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臨時 vol 347 『ボストン便り』(7回目)

医療ガバナンス学会 (2009年11月18日 06:03)


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細田満和子

紹介:ボストンはアメリカ東北部マサチューセッツ州の州都で、建国の地としての
伝統を感じさせるとともに、革新的でラディカルな側面を持ち合わせている独特な
街です。また、近郊も含めると単科・総合大学が100校くらいあり、世界中から
研究者が集まってきています。そんなボストンから、保健医療や生活に関する話題
をお届けします。

略歴:細田満和子(ほそだ みわこ)
ハーバード公衆衛生大学院リサーチ・フェロー。博士(社会学)。
1992年東京大学文学部社会学科卒業。同大学大学院修士・博士課程を経て、02年
から05年まで日本学術振興会特別研究員。05年から08年までコロンビア大学メイ
ルマン公衆衛生校アソシエイト。
08年9月より現職。主著に『「チーム医療」の理念と現実』(日本看護協会出版会)、
『脳卒中を生きる意味―病いと障害の社会学』(青海社)。

「国家と市民社会、そして健康」

あなた方の力
11月7日の深夜11時15分に、アメリカ下院がヘルスケア改革関連法案を賛成多数
で可決させた数時間後、オバマ大統領から支援団体「オーガナイジング・フォー・
アメリカ」の会員に向けて一通のメイルが届きました。
「これ(法案可決)は歴史的なことです。しかしあなた方支援者は、今夜の歴史
の目撃者というだけではありません。あなた方がそれを成し遂げたのです。(中略)
あなた方は立ち上がった。あなた方は声を上げた。そして、その声が聞き届けられ
たのです。」
オバマ大統領はこのように書いて、この法案可決は下院議員や大統領の力によっ
てではなく、彼が「あなた方」と呼びかけた市民の力によってなされたのだという
ことを強調しました。
このことは、市民社会が国家のあり方に対して決定権を行使したことと言い換え
られ、確かにまれに見る偉業であると理解できます。

国家と市民社会
国家(State)と市民社会(Civil Society)。一見するとなんとなく似ているよ
うに思われるものですが、社会学において両者はまったく別のもの、それどころ
か対立する概念と考えられています。
まず国家のほうですが、例えばマックス・ウェーバーによれば国家とは、警察や
軍隊などの暴力装置を正当的(合法的)に独占し、官僚や議員など統治組織の維持そ
のものを職業とする専門家によって構成されている、領土や人民を統治支配する政
治的共同体と捉えられます。日本においては、行政機関(各官庁)、行政機関(国会)、
司法機関(裁判所)などが国家を成立させる組織であるといえます。
これに対して市民社会というのは、国家や市場や家族とは区別される、自発的な
市民からなる組織集団のことです。ユルゲン・ハバーマスは、人間の生活の中で他
者や社会と相互に係わり合いを持つ時間や空間、制度的空間と私的空間の間に介在
する領域を公共圏と概念化しましたが、市民社会は公共圏に位置しているといえま
す。例えば市民組織、地域組織、社会運動、慈善団体、NPO/NGO、互助
集団などといった組織集団は、市民社会を形成している要素だとい
えます。
さて、国家と市民社会の関係ですが、一般に国家は統治組織として市民社会を抑
圧して支配しようとするし、市民社会のほうは支配から逃れて自由な公共空間を確
保しようとします。それゆえ、両者は緊張した関係にあると考えられています。
ただ、こうした緊張関係の中でこそ、そこに住む人々の暮らしや健康が守られると
いう仕組みになっていることも指摘されています。国家は制度を制定し運営すること
で、人々の安全を保障しようとします。しかしその制度が人々の実情にあっていない
ような時、市民社会は異議申し立てをして制度の撤廃や変更、新制度の制定を迫ります。
こうした市民社会の異議申し立ては、国家に制度を変革させることもあるし、国家が
制度を堅持することもあります。その可否は、その国における国家の市民社会のあり
方、その他諸々の条件によって変わってきます。
そして国家と市民社会の間に緊張関係がなく、どちらかにバランスが傾いた場合
――通常は国家が強大な権力を持つことになるので、その場合――、人々の生
活にはさまざまな問題が生じてきます。以下では、特に健康という視点から二つの
国を例にして、市民社会が脆弱で国家が巨大な権力を持つ国において、人々の健康が
脅かされているという問題を見てゆきたいと思います。

「クロッシング」
先日、「健康と人権問題研究会」というハーバード公衆衛生大学院の学生組織の
主催する「クロッシング」という映画の上映会があったので、見に行ってきました。
この作品は、アカデミー賞外国語映画賞部門の韓国代表作品に選ばれたもので、2009
年春には日本でも公開され、「祈りの大地」という副題がついています。
内容はというと、やむにやまれぬ事情から北朝鮮から中国に密入国せざるを得な
かった、いわゆる「脱北者」の家族の物語でした。その事情とは、結核を罹った妊
娠中の妻のため、北朝鮮では手に入らない薬を中国に求めに行く、というものでし
た。夫は中国に渡った後、脱北支援組織の手引きで韓国に行くことになります。そ
して韓国では、求めていた薬は無料で配られていることに愕然とします。しかし薬
が手に入ったその時には、妻は既に亡くなっていたのです。
映画では、食べ物にも事欠く貧しい庶民の生活、聖書を家に隠しておいたという
理由で夜中に連行される別の一家の様子、当局に見つかった脱北者への過酷な刑罰
といった描写が次々に続きます。特に、脱北者を収監する刑務所では、劣悪な環境
の元での強制労働が強要され、ひとたび病気や怪我で労働できなくなると、隔離さ
れ食事も与えられなくなり、衰弱死を待つばかりとなってしまうのです。
この映画を見ていろんな感想を持ちましたが、暴力装置をもって統治しようとす
る国家に対抗できる市民社会の存在が許されないところで、人々は健康に暮らすこ
とができないのだと改めて強く思いました。そして、映画上映を通じて健康と人権
について啓発活動を行っている学生組織は、市民社会の力となってゆくだろうと感
じました。

イスラエルのアラブ人
国家による抑圧が、人々の健康を蝕んでいると思わされるもうひとつの例として、
イスラエルからやってきた新しい同僚の研究を紹介します。
彼も私と同様に社会学を学問的背景として持っており、「少数者集団におけるリ
スクと健康格差を生む社会的メカニズム:抵抗という視点からの交通事故」という
テーマで研究をしています。ここで少数者集団というのはイスラエルに住むアラブ
系の人々のことで、彼らが運転者として自ら致死的な交通事故を起こす確率は、多
数者であるユダヤ系イスラエル人と比較して有意に高い(約1.5倍)というのです。
ちなみにこの同僚は、ユダヤ系イスラエル人です。
イスラエルという国の中で、アラブ系の人々がスピードの出しすぎや一時停止の
標識で止まらないといった重大事故につながる行動をとるのは、日頃の抑圧への抵
抗からなのだと彼は分析します。国家によって定められ、取り締まられている道路
交通法に従わないことが、アラブ系イスラエル人が自分のアイデンティティを承認
する手段となっていて、その結果、重症を負ったり時には死に至るほど健康が蝕ま
れているというのです。
周知のとおり、イスラエルはヨルダン川西岸とガザ地区を巡ってアラブ系のパレ
スチナと激しく対立しています。しかし、イスラエルには全人口の約20パーセント
にあたるアラブ系市民がいます。市民ですから選挙権もあり、アラブ系の国会議員
も選出されていますが、アラブ系に対する厳しい偏見や差別は国中のいろいろなと
ころに見て取れるといいます。学校教育は、ユダヤ系とアラブ系では言語が異なる
ので高校までは分かれており、大学で統一されますが、アラブ系の大学進学率は低
く、就職においても不利で、収入は低いということです。
ただし、こうした状況を改善しようとするユダヤ系イスラエル人も少なからずい
るとの話も彼から聞きました。ユダヤ系と比べてアラブ系の出生率が高いので、将来
的には国民の人口構造が変わるということもひとつの理由なのかもしれませんが、
歴史的に見ても、この地に住むアラブ系とユダヤ人は共存共栄を目指していたという
ことです。同僚の弁によると、極右が牛耳っているイスラエル国家は入植を続けてい
ますが、85パーセントのイスラエルの市民は、西岸とガザはパレスチナに引き渡す
ことにして問題の平和的解決を望んでいるといいます。しかも、地理的に離れた西岸
とガザは地下トンネルか橋で結んで、パレスチナの人々が容易に行き来できるよう
にすればよいとも言われているとのことです。
しかし現実にはイスラエル国家による抑圧は続き、アラブ系イスラエル人の致死
的事故が高い確率で生じています。このことも、強大な国家に対して市民社会が脆
弱なとき、人々の健康が脅かされることを示しています。それでもユダヤ系イスラ
エル人の彼が、これを問題化して、アラブ系イスラエル人が抑圧を感じないような
社会を作ることに貢献しようとしている姿は、イスラエルにおける市民社会に希望
を感じさせてくれます。

市民社会と国家の協働
アメリカのヘルスケア改革に話を戻しますと、今は上院での審議に関心が移って
います。改革法案は下院で可決されたとはいっても、賛成が220票だったのに対し、
反対が215票とわずか5票差なので、行き先は未だ不透明です。
というのも、共和党だけでなく民主党の中にも、公的保険制度の導入で国家の関
与が強まることに慎重な意見が強いというのです。改革法が導入すれば真っ先に困
ることになる莫大な資本力を持つ保険会社が、議員に対して猛烈なロビー活動をし
かけてきているからです。このような状況を危惧したかのように、冒頭で紹介した
オバマ大統領のメイルはこう続きます。
「昨年の選挙の後でさえ、たくさんの熱狂的なロビー活動者や党員たちは、古いお
決まりのやり方でワシントンと癒着し、特別なお金を動かしながら、いまだに自分
たちの気に食わない法案は通さないことができると本当に思っていました。今、もは
や彼らはその見込みはないと思っているでしょう。なぜなら、今夜、古いルールは
変えられ、人々の存在はもはや無視できないということを、あなた方がはっきりさ
せたのですから。」
9月の両院議員総会で演説したとき、オバマ大統領はヘルスケア改革は「社会的正
義」であり、この改革が実現されるかどうかでアメリカ人が道徳心ある公共的精神
の持ち主であるかどうかが判断されると言いました。そして今回、市民社会は改革
を求めているのだから、改革実現の可否は議員たちが特定の利益団体(主に保険会社)
に惑わされないかどうかにかかっている、と言っているようでした。
下院でのヘルスケア改革の議会通過は、市民社会の主張を国家が認めたという図
式で理解できますが、さらにうがった見方をすれば、市民社会と国家が人々の健康を
守るという共通善のために協働するというあり方の表れとも解釈できるのではないか
と思います。

日本における国家と市民社会の行方
日本は一般に、国家の力が強く市民社会が成熟していないと考えられています。メ
リーランド大学のシュリュー教授は、アメリカとドイツと日本の環境政策を比べて
面白い分析を発表していますが、この研究は日本における国家と市民社会の関係を
如実に示していると思われます。
この分析によると、アメリカでは、巨大で高度に専門職化した環境NGOが、潤沢
な資金によって環境調査研究を行い、他の利益団体と競合しながらワシントンの政
治家に環境保護を訴えています。ドイツでは、環境団体が政党(「緑の党」など)
そのものを作り、環境保護を求める市民の声を直接的に政治に結び付けています。日
本では、環境NGOの力が弱いので、環境保護は、国際的共同体や国内団体や志あ
る政治家の支援を受けながら、環境省が何とかせざるをえないのです。
この研究は環境政策を対象にしたものですが、同じことが保健医療政策にもその
まま当てはまるのではないかと思います。日本では、市民社会の側である患者団体
や医療者団体の力が、国家の側である厚生労働省に比べて弱いので、例えば2006
年のリハビリ診療報酬日数制限の撤廃運動で47万人の署名が集められたとしても、
診療報酬制度は何も変わりませんでした。
私たち日本人は、この国家と市民社会の関係をどう受け止めたらいいでしょうか。
問題があったらいずれは国家が何とかしてくれるのだから、市民社会は弱いまま
でもいい、と考えますか。それとも現状の問題を解決するため、国家と対抗できる
ように市民社会を鍛えてゆこう、と考えますか。北朝鮮とイスラエルの例は、国家
が巨大になりすぎた時、市民の健康が犯されることを教えてくれましたが、日本は
例外と考えていていいのでしょうか。

(参考文献)
・マックス・ウェーバー、1980、『職業としての政治』岩波文庫
・ユルゲン・ハーバーマス、1994、『公共性の構造転換ー市民社会のカテゴリーについての探究』未來社
・Schreurs, Miranda, 2002, Environmental Politics in Japan, Germany, and the United States, Cambridge University Press..
・Schwarts, Frank and Pharr, Susan (eds), 2003, The States of Civil Society in Japan, Cambridge University Press.

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