml容器から20-100名分のワクチンを分けることは不可能です。その理由は、
吸引時に発生する薬液の損失、吸引できない薬液の残存があるためです。製造会社の説明
には「10 ml容器から0.5 mlの薬液を採取する場合、慎重な手技(専門的手技)では、成
人1人分(0.5 ml×2回)では9人分(18回)採取できます(少なくとも8人分(16回)
分は採取できます)。」と書いてあります。

化血研 新型インフルエンザワクチンに関するお知らせ (平成21年10月)

http://www.kaketsuken.or.jp/medical/pdf/PN2009-03.pdf

薬液を分ける回数が多くなれば多くなるほど、損失・残存が生じ、さらに手技の違いに
よって損失・残存量が変動することから、新型ワクチン液は半端な量が余ってしまうこと
になります。さらに、この損失・残存は、0.1 ml-0.3 mlを分けなくてはいけない、小児へ
の接種時にさらに顕著となります。

以上、10 ml容器から新型ワクチンを分注した場合は、全国どの医療施設でも、薬液が余
るという事象が必然的に生じることがおわかりいただけたでしょうか。

1)もともと10 ml容器に11.2 mlの薬液が入っていること
2)何十回にもわたる吸引時に薬液の損失・残存が生じること

が原因なのです。しかも、容器に何ml余るかは、吸引の最後の1名にならないと、わから
ないのです。

そもそも、筆者は、この0.1-0.4 mlをそもそも余りと呼ぶべきなのか疑問です。予定数
の接種者には全員接種しており、あらかじめ余分に充填されている容量分なのですから。

最初に全量吸引しておき、後で分ければいい、と思われるかもしれませんが、分注の操
作で薬液が雑菌に汚染されてしまう可能性があるため、後で分けることはできません。10
ml容器中の薬液は、24時間以内に使い切る必要があるのです。

●24時間以内に20-100名の患者を集め、接種完了しなくてはならない

ワクチンを分ける際には、ワクチン容器のふたのゴムに、注射針を刺して薬液を吸引し
なくてはなりません。

写真4 10 mlに注射器を刺して分注

http://expres.umin.jp/influenza/fig4.jpg

1ml容器の場合には、刺す回数は2-10回ですみますが、10 ml容器の場合、刺す回数は
20-100回と10倍になります。注射針を刺す際に適切な手技がされなければ、ワクチンの薬
液内に細菌が混入し汚染する危険が高まり、刺す回数が多くなれば多くなるほど危険性は
高まります。10 ml容器は、医療安全の観点から、極めて危険な容器であるといわざるをえ
ません。

24時間以内という使用期限についてご説明しましょう。薬液を分ける際に注射針を刺さ
なくてはならない容器では、細菌が増殖したワクチン薬液を接種しないようにするため、
ワクチンは開封後24時間以内に使い切らなくてはならないと定められています。この細菌
汚染を防ぐためにワクチンに添加されているのがチメロサール、エチル水銀です。近年は、
薬液を分けるために注射針を刺さなくてもいい、あらかじめ1人分に取り分けられたプレ
フィルドシリンジ(充填済み注射器)も発売されています。しかし今回の新型ワクチンの
場合、生産効率を上げるために10 ml容器が選択され、チメロサールが添加され、プレフ
ィルドシリンジ剤形は採用されませんでした。

新型ワクチンの10 ml容器から薬液を分けて接種する場合、容器の開封後24時間以内に
20-100名の患者を集め、接種しなくてはなりません。最優先の患者さんの中から優先順位
をつけ、予定を作成し、予定人数ぴったりの患者数を集めなくてはなりません。もし予定
人数に患者数が達さず、薬液が余ってしまった場合は、破棄しなくてはならず、残余分は
医療機関側の自己負担となってしまいます。

このような煩雑な手続きを行わなくてはいけなかったため、新型ワクチン接種を担当し
た全国の医療機関は戦場となりました。小児科は最たるものです。この手続きは、通常の
新型インフルエンザ患者の診療と平行して行われています。さらに、新型ワクチン接種は
患者診療と時間・空間的に分けるべきだと勧告されていることが、診療現場をさらに過酷
なものとしました。

以上、10 ml容器の採用は医療安全の観点からは危険であり、さらにワクチン残液を生じ
やすいため、診療現場が戦場となっていることを紹介しました。

●鳩山首相が(ワクチンは)「破棄されてはならないと思っている」と答弁

10 ml容器で新型ワクチンが供給されたことが、様々な問題を生みだしています。果たし
て、10 ml容器での供給は果たして妥当なものだったのでしょうか。

本件に関し、舛添前厚生労働大臣が11月6日の参議院予算委員会で長妻厚生労働大臣に
質問をしています。そう、長妻大臣が舛添前大臣を「舛添大臣」と呼んだことが報道され
ましたが、それはこの質問内でした。舛添前大臣は、10ml容器に決定した経緯、その安全
性、接種可能人数、残液の破棄について鋭く質問されました。長妻大臣は10 ml容器の決
定した理由は、量を確保するためのギリギリの判断であったと述べておられます。極めて
重要な質疑が行われたのですが、この件はほとんど報道されていません。詳しくは、以下
のブログをご参照ください。

10ミリバイアルはメーカーの事情 長妻厚労相

http://lohasmedical.jp/news/2009/11/06122858.php

この質疑では、鳩山首相も答弁されており、舛添前大臣の「10 mlを使ったら無駄に廃棄
することになるから、その論理が成り立たない」という質問に対し鳩山首相が

「破棄されてはならないと思っている」

とお答えされておられます。首相のお言葉は重いです。

●破棄すべきか、有効利用すべきか

ここで鳥取県の病院の事例に戻ります。鳥取県では医療従事者の接種のため10 mlに入
った新型ワクチンを20名分に分け、余りが0.2 ml、0.3 ml生じたため、破棄するのは勿
体ないとして、有効利用のために、ワクチン開封当日夜に手近な児童に接種したと報じら
れています。病院側は、鳥取県から、余剰ワクチンは医師の判断で有効利用するよう説明
を受けていました。

新型ワクチン接種の優先順位は、以下のようになっています。

1) インフルエンザ患者を診る医療従事者
2) 持病のある人と妊婦
3) 1歳から小学校低学年までの子ども
4) 1歳未満の乳児の保護者と優先対象だがアレルギーなどで接種を受けられない人の保護者

0.2 ml, 0.3 mlの新型ワクチン接種薬液が存在する場合、1)2)の優先順位の成人に接種
することは不可能です。2)の病児に接種できれば良かったのでしょうが、該当児童が病院
職員の子弟に見つからず、職員親族の児童に接種したと報じられていることから、最終的
に接種された児童は3)であろうと推察します。鳥取県町国民健康保険西伯病院小児科は休
診中であり、耳鼻科も週2回のみの外来のみであることから、該当病児を24時間以内に見
つけることはできなかったのでしょう。
職員親族に接種した、というところが問題となりえますが、連絡・呼び出しが迅速に可
能な、職員親族児童への接種となったのでしょう。

鳥取県の県医療課長は「余剰分の有効利用は構わないが、あくまで国が示した優先順位
に従って行うべきだ」とコメントされ、鳥取県は近く「接種の優先順位を守るよう通知す
る」と報じられています。もちろん基礎疾患を有する児童のリストアップ、集団接種計画、
などの対策は必要です。が、現場を通知ばかりで縛り付け、あくまで国の優先順位を遵守
し、遵守できなかった残液は杓子定規に全て破棄、と強制するのはさらに問題です。現場
の医療従事者に、最適な運用を任せるべきです。

こういった事情を鑑みると、鳥取県の病院が残液を破棄せず、0.2 ml、0.3 mlを有効利
用したことは、一概に責められるべきではないのではないかと筆者は考えます。この2名
の小児に前倒しで接種したことで、将来的に接種予定であった、0.5 mlの薬液が節約でき
た計算となるからです。

●1 ml容器とすべきか、10 ml容器とすべきか、それが問題だ

10 ml容器の功罪についてこれまで述べてきましたが、果たして生産効率を上げるという
10 ml容器の利点は、その他の不利益を全て凌駕するものなのでしょうか。
ワクチン接種における、1回分容器と複数回容器を比較した論文が世界保健機関から
2003年に出されています。集団接種を前提とした、途上国のワクチン接種に関して、様々
な観点からの比較が試みられています。

Single-dose versus multi-dose vaccine vials for immunization programmes in developing countries.

http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC2572331/

費用ですが、1回分容器の製造価格は10回分容器製造価格の2.5倍(0.257USドル vs
0.105USドル)と見積もられています。しかしながら、10回分容器は薬液の余りが生じるこ
とが問題であり、廃棄率が44%を超えると、1回分容器の接種費用は10回分容器とかわら
なくなったとする報告があります。さらに、5回分容器から充填済み1回容器へ変更するこ
とで、接種費用を削減できたとする報告もあります。廃棄率を低減することが極めて重要
です。
医療安全の点ですが、複数回容器では病原体汚染による感染が増加するとする多数の報
告があります。このため、充填済み容器が推奨されています。その他、容器を冷蔵保存す
るための体積の比較、医療廃棄物の比較などが行われています。
残念ながら、生産効率を上げ、迅速にワクチンを供給することの効果については比較が
されていませんでした。

我が国で10 ml容器が選択されるにあたり、上記のような議論は殆ど行われていません
でした。唯一自治医科大学の森澤雄司感染免疫学准教授は決定前から、頻回に容器のふた
に注射器を刺すことによる細菌汚染・感染増加について強い懸念を表明されていました。

「新型インフルエンザワクチンに思うこと」- 10 mL-バイアルなんてウソでしょ~! -
(医療ガバナンス学会 2009/10/5)

http://medg.jp/mt/2009/10/mric-vol-276.html

10 ml容器が流通した今、様々な観点から、10 ml容器採用の妥当性を検証することが必
要です。

●豪州でも10 ml容器の妥当性が議論

海外ではどうでしょうか。米国ではFDAが4種(CSL, Novartis, Sanofi-Pasteur.
MedImmunehはプレフィルド経鼻式)の新型ワクチンを認可しましたが、最大剤型は5 mlで
した。欧州EMEAの3種(GSK, Novartis, Baxter AG)でも最大剤型は5 mlです。

ところが豪州は、我が国と同様の10 ml容器と5 ml容器を採用し、9月30日に供給開始
となりました。以下のPDF内で写真が閲覧できます。

National H1N1 Influenza 09 Vaccination Program (2009/09)

http://www.emergency.health.nsw.gov.au/swineflu/resources/pdf/multidose_vials_large_clinic_final_210909.pdf

10 ml容器が採用されたことに対し、豪州感染コントロール学会(AICA: Australian
Infection Control Association)などは、病原体汚染の危険性が高まることを強く懸念し、
反対声明を出しています。

Infection control experts add to concerns about multidose flu vaccine (2009/8/31)

http://www.crikey.com.au/2009/08/31/infection-control-experts-add-to-concerns-about-multidose-flu-vaccine/

Infectious disease risk in swine flu jabs(2009/8/21)

http://www.theage.com.au/national/infectious-disease-risk-in-swine-flu-jabs-20090820-es2a.html

●センセーショナルでなく、客観的報道を

以上、鳥取県の病院の報道をきっかけとして、新型インフルエンザワクチンに余りが生
じる原因、10 ml容器の功罪を論じました。

筆者が最後に申し上げたいこと。それは、センセーショナルでなく、客観的報道を行
ってほしいということです。

新型ワクチンの余りを職員親族に接種したと報道され、鳥取県の病院の医師・看護師は
非難されていることでしょう。仮に病院が薬液を破棄していたらどうでしょうか。その場
合「貴重な新型ワクチンを破棄していた病院」と報道され、やはり非難されていたかもし
れません。10 ml容器を用いたワクチン接種の背景を理解すれば、今回のセンセーショナル
な報道の妥当性が疑われます。
11月14日になって「新型ワクチン、不便な大瓶 10ミリ、一度に使い切れず」と題す
る記事が朝日新聞、asahi.comに掲載されました。10 ml容器の問題点を指摘したのは朝日
新聞が初めてであり、素晴らしい記事でした。11月12日の鳥取県の病院の記事は、この記
事とセットで配信されればさらに良かったと存じます。

また、長妻大臣が舛添前大臣を「舛添大臣」と呼んだことばかりが報道されていました
が、実はこの参議院予算委員会の質問・答弁では極めて重要な質疑が行われていました。
新型ワクチン10 ml容器の功罪について、客観的に報じるメディアは殆どなかったことは
極めて残念です。

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