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Vol.086 計画主義が医療を滅ぼす5 医師と計画主義の親和性

医療ガバナンス学会 (2017年4月24日 06:00)


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元亀田総合病院副院長
小松秀樹

2017年4月24日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp

●医師の危うさ
普通の臨床医が、インフルエンザ対策や地域医療構想の立案に関わったらどう考えるのか。医師向け情報サイトm3に貴重な対談が配信されていた(「医療本位の考え」が打ち崩された厚労省時代. m3.com ,2017年1 月23日.

https://www.m3.com/news/iryoishin/492238)。

この医師は医療現場と厚生労働省を行き来しながら、新型インフルエンザ対策に2年間、地域医療構想ガイドライン策定に1年間携わった。2017年1月現在、医療現場で医師として働いている。
以下のような感想を述べられていた。

(新型インフルエンザ騒動について)日本の医療提供体制が、ある種の極限状態に追い込まれたとき、最低限を維持するための必要な機能とは何か、それを維持するための連携とは何かなどについて、関係者と議論を重ね、落としどころを探ることができました。
医療と介護の需要が急速に増大する見通しとなっており、今までの社会保障システムでは対応しきれない可能性があります。いわば危機管理と言え、根底ではパンデミック対策に通ずるものがあるのですね。
医療者なら誰しもそうだと思いますが、制度によって患者が切り捨てられるのを見たくはないでしょうね。現場の思いを掲げて乗り込んでも、役所に行けば、完膚なきまでに打ち崩されます。

インフルエンザ騒動や高齢化社会を危機的状況と捉え、その対策に打ち込んだことがうかがえる。問題の大きさに言及していたが、政策が個人の領域を侵害する可能性には言及していなかった。人権侵害が許されるための科学的根拠を用意していたと思えなかった。科学的根拠のない人権侵害が、日本国憲法に違反すると考えた形跡はなかった。問題が大きいから、あらゆる対策をとるべきであり、意識していないものの、無理が許されるという前提が透けて見えた。私的所有に対する統制という原理的矛盾について、真剣に考えている形跡がうかがえなかった。政策に他の選択肢がありえたということも意識されていなかった。インフルエンザ対策で前述のように多くの問題があり、当時、厳しい批判があったにもかかわらず、真摯に受け止めた形跡は見られなかった。医系技官個人が、大きな裁量権を持ち、個々の医療機関に対し、強大な支配権を持つことについて、警戒する気配は見られなかった。
彼は自覚していないが、ハンセン病の光田健輔と同じく、計画主義の立場で活動した。計画主義は、全体のために個人の領域を踏みにじることを可とする。インフルエンザ騒動、地域医療構想に関わっており、m3の記事を見る限り、個人や個別医療機関の固有の領域の侵害を是認する立場だった。
光田は「救癩の父」と呼ばれ、1951年には文化勲章を受章した。生前、国民、官庁のみならず、多くの医師にも称賛された。一部の医師は光田と共に絶対隔離政策を推進した。普通の医師は疑問を覚えることなくこれに従った。
自らの置かれた環境、それを支える思想の歴史的由来を認識するのは容易ではない。純朴で視野が狭く熱心な医師は、社会についての無知ゆえに、積極的加害者になってしまう。

●チェック・アンド・バランス
ハンセン病の絶対隔離政策を推進した長島愛生園の光田健輔や多磨全生園の林芳信は、時代の流れの中で活動した。国家主義の立場からハンセン病を撲滅しようとした。光田らは療養所という閉鎖空間に君臨する絶対的支配者であり、自治会運動を抑圧しようとした。一方で、患者に対して「慈父」の如くふるまう側面もあった。
1957年、成田稔医師は、訪問した長島愛生園で、光田に「眉や鼻をつくっているそうだが、そんなことをしても結局は無駄だ。(中略)この病気は治らん」と言われた。

玄関に立った途端に何となく不愉快になってきた。気が付くと、犀川が玄関先にいて「船が出る」とうながした。犀川は何もかもわかっているかのように、私の光田についての印象はまったく聞かず、急ぎ足で桟橋に向かいながら、「(光田)先生は患者の前に立ちはだかるように(長)島からは決して外に出さないと強気だったが、身内の不慮の災害に気遣う患者がいると、引き出しの中の俸給袋からひそかに旅費を渡したりもした」と言った(成田稔:『らい予防法44年の道のり』, 皓星社)。

ハンセン病問題に関する検証会議最終報告書には「光田らは入所者の権利主体性を認めず、あくまでも恩恵、慈悲の対象にとどめようとした」と記載されている。当時、成田30歳、犀川一夫39歳、光田は81歳だった。時代は確実に変化していた。
光田や林個人の評価は難しい。個人の評価と時代の評価が区別できない。現代人が、中大兄皇子を、蘇我入鹿を殺したことを理由に、テロリストとして非難することに意味はない。光田らも長い期間に変化している。しかし、時代背景を斟酌しても、前述の、林が山井を草津送りにした行為は許されることではない。光田が、1951年の参議院厚生委員会における「三園長証言」で、患者家族の断種の必要性まで訴えたことは、当時の良識を超えていた。これは後日、患者に追及されて、弁明をすることになった。戦後の光田の発言には、強気で強引な発言や医学的知見に反する発言や虚偽発言が散見される。筆者は、軽度の認知症があったのではないかと想像している。医学部教授は、定年間際に問題を起こす傾向が強い。傲慢で自分に対する批判を許さない権力者は、制御が不足するため、軽い認知症があっただけで問題行動を起こしてしまう。
歴史の流れの中で、自分の立ち位置を冷静に認識するのは難しい。認識できたとしても、時代に逆らうのは容易なことではない。加害者になる可能性があることを自覚して、周囲の批判に謙虚であるべきだが、自分で自分を律することはむずかしい。
重要なことは、チェック・アンド・バランスである。日本では、官民いずれにも、民主主義を維持するのに、チェック・アンド・バランスが必要不可欠であるという意識が欠如している。アメリカ独立宣言の起草者であるトマス・ジェファーソンの下記認識は、厚生労働省の医系技官の行動を見る限り、現代でも現実的な意味を持つ。

われわれの選良を信頼して、われわれの権利の安全に対する懸念を忘れるようなことがあれば、それは危険な考え違いである。信頼はいつも専制の親である。自由な政府は、信頼ではなく、猜疑にもとづいて建設せられる。われわれが権力を信託するを要する人々を、制限政体によって拘束するのは、信頼ではなく猜疑に由来するのである。われわれ連邦憲法は、したがって、われわれの信頼の限界を確定したものにすぎない。権力に関する場合は、それゆえ、人に対する信頼に耳をかさず、憲法の鎖によって、非行を行わぬように拘束する必要がある(清宮四郎『法律学全集3、憲法1、第3版』有斐閣)。

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