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臨時 vol 48 「がん標準治療「後」を考える」

医療ガバナンス学会 (2009年3月11日 14:23)


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国立がんセンターとがん免疫療法の相克

JR東京総合病院 血液・リウマチ科
主任医長  小林 一彦


3月11日 国立がんセンター中央病院に於いて、土屋了介病院長主催の勉強会が
開催されます。

タイトルは”がん標準治療「後」を考える:がんペプチドワクチン療法 希望か
ら失望、そして大躍進への期待”。演者は中村祐輔 東大教授です。言わずとし
れたゲノム医療の世界的権威です。また、お恥ずかしながら、私も勤務医の一人
としてシンポジストに招待されました。

私は大学院時代にがん免疫療法を専攻し、その後、国立がんセンターでレジデ
ント生活を送りました。その後、現在の施設でがん患者の一般診療に従事してい
ます。

国立がんセンターに在籍した私にとって、このような勉強会が国立がんセンター
で開催されることに時代の移り変わりを感じます。本稿では、この勉強会の開催
の背景を解説いたします。

【独法化で倒産が噂される国立がんセンター】

昨年末、ナショナルセンターを独立行政法人化する法律が成立し、国立がんセ
ンターは、2010年4月1日をもって法人に移行することが確定しました。しかし、
この移行に伴い国立がんセンターが630億円におよぶ負債を背負わされる可能性
が取り沙汰されています。

“公認会計士 細野祐二が読み解く国立がんセンターの「財政破綻危機」”
(ZAITEN0904月号 p102-106)によると、 厚労省が(独法化が可能であると説明
するため)国会に提出した予定財務諸表には固定資産の減価償却が一切なされ
いないこと、適切な財務状況が把握されておらず、企業会計原則に則って適切に
計算すると、独法後の借入金返済が不可能なことが明らかになりました。

では、なぜ、厚労省はこのような「虚偽」を報告するのでしょうか。知人から
聞いた話ですが、今回の会計処理は、厚労省内に伝わる「社会福祉法人会計」と呼
ばれる独特の財務会計とそっくりのようです。この制度は昭和30年代に社会福祉
施設の管理のために考え出されたもので、政府からの補助金の存在を前提にして
います。確かに、当時の社会状況を鑑みると、よく出来ているものらしいのです
が、「減価償却」という概念が存在しないため、「企業会計」の体系とは相容れ
ません。厚労省がナショナルセンター独法化の前提とする”単式簿記”は、この
「社会福祉法人会計」を単に流用したものと推測すると納得できるみたいです。

【日本陸海軍の遺産を引き継いだ国民皆保険】

この厚労省内の会計制度にしてもそうですが、日本の医療制度には古くからの
システムが温存されている部分が多く、現状と齟齬を来しています。なかでも基
本的に戦時を想定したシステムに目立ち、かつその齟齬が大きいように見えます。

例えば、”国民皆保険”制度にしても、そもそも昭和初期より草の根的に設立
されていた協同組合に、国が財政支援したものです(1938年 国民健康保険法)。
当時、中国との戦線拡大に伴い、健康な兵隊を徴兵するために陸軍が圧力をかけ
たことによると言われています。(池上直己 医療問題 日系文庫ベーシック
p54-55)

がんセンター運営も、その基本思想と人事制度は前身の海軍医学校より受け継
がれたものであり、これが診療に悪影響を与えている、との指摘があります(上
昌広 Japan Mail Media 絶望の中の希望~現場からの医療改革レポート 題18回
http://ryumurakami.jmm.co.jp/dynamic/report/report22_1459.html)この感覚
は内部にいないとなかなか実感できないものですが、臨床現場に無自覚にも大き
な影響を与えていることに間違いありません。上記レポートを是非ご一読くださ
い。

以上のように、がんセンターは我が国随一の癌治療機関でありながら、厚労省
の失策と重い歴史のくびきのなかで、その能力を十分に発揮できなくなっていま
す。これは個々人の問題というより構造問題なのです。

【研修医のサービス残業を前提とした高度医療】

ちなみに、筆者は2002年より、国立がんセンターに造血幹細胞移植科レジデン
トとして勤務していました。当時、国立がんセンター中央病院での年間の幹細胞
移植症数は170件を超えており、世界的施設に伍するものでした。不詳、私も日
本発の医療技術開発の一翼を担ったと自負しています。しかしながら、その内情
は「研修」という名の「無給労働」に支えられており、長くは続きませんでした。
当時は強い憤りを感じたものですが、今となっては個人で解決不能な構造問題で
あったことがよくわかります。

すなわち、国立がんセンターは、古いシステムを温存したままの我が国の医療
制度が直面している構造問題の象徴というわけです。だからこそ、未来を志向し
た今回の勉強会ががんセンターで開催されることに、筆者および関係者は深い感
慨を覚え、その意味を広く問いたいと考えるのです。

【がん免疫学の黎明期】

前置きが長くなりましたが、がんワクチン療法について解説しましょう。

古来より、がん病変が無治療で自然に退縮するといった現象が稀に観察される
ことがあり、免疫の関与が想像されていました。

1956年になると、近交系マウス(遺伝的背景が全く同じマウスのことです)の
開発により、Foleyらが腫瘍免疫の存在を証明します。薬剤を用いて皮膚に発癌
させ、その皮膚癌を切り取って半分を自分に、残りの半分をほかの近交系マウス
に移植します。そうすると、自分に移植した癌は拒絶され皮膚よりはがれてしま
いますが、他マウスには正着してしまいやがて癌死に至る、との現象が観察され
たのです。がん細胞表面上にはがん抗原が存在し、それに対し免疫学的拒絶反応
を示しうる、と結論されましたがその機序は解明されませんでした。

以後、がん免疫の分野は長い冬の時代に入ることになります。目の前の患者を
助けたい、という切実な要求があったにせよ、なんら理論的な裏付けのない、
「免疫療法」と称する治療が世界的に横行するようになったのです。その中には、
現在の医科学の検証に耐えうるものも存在しますが、大多数は、残念ながらガラ
クタに過ぎませんでした。効果がないばかりか、その治療とも呼べない治療で法
外な治療費を請求するといった不心得者が現れるに至り、まっとうな医師の間で
は免疫療法への信頼が完全に失墜したのです。

基礎医学の分野で明るい兆しが見え始めたのは、1990年代入ってからです。分
子生物学的手法を用いることにより、がん細胞拒絶に関する免疫機構が解明され
るようになりました。とりわけ大きかったのは、主要組織適応抗原複合体(major
histocomatibility complex:  MHC)と呼ばれる、癌細胞を含む全ての細胞に発現
している分子の構造がわかったことです。このMHCにはαへリックス構造の間に
形成される”溝”があり、癌細胞では、その”溝”の中に自らが癌であることを
示す”癌抗原”が提示されていることが判明しました。どうやら免疫細胞は、こ
のMHC上の”癌抗原”を認識し、癌に対して攻撃を加えるようになるらしい、と
考えられたのです。以前はおとぎ話に過ぎなかった”癌抗原”の正体は、MHC上
に提示される9つのアミノ酸からなるペプチドであることが証明されたのです。
これでがんワクチン療法の基礎理論が確立されました。今回の講演の主題である、
“がんペプチド”とは、この9つのアミノ酸配列のことです。

【がん免疫療法の萌芽】

90年代半ばには、ベルギーのBoon博士や米国のRosemberg博士らにより、主に
皮膚癌の一種である悪性黒色腫に対し、がんペプチドを用いた養子免疫療法(が
んペプチドワクチン療法)による劇的な治療効果が相次いで報告されるようにな
りました。この後、世界各地でこの治療法の追試が行われました。しかしながら、
これまで、他施設の医師が同じ治療を行っても同様の治療成績を再現すること
できていません。この技術の実用化・汎用化にはまだまだ難題が山積しているの
です。

【がん免疫療法はオーダーメード医療】

さて、MHCとは聞き慣れない言葉とお思いかもしれませんが、本当にそうでしょ
うか。骨髄移植を扱った記事などで、白血球の血液型が合わないと移植できない、
などの文言を読んだことはありませんか。じつは、骨髄移植の際に、患者さんと
ドナーさんの間でマッチングさせる白血球の血液型、とは、白血球におけるMHC
のことなのです。

MHCには各クラス毎に多数の型があり、その組み合わせはひとりひとり異なっ
ています。型の組み合わせがぴたりと一致するひとは、一卵性双生児をのぞき、
誰一人としていません。ですから、容易に他人の骨髄を移植することはできませ
ん。遺伝的背景がかなり似通っているとされている日本人においてさえ、”ぴた
りと一致することは無理でも移植には耐えられる”程度に一致したMHC型を見つ
けるには、30万人が必要だと言われています。

がんペプチドの話に戻りましょう。一人のがん患者さんにおいても、MHC上に
提示される癌抗原の種類は多数ありますし、同じ癌でも個人個人によって異なり
ますので、MHCの組み合わせと癌抗原の組み合わせのパターンは無限大に広がっ
てゆくことになります。すなわち、がんペプチドワクチン療法は、一人一人に特
化した療法、究極のオーダーメイドの療法になるように宿命づけられていると言
えるでしょう。これが、中村祐輔教授が先導するがん治療です。

【がん免疫療法と国立がんセンターの相容れない過去】

ところが、こうしたペプチドワクチン療法に内在する宿命は、がんセンターに
象徴される癌医療の現状ときわめて相性が悪いのです。まさに宿命です。

90年代より医療は大きく「根拠に基づく医療」(Evidence-based Medicine
:EBM) の実践へと考えを変えてきました。これまでの医師の経験と勘による医
療から、エビデンス(証拠)に裏打ちされている医療への転換を図ってきたので
す。エビデンスとは、患者の治療成績のことであり、動物実験などにおける有効
性ではありません。

治療成績を出すことは容易なように見えますが、実際には患者の性・年齢・病
気の重症度・合併症の有無などによって成績は大きく異なります。となると、エ
ビデンスとして信頼度が最も高いのは、こうした相違を相殺するために、一定条
件を満たす患者を新しい治療を実施する群とそうでない群に振り分け、統計的に
有効性を検証する「無作為比較対照試験」の結果ということになります。

私は個人的に(一般にはあまり指摘されていませんが)、この方法論にはある
種の危険性が内在されていると感じています。

今後の医療をリードするエビデンスを打ち立てようとする場合、厳密な臨床試
験を行う必要があります。つまり、新規治療法の有用性を正確に評価したい場合、
その治療を受ける(臨床試験の被験者となる)患者は、できるだけ同条件の人が
よいのです。治療法以外の要素が排除されればされるほど、その臨床試験の検出
力は鋭敏となり、よいエビデンスとなるからです。ですから極論を言えば、臨床
試験を行う側としては「同一人物が40~80名いればなあ……」というのが本当の
ところかもしれません。実際には、新規抗がん剤の場合は、一般に20~40名程度
の2集団について治療成績を比較しています。

現実の患者のニーズは、主治医と唯一無二の関係性を築いた上での治療である
はずです。しかしエビデンスを重視する立場では、よほど注意しておかないと患
者との関係性構築が無意識に疎んじられかねないのではないか……、そう危惧し
ています。証明しようもないのですが、こういった思想の根っこの部分は、思わ
ぬところに顔を出すものです。

さて、がんセンターは、この20年というもの、新規抗がん剤の臨床試験をほ
ぼ一手に担ってきました。新規抗がん剤を承認するのは厚労省ですから、厚労省
直轄病院が承認審査に必要な臨床試験の大部分を行うことが都合よかったのです。

EBMの思想が今ほど浸透していなかった90年代はじめ頃は、大学病院でさえ、
厳密な臨床試験を行う意義を理解していませんでしたし、臨床試験の品質管理と
品質保証といった発想は全くありませんでした。ですから、現実問題としてがん
センター以外で新薬承認のための臨床試験、特に第1相と第2相試験を行う事は
不可能だったのです。これを国策と捉えたがんセンター運営部は、先に紹介した
特異なメンタリティの背景もあり、ひたすら臨床試験に邁進する病院へと構造化
され、”地元の病院では手の施しようがない難しい患者を治療している最先端病
院”という国民のイメージとにギャップが生じることになりました。

現実の医療では、がん患者の高齢化、といった問題が起こっています。つまり、
せっかく作ったエビデンスがあっても、大多数の患者はそのエビデンスの前提と
なる年齢制限を超えているため、厳密な意味ではエビデンスが適応できません。
何かがずれてきているのです。このズレが、昨今話題の「がん難民」問題として
表象化しています。

がん免疫療法は個別化医療の代表例で、治療内容は患者個人に併せて準備され
ます。これは、患者の個人差は無視できることを前提とした従来のEBM主義と
は対極の考え方です。前者の代表が中村祐輔 東大教授、後者は国立がんセンター
です。今回、国立がんセンターが中村祐輔教授を招待しました。この講演会はメ
ディアを含め、一般に公開されるようです。異なる価値観がぶつかるとき、どの
ような反応が生じるのでしょうか。今回の講演会を企画された国立がんセンター

土屋了介院長の英断に拍手します。

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