最新記事一覧

臨時 vol 345 「削減する改革から組み立てる改革へ」

医療ガバナンス学会 (2009年11月17日 08:38)


■ 関連タグ

-事業仕分けが提起した論点と医療システム改革―

預金保険機構金融再生部長(財務省より出向)
松田 学


このところ、「事業仕分け」が国民的な話題となり、官僚組織だけでなく日本の各界
に様々なインパクトを与えているようだ。
この民主党政権最大の目玉の一つに位置づけられている事業仕分けとは、これまで国
民から見えないところで行われていた予算編成過程の一部を公開し、公開の場で外部の
視点も入れて議論することで、これまでの予算編成のあり方を劇的に変える第一歩とな
ることが期待されているものである。このプロセスを通じて、予算の節減だけでなく、
従来の行政施策や独立行政法人・公益法人などの必要性にまで焦点が当たっていくこと
になり、政権の政策の柱である「行政刷新」を大きく進める原動力にもなるとされてい
る。
ただ、国の予算の各項目は日本のさまざまな分野の「社会システム」に有機的に組み
込まれてきたものである。事業仕分けで行政刷新を実現しようとするのであれば、それ
は必然的に、単なる行政の無駄排除の論理だけでは手に負えない世界を相手にしなけれ
ばならないことになる。
現に、厚生労働省に関する事業仕分けについては、医療分野に詳しいプロフェッショ
ナルたちからも、強い疑問の声があがっている。例えば、「感情論が優先し、社会的背
景や医療経済・薬剤経済学的視点、産業論等に対する多面的な配慮が著しく欠落してい
る」、「盲目的に予算を削り込みたい財務省が民間委員の意見を誘導し、当事者である医
療関係者等からの反証が一切認められないまま、素人集団による稚拙な議論が公開の場
で行われて、典型的ポピュリズムによる政治的判断が下されている」、「開業医と勤務医
の収入格差平準化の財源を診療所の診療報酬引き下げで賄おうとしているが、それでは
逆に診療所の崩壊を招き、その分だけ外来の患者が病院に向かい、勤務医はさらに大変
になる」、「医療制度は全体としてひとつのシステムなのであり、どこかに局所的に痛み
を与えると、それが他にも波及し、かえって制度が歪みかねない」などといった声であ
る。
そもそも行政を本当に刷新するのであれば、各行政分野を組み込んだそれぞれの社会
システムそのものの改革が不可欠であり、それを財務省の予算削減の論理だけで実現す
ることには無理がある。事業仕分けとは、要するに、主計局がやっていることを公開で
やるものに過ぎないと言われるが、そうであれば、事業仕分けは「行政刷新」に向けた
一つのプロセスではあっても、解にはならない。また、今行われているような事業仕分
けそれ自体が、従来の予算編成プロセスとは本質的に異質のものである。
予算編成過程では、主計局から、その分野のプロである相手官庁からみれば理不尽な
タマが投げられてくるのが常であり、それは予算を少しでも合理化したい彼らの役回り
である。それに対して相手側からどんな「正論」が返ってくるかをみて、財政当局とし
てもなんとか担げる、これならば、という理屈が出てくるのを待つわけである。そのタ
マがプロの常識からみてきつければきついほど、相手側はそれを反駁する正論を真剣に
組み立てることを迫られ、制度の根本にさかのぼった本質的な論点も出てくることにな
る。
その過程で実現するのは、相手省庁も財務省もともに担げる理屈の範囲が確定し、そ
れに対応する予算が査定結果として計上されるということである。つまり、予算は内閣
全体で閣議決定して国会に出すものであるため、財務省にも相手省庁にも説明責任があ
るのであり、そのような責任をともに果たせるものが、アウトプットになることになる。
確かに、事業仕分けには、公開の下に一般国民の立場を標榜する人々の意見が予算編
成に反映されることによるメリットが存在する。しかし、その半面で、その場で言いた
いことを言って責任を取らなくてよい人たちが予算の適否の判定を下す仕組みである
がゆえに、上記のような責任体制は、それ自体には確保されていない。それも短時間で
の判定であることもあって、正論が反映される保証はない。
財政当局としても、事業仕分けの威を借りれば、予算削減という実績を上げやすくな
る、すなわち、財務省としてより担ぎやすい理屈の範囲に落としどころが決まりやすく
なるということになるため、ややもすれば、財政当局の論理が過剰に通ることになりが
ちだといえよう。従って、事業仕分けの結果を踏まえて、予算編成では、主計局と相手
官庁との間で冷静に正論を戦わせるべきだいうことになる。しかし、その結果が事業仕
分けとは異なるものになる場合があるとすれば、事業仕分けとは何だったのか、という
ことになりかねず、予算編成との関係についてどう説明を組み立てるかが課題になって
こよう。
それはさておき、プロからみれば理不尽な主張をしているかにみえる財政当局側も、
個々の官僚の思いは別だという可能性は十分にある。それは、厚生労働省の官僚もそう
かもしれない。こと医療についていえば、官僚たちの本音は、丁々発止の切った張った
の世界ではもう医療システムは限界なのだから、抜本的なシステム再設計が必要だとい
うものではないだろうか。
それについて、今年の第四回「現場からの医療改革推進協議会」では、医療費のセッ
ションのシンポジストとして、筆者は筆者なりの「本音」を提案させていただいた。そ
れは、医療崩壊といわれる現象のほとんどが、根本的には医療システムの財源不足問題
に起因しており、支出の効率化努力は続けるとしても、民主党がマニフェストで医療費
の対GDP比をOECD平均並まで引き上げると公約したように、医療への財源投入は
避けられないとの認識に基づいた提案だった。
ただし、その財源は国民負担の増にのみ求めることは困難だというところに、問題の難
しさがある。他の先進国に比べて少子高齢化の程度がきつく、しかも、先進国最悪の財
政状態の下で多額の債務処理をこれから国民負担によって果たしていかなければなら
ない日本の場合、「中福祉-中負担」という考え方はもはや成り立たず、他の先進国並
の中福祉を実現するためには、「高負担」を免れない。超高齢社会で増大する医療ニー
ズに応えていくためには、国民「負担」以外のフトコロにも財源を求めていかなければ、
医療システムの持続可能性は確保されないだろう。
そこで、筆者は、医療そのものを医療「費」というコスト(削減の対象)ではなく、そ
れ自体が効用や満足や安心を生むバリュー(価値=人々の価値選択で広がる世界)へと
概念転換し、健康に関わる価値を評価・選択した人々のおカネが喜んで投じられるよう
なシステムへと再設計してはどうかという提案を行った。
すなわち、世界に冠たる従来の国民皆保険制度そのものは維持し、あるいは維持するた
めにこそ、そのような官システムの上に、バリューの世界を組み立て、比較的裕福な層
に対する価格付けで高い付加価値を享受するおカネが入ってくる民システム(ビジネス
クラス理論→エコノミークラスが裨益)と、ボランタリーな資金拠出(寄付、参加、出
資)で健康という価値を実現する「公」システムを乗せるという、いわば三層構造の医
療財源システムを提案した。そして、このうち「公」の部分については、利回りを求め
る投資ではなく、健康に関わる価値を評価し、安心や参加などの価値を求める民の資金
が、例えば地域コミュニティーなどで調達される仕組みとして、「パブリックエクイテ
ィ」という新たなファンディングの考え方も提起した。
これらを実現するためには、エグゼクティブクラス医療サービスのメニューを組み立
てることや、寄付金優遇税制を拡充する上で必要な国民合意を得るべく医療における公
益を定義すること、地域住民に医療機関が与えることができる価値として何が考えられ
るかを構築していくことが、医療界には求められる。そのためには、医療を、官、民、
公の様々な要素を組み合わせた有機的な経営体として「マネージする」ことができる必
要がある。
また、こうして投入された資金が、医療システムの中で社会的相互扶助に回ること、
そしてそれが「見える化」されていることが何よりも求められる。そのための仕組みと
して「基金」の創設も提起した。建前平等-実質不平等、ではなく、表面はサービスに
差異があっても、それが実質平等を実現するための設計であることこそが重要である。
以上のような設計の裏づけとなるのが、将来の不確実性の中でいわば凍結状態にある
民の巨額の資産ストックである。国にはカネがなく、民もフローでは回っていないが、
民にはストックがあり、それが国内での有効なフローに向かわず、250兆円もの世界最
大の対外純債権が積み上がっている。しかも、その資産は高齢世代を中心に偏在してい
るが、超高齢社会で最大の価値の一つが健康であることは言うまでもない。富裕層以外
でも、将来不安の中で、多くの人々が小金を貯めている。そうした資産ストックを健康
という価値実現に引き出していくシステムへと医療を再設計するべきではないか。
こうした提案は一朝一夕に実現するものではないかもしれない。しかし、現行の医療
システムが巨額の財源投入なくしては将来に向けて持続可能ではなく、その財源を国民
負担の大幅増に求められない現実があるのも事実である。だとすれば、民の資金が価値
選択の結果として入ってくるよう、医療システム全体を、その設計思想にまでさかのぼ
って再設計しなければならないはずである。政治の役割は、こうした現実に正面から向
き合い、システム再設計に向けた国民合意を形成していくことにあるのではないか。
以上は、官僚を職業とする一個人の個人的な意見であるが、およそ改革を進めるため
には、それぞれの立場の拘束から自由に、官も民も各界も、本音で個人としての意見を
戦わせることのできる議論の場が必要だろう。それは、官僚だけでなく、各界の多くの
当事者たちも感じていることだと思う。
事業仕分けは、そこを通らなければ次へ何も進まないという意味での、一つの政治的
なプロセスだったとすれば、それには一定の役割があったと評価できるだろう。ただ、
今の日本に問われているのは、もはや持続不可能になった日本の「戦後システム」から
転換し、新たなパラダイムの下で持続可能なシステムへと諸制度を組み替えていく営み
である。そのためには、削減する改革たけでなく、組み立てる改革が必要である。企業
であれば、既存の枠組みの下での「カイゼン」よりも、新たな「設計」こそが、多くの
従業員に夢を与え、その活力を引き出すことになる。
民主党政権には、事業仕分けの世界から、さらに一歩、組み立てや設計の世界へと、
政策のバージョンアップを果たすことが求められているように思われる。有権者も、そ
こに期待して政権交代をさせたのではないだろうか。

MRIC Global

お知らせ

 配信をご希望の方はこちらのフォームに必要事項を記入して登録してください。

 MRICでは配信するメールマガジンへの医療に関わる記事の投稿を歓迎しております。
 投稿をご検討の方は「お問い合わせ」よりご連絡をお願いします。

関連タグ

月別アーカイブ

▲ページトップへ