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Vol.055 「復興は教育から」と信じて -相双地区における剣道交流会を通じて-

医療ガバナンス学会 (2017年3月10日 06:00)


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桐蔭横浜大学剣道部監督
高瀬武志

2017年3月10日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp

未曾有の被害をもたらした東日本大震災から6年の歳月が経過しようとしている。私は、震災の翌年(2012年)より勤務の都合上、年に1~2回という頻度ではあるが被災地に赴き剣道交流会(以下、交流会)を開催させていただいている。これは、多くの方々のご理解、ご協力やサポートをいただいているから継続してこられている交流会である。関係者の方々には深く感謝している。この交流会も今年で5年目を迎えた。私は、この交流会は被災地に訪問する我々が現地の子供たちに一方的に「指導をする場」とは考えていない。むしろ、被災地で我慢強く頑張っている子供たちとの交流の中で、剣道で成長するために必要な「根源的なもの」への気づきや再確認といったことを「学ばせていただける場」であると認識している。その交流の仕方として剣道の稽古があり、稽古の中でアドバイス等をさせていただいている。

私が、勤務先の異動により桐蔭横浜大学(以下、本学)の教員ならびに桐蔭横浜大学剣道部監督を仰せつかったこともあり、本学剣道部員の有志を募り被災地支援の一環として交流会に本学の学生も参加させていただき、共に学ばせていただいている。去る2017年2月26日に本学剣道部員6名を引率して交流会を開催させていただいた。場所は例年通り、相馬高校剣道場をお借りし、相双地区の中高生の剣道部員と顧問の先生方の参加を得て、開催させていただいた。今回の交流会において、今までの交流会とは異なる点があった。それは、訪問する学生の中に福島県出身の学生が2名(被災当時は中学生)いたことである。

ここで、今回の交流会に参加した福島県出身の学生2名について、少しだけ紹介させていただきたい。2名とも学年は2年生である。1人は男子学生で浪江町出身であり中学生時代には、相馬高校にも出稽古等で来校した経験があった。震災後、非難生活を余儀なくされ、居住地域を転々とする生活が続いた。高校生になって剣道部に入部したが、1年時に辞め、剣道からも離れた。
しかし、本学に入学して剣道部の門を叩き、剣道を再開することとなり、努力を重ね、昨年の12月に北海道で開催された全日本学生剣道オープン大会において個人戦で第3位に入賞した。オープン大会とはいえ、堂々の全国大会入賞である。将来は、海上保安官を目指しており、配属先に郷里の福島県を希望している。もう1人は女子学生で二本松市出身であり、高校生時代は吹奏楽部で活動していたが、本学入学後に剣道部の門を叩いた。彼女は、初心者ながら一生懸命に稽古に励み、1年で初段を取得し、現在は二段への昇段を目指し稽古に励んでいる。彼女は卒業後、警察官を希望しており、彼女もまた郷里の福島県での勤務を希望している。2人共に郷里への想いは熱い。

私が、紹介したような学生2名を含む6名の学生を引率して交流会に参加するのには、私なりの指導者としての想いがある。それは、教室や普段使い慣れた道場では学べない「現場」があることを知ってほしい。また「現場」での体験や感じた事を剣道に限らず、自身の成長に役立ててほしい。また、如何にして相手を打つか突くかといった剣道の「技術」の向上に偏るのではなく、剣道を通じて「ご縁」をいただいた人(他人)を活かす、また自分という人間を磨き、世に活かす。剣道の教えにいう「活人剣」という思想を肌で体験し学んで欲しいという想いである。どこまで学生たちに伝わっているかは、今後の学生たちの姿に期待したいと思う。

相双地区の子供たちとの交流は毎回のことではあるが、非常に温かい雰囲気の中で行われた。可能な限り、学生と参加してくれた中高生がコミュニケーションをとりやすい形の稽古内容とした。稽古後には自然と学生と中高生が笑顔で会話し時には技術的なアドバイスをおこなっている姿を目にすることができて良かったと感じている。特に、浪江町出身の男子学生が稽古後におこなった挨拶の中で、「震災後、はじめて相双地区で剣道ができた。ここに来ることを本当に楽しみにしていました。皆と稽古ができて本当に嬉しかった。また来たい。」と目を潤ませながら話している姿に、私も胸がいっぱいになった。連れてきて本当に良かったと思うことができた。

今回、被災経験を持つ学生2名を引率することに不安もあった。それは、過去の辛い経験を無理に蘇らせてしまわないかという思いが少なからずあったためである。しかし、私の考えを変えたのは、引率した女子学生との普段の稽古前の何気ない会話の中で、最近ニュースで目にする福島県出身の子供に対する心無い「いじめ」の話題になったときの彼女の反応であった。彼女も大学進学に伴い福島県二本松市から上京し1人暮らしの中で学業に励んでいる。入学当初、自分が福島県出身であることを自己紹介で伝えるべきか悩んだという。それは、やはり放射能に関する偏見や「いじめ」を意識してのことであった。
私はこの話を聞いて、心が痛んだが、この頑張っている学生たちを連れて被災地支援に行こうと決意するに至った。それは、被災地で今なお我慢強く復興に向けて努力されている方々や子供たちに、同じ福島県出身者が頑張っていることを伝えたい、また、郷里の福島県を離れて頑張っている学生たちに被災地で頑張る方々や子供たちの姿をみてもらいたい、そして共に胸を張って堂々と夢を実現して欲しいと思ったからである。稽古後に中高生と学生が楽しそうに談笑する姿をみられたことは本当に良かったと思う。また、横浜に帰着後、学生たちの剣道日誌には交流会を通じて、自身の学んだことや被災地の現場をみて感じたことなどが多く書き込まれていた。私は、ここに大きな教育効果があると感じている。

また、訪問させていただいた時の通例になっているが、相馬神社と相馬中村神社への参拝や松浦川漁港近隣の見学なども晴天の中、無事に行えたことは学生たちにとっても良い社会勉強になったと感じている。特に建物や道路等の整備が進んでいることに復興の確かな一歩をみることができたように感じる。しかし、本学の学生が感じたような言われのない偏見や噂をはじめとする「いじめ」などの解決はまだまだ時間もかかるように感じる。今後、福島県内外に関わらず、震災に関する「心」の問題は大きくなってくるとも思う。剣道に関わっている学生や子供たちには、剣道の稽古は技術の習得よりも「心」の鍛錬が重要であり、精神力の向上にこそ剣道の真髄があるので、稽古に励み、負けない「心」を養ってほしいと願っている。

最後に、「復興は教育から」という言葉を信じ、これからも学生指導や教育活動に精進していきたい。そして、社会に有益な人間になれるように、被災地の1日も早い復興と今なお被災地で苦しむ方々に寄り添い力となれるような人間になれるように学生と共に師弟同行で頑張っていきたいと思う。また、冒頭でも述べたように、この交流会は多くの方々との「ご縁」とご理解、ご協力を得て成り立っている。今回も多くの学びと気づきをいただけたことに感謝したいと思う。そして、今後も「また、来るよ」という相双地区の子供たちとの約束を守っていきたいと思う。

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