医療ガバナンス学会 (2009年3月12日 10:22)
1,医療の質の評価と日本社会の特殊性
日本国民が受ける医療の質は、自身の留学経験、
(世界保健機関)のデータからみると、
の医療の質とは、
救うといった科学的な医療内容を指し、さらに、
際の経済的負担や時間的要素を勘案した総体をさす。
勿論、医療の範囲は広大であるから、
ているものはある。たとえば心臓移植であるが、
なく、提供臓器の数の問題であって、技術的には可能である。
ような医療行為が他国で行われる記事を目にして、
と誤解している。また、
るものもある。新たな医療分野を開拓する場合、
瞬間に、日本のジャーナリズムは思考停止に陥ってしまい、
論議の場すら認容しないように思われる。
米国では、
している。一方、
人々が、人権侵害と言う名のもとに却下する。
者は囚人が新たな医療の対象になる事によって、
るわけではない。このような極端な事例だけではなく、
配が近年の日本人には認められない。
医学部の学生教育でも同様の事象がある。
さにその人が、自分だけはベテラン医師の診療を要求する。また、
テルのような接遇内容を医療の質と誤解しがちだが、
い。「看護師さんを呼んでもすぐ来てくれない」「
ない」「病室が相部屋である」。これらの問題点の中には、
師や、看護師、
しかし、多くの医療人は、
と比べて医師数・看護師数・事務職員の人数が1割、
ている。この事実を大新聞・マスコミは、
いない。また、多くの国会議員も知らない。結局、
不安感を持たされて最も気の毒であり元々一般の労働とは異なり誠
ていた医療人の士気は下がってくるという悪循環にも陥っている。
学的に検証もできないマスコミが、この問題を最も悪くしている。
担う人間、特に指導者たる大学病院や各病院長、日本医師会は、
律・自浄作用を常に働かさなければならないことは論を待たない。
2,日本社会の構造的問題点
医療のみではなく、日本の各分野には「職業人=真のプロ」
い。医師、弁護士、多くの職人、学者など、
な専門家を取り囲む、あるいは援助する人員が、
いない。その原型は事務系国家公務員の勤務態勢で、
場を変わることになっている。
国の組織の慣例となっている。
とされているが、責任の所在は不明確になり、
ドデザインは描けない。
ある部署に居た人が、
国の事務職員と比較すると、プロ化の程度があまりにも落ちる。
長年同じ職場に居ることから生じる収賄等の汚職の防止が完全には
ことを思うと、欠点の方が大きいと言わざるを得ない。たとえば、
本の外交で成功した例がほぼ皆無である事実を思い起こせば想像し
プロの仕事ができない制度になっているのである。また、
しないことも、
医療費制度や税制は、
制度になっている。
更に、日本の職業社会構造は職域の明確化がなされていない。
学時代の経験を記す。筆者は32年前、
大学脳神経外科に留学した。
上であった。むしろ、
には力があった時代である。
ある時、ネズミを使った実験をしようと、
に行きケージからネズミを出そうとすると、
「それは私の仕事だから、ドクトール嘉山は準備ができたら呼ぶ」
一度引き返し、程なく呼ばれて行ってみると、
完全に実験するだけの準備が整えられていた。
このエピソードには、
第一に、専門職を取り巻くインフラが充分にあること。第二に、
技官が全てこのような完璧な仕事ができるわけではないこと。
れずに各教室に単に公務員試験を通っただけであり、
ての訓練を受けていないのである。
日本であれば、27歳の若い研究者は、
麻酔をかけ、自分で実験台に固定しなければならない。さらに、
准教授が実験しようと思った時、
大学病院で所謂雑用が多いのは、完全にシステムエラーであり、
威張っているわけではない。まさに戦前の陸軍と同様に、
「現地調達」なのである。
あまりにも欠落していたし、現在も欠落しているのである。
の能力を生かすインフラとして働く人々もプロ化ができない社会シ
なのである。これは、国家公務員ほどではないにしても、
のプロ度をヨーロッパのそれと比較すれば理解しやすい。
制度設計したからである。
従って、現在崩壊している、政治、経済、教育、
るためには、
必要である。社会の仕組みを大きく変革しなければ、
政を防ぐことは困難である。
前述したが、日本の行政官は、2年で職場を変わるため、
事を始め、やっと仕事の中身が解った頃には配置転換される。
かの実績を残そうとすると、解らないまま、
る。従って、
している。本人たちは当然誠意を持って行ってはいるのである。
なく、社会制度の問題である。
医療分野では厚生労働省の医政局がいろいろな施策を策定している
系官僚と言われるが、数年医師の仕事に携わり、
る人々が大部分である。筆者の経験からは、医学、
えたのは、8年前に病院長になってからである。病院長になると、
基礎講座、
山形という地方の医師の姿であり、
範囲が解っているだけである。
国の制度を創設する際には、国の成り立ちから、
らねば、医学教育も解らないし、医学研究のありようも解らない。
たことがあるからといって医学研究、医療、
て、各個人が悪いわけではないが、
十分な知識もない。
医療がその日本の制度の欠点をもろに浴びて、
たのである。すなわち、かの国では事務官、
が限界の人数で行ってきたツケが現在の姿である。
ではせずともよい仕事を施行してきた医師が、
る。日本の医師が、
た事も一因であろう。「昨夜は徹夜で手術だったよ」
語られてきているのが日本の医療界なのである。勤務医、
夜しても一円も出なかったのに!!
は、言明しておく。日本の医師の特質を述べているのである。
はなく、日本人の古くからの特質でもある。しかし、
の問題点が、もはや限界を超えたので、
会の構造的問題点を克服しなければ、
3,私の提案
現在、
る。しかし、心を落ち着けて考えることが大切である。
解しておくことは必要である。しかし、
点がより重要であると考えている。
第一に、日本国家の「職業人育成」の制度を変革することである。
現在の「アマチュア」
と。眼目は、国民のために本気で仕事ができる環境の設定と、
化である。国家であれば、国民のお財布を預けるのであるから、
高くて当然である。そうすれば、天下りなどと称して、
を合わせたりしなくなる。
第二には、国家予算を、物品にかけずに、
投入することである。すなわち、
大である。この発想がないと、
て行くであろう。更にこれらの変革を他の分野でも行うことが、
て日本再生につながると考える。