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臨時 vol 376 「行政刷新会議 スパコン騒動を振り返る」

医療ガバナンス学会 (2009年12月1日 06:00)


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東京大学医科学研究所教授 宮野悟

2009年12月1日 MRIC by 医療ガバナンス学会 http://medg.jp


【新たな学問分野の芽生え】

私たちの研究室は、東京大学医科学研究所ヒトゲノム解析センターDNA情報解析分野
にある。名称からは国民の生活からはかけ離れ、研究者が自分の夢を追い求めるだけの
分野に見えるが、実は国民の生命・健康に大きく貢献しうる研究を行っている。

人間やその構成要素である細胞などの生命体の働きを解明するライフサイエンスは、
従来、分子生物学を中心とした生物分野の研究者が膨大な量の実験を行い、基礎研究を
進めてきた。試験管や顕微鏡を手に、白衣を着て、実験室で細かい作業を行うという景
色である。しかし、生物生命体の動態が明らかになるにつれて、実験科学だけで生命体
の機能を追うことは困難になってきた。なぜなら、生命体の動きは非常に複雑で、多く
の情報が交錯しているからである。そのような複雑なものであることが明らかになった
以上、仮説と検証を繰り返してしらみつぶしに全てを調べるという分子生物学の手法は
変革のときを迎えているのである。

では、新しく生命体の分析に用いられる手法はどのようなものか。それが、現在私た
ちが取り組んでいる生物情報学(Bioinformatics)である。生命体は情報の固まりであ
る。各生命体単独でもDNAの遺伝情報など多くの情報を持っているのはもちろん、個々
で相互作用を行っており巨大なネットワークを形成している。そのネットワークの中で
は膨大な量の情報が発生する。それらの情報を整理し再構築することで、状況の変化を
予測し、ヒトの病気の原因をつきとめたり、新薬をつくる手掛かりを得たりすることが
できるようになるのである。この作業を行うには、私たちが日常使っているコンピュー
タの性能では足りず、高機能コンピュータ(いわゆるスパコン)が必須のインフラであ
る。生命体の動きを追究し、ライフサイエンスに活かす学問は、研究室の中で高性能の
コンピュータを操作してシミュレーションを行うという景色に変わりつつある。

【科学技術の発展と雇用】

新たな学問が芽生えることによって、科学技術が発展すれば人々の生命維持・健康改
善に寄与することになる。そして、科学技術の発展には、熱意をもった若い力が必要と
なるため新たな雇用をも産み出しているのである。

科学技術が発展するためには、どれだけ高性能の機器を備えても、高い技術を開発し
てもそれを活用することができなければ意味がない。科学技術の進歩は常に「人」に支
えられているのである。しかし、いくら人々の生命維持・健康改善に寄与する研究であ
っても、ボランティアでは十分な人材は集まらない。ある研究を行うために研究者を集
めるには、研究のやりがいは勿論、研究という労働に対して正当な賃金が支払われる必
要がある。研究者は夢追い人でも趣味の人でもなく労働者である。そのことを認識して
いる人はわが国でどれほどいるだろうか。

労働者の賃金は使用者から支払われる。研究者の場合、使用者となるのは研究機関の
長であったり、研究プロジェクトのリーダーであったりと様々であるが、財源となるの
が研究費であるということは意外と知られていない。研究費というと、純粋に研究に必
要なツールを揃えるための費用と思われがちだが、そこには人件費も含まれているので
ある。人を含め、研究に必要なすべてのものを研究費でまかなう。研究費が削られると
いうことは労働者の賃金の財源が削られるということを意味する。労働者の賃金の財源
削減は、労働者という地位の削減につながる。このことを国民の代表である国会議員も
知らないのではないかと思われる出来事が起こった。それにより、やる気のある優秀な
若い研究者の首が切られようとしている。

【行政刷新会議がもたらすもの】

今回の行政刷新会議は、「国民的な観点から、国の予算、制度、その他国の行政全般
の在り方を刷新するとともに、国、地方公共団体及び民間の役割の在り方の見直しを行
う」ものとされ、当面の課題として「歳出の徹底した見直し」が行われるとされている。
この趣旨はわが国の在り方を考えていく上で非常に重要なものであり、理解ができる。

11月13日午前中に行われた行政刷新会議ワーキンググループ第3会場では、「次世
代スーパーコンピューティング技術の推進」が事業仕分けの対象となった。私たちの研
究室では、このスーパーコンピュータで用いるソフトウェアの研究開発を行っており、
この案件には私をはじめ、何人ものスタッフが深く関わっている。ワーキンググループ
の評価結果は「来年度の予算計上の見送りに限りなく近い縮減」で、計画の凍結を意味
するものとなった。このような結論が下されるに至ったコメントを見ると、「スパコン
を開発することが自己目的化している」「これまでの開発費の有効利用を考えての見直
し」「科学技術の必要性、重要性は理解できるが、国民の理解には至っていない」など
技術やハードウェア開発のみに焦点を当てた議論がなされていた。また、この事業仕分
けに関するニュースでも、スーパーコンピュータ本体のみが映し出されていた。

このことは何をもたらすか。直近の問題としては、研究者の雇用問題である。計画が
凍結されると、本プロジェクトの研究費によって雇用されている研究者は職を失う。こ
の計画のうち、私たちが関わっている「次世代生命体統合シミュレーションソフトウェ
アの開発」という研究プロジェクトだけでも実に約40人以上の若手研究者が突如、こ
の3月末で放り出されることになる。しかも、これらの研究者たちはこのプロジェクト
が一定期間続くという見込みのもとに人生設計をし、プロジェクトに参加してきている。
これらの者の中には家庭をもつ者も多くいる。突然の解雇により、多くの若手研究者が
人生設計を狂わされ、路頭に迷うことになるのは避けられない状況である。
事業仕分けによってこうした状況がもたらされるにも関らず、ワーキンググループで
出されたコメントの中には、研究者の労働問題について言及するものは一つもなかった。
何度も繰り返すが、研究者は労働者であり、生活をかけて研究しているのである。そし
て、いったん研究職を離れると、研究が終了するだけではなく、その研究者の研究者生
命も絶たれることになりかねない。

国民全体への短期的な配分を考えると、本プロジェクトに対して出された結論は妥当
性があるのかもしれない。しかし、一面的な議論によって安易に結論が出されることは
避けなければならないと考えている。私のもとには、多くの若手研究者から不安の声が
寄せられている。その一部を紹介して、本稿の締めくくりとしたい。

(研究者A 男性(31歳))
自分は次世代スーパーコンピュータを利活用するための研究プロジェクト(次世代生
命体統合シミュレーションソフトウェアの研究開発)によって雇用されている研究者で
す.日本がスーパーコンピュータの研究 開発を「国家の基幹技術」と位置づけ継続的
にコミットメントを行うという決意を見て,このプロジェクト専任に研究を行うことを
決意し,今まで日々研究に邁進してきました.しかし突然のプロジェクトの停止によっ
て解雇されることになり,非常に動揺しています.今から次の研究職を見つけようにも
来年度の採用は現時点ではすでに終了している場合が多く,またこれで同様に雇われて
いる大勢の研究者が職を求めることにより,来年度の研究ポストを見つけることはほと
んど不可能です.
その研究ポスト自体も若手研究者支援削減等の判断により減ることが明白になって
います.私は、今年の夏に新たに子供をもうけ家族のためにも研究に力が入っていまし
たが,次の職の当てもないままに突然の解雇により妻一人・子一人を養っていかなけれ
ばいけず暗澹たる思いでいっぱいです.日本に自分の能力が発揮できる場所が無ければ,
当然あとは海外のポストを求めざるを得ず,来年度以降どうするべきか,今は研究どこ
ろではなく,無職になることを覚悟した上で行動を開始せざるを得ないのです.

(研究者B 男性(31歳))
スパコン凍結に関しまして、現場に携わる者の立場から意見を述べさせていただきま
す。世間の報道では、スパコンのハードウェアへの投資費用に目をあてられますが、こ
のプロジェクトには「次世代生命体統合シミュレーションソフトウェアの研究開発」と
いうソフトウェアの研究開発プロジェクトが含まれており、このお金で約40名もの研
究員が専属に雇われているという事実をご存知でしょうか。
今回の予算の凍結は、すなわちこの研究に従事している我々研究員全員の失職を意味
します。
行政刷新会議によりこれから行おうとしていることは、切れるものは切るというより
も、生命維持に最低限必要なものまで切ってしまうことだといっても過言ではありませ
ん。私は最近結婚し、家族を支えながらこの仕事をしており、家族をもつ多くの研究者
が路頭に迷うことは大きな社会問題になります。私は、日本においてこれから研究を続
けていくことに大きな不安を感じています。もしこれからも短期的な費用対効果のみを
求める方針が続くのであれば、海外にその職を求めざるをえません。

どうかこの問題を強く認識して、スパコンの継続を再検討していただき、自国の技術
発展に理解ある対応をお願い申し上げます。

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