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臨時 vol 377 「医療全体の底上げの必要性と効率化の要請」

医療ガバナンス学会 (2009年12月1日 08:00)


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評論家/元財務官僚  村上正泰

2009年12月1日 MRIC by 医療ガバナンス学会 http://medg.jp


来年度の診療報酬改定率をめぐる駆け引きが激しくなっている。財務省主計局は(どこまで本気かは分からないが)あくまで医療費の配分の見直しによって財源を捻出し、全体としては医療費の伸びを大きく抑制しようとしている。しかし、すでに多くの医療関係者が警鐘を鳴らしているように、それでは現下の「医療崩壊」と言われている状況を解決することはできない。むしろ百害あって一利なしである。
今の医療現場は、医師不足の深刻化、地域医療の荒廃、救急医療体制の不備、市町村国保の保険料未納率の上昇など、国民が安心して安全な医療を受けられない状況へと追い込まれている。その最大の原因がこれまでの医療費抑制政策にあることは火を見るよりも明らかである(詳細については、財務省から厚生労働省に出向した時の経験も交えて執筆した拙著『医療崩壊の真犯人』〔PHP新書〕を参照のこと)。我が国の高齢化率は世界一であるにもかかわらず、総医療費の対国民総生産(GDP)比は国際的に見てきわめて低い。しかも、わが国は国民皆保険であるにもかかわらず、公的医療費の対GDP比は、公的医療保険が高齢者・障害者向けのメディケアと低所得者向けのメディケイドしかないアメリカよりも、低い水準に抑えられているのである。冷静に考えてみれば、これがいかに驚くべき事態であるかは誰の目にも明らかであろう。
したがって、現状における喫緊の課題は、拙著『医療崩壊の真犯人』〔PHP新書〕でも繰り返し強調したように、医療費抑制政策からの脱却であり、医療費を増額し、医療全体の底上げを図ることである。今度の診療報酬改定はその試金石であり、そこには「プラス改定なくして医療再生なし」という姿勢が不可欠である。
こうした点について、医療現場の実情を少しでも知る人の間では、共通認識ができているように思われる。だが、その一方で、多くの国民の間には、「医療費にも”無駄”があるのではないか」「医療の効率化も進めるべきではないか」「効率化する前に医療費を増やすというのは納得できない」という素朴な声があるのも事実である。そして、医療費にも効率化の余地があることも、これまた否定できない事実なのだ。
たとえば、しばしば指摘されるように、ちょっとした風邪や腹痛であっても病院をいろいろ渡り歩き、同じような検査を受けて同じような薬を処方され、結局、服用しないで家の中に薬が溜まっていくというようなことがある。多くの人は周囲を見渡すと少なからずこうした例が思い浮かぶ。そこで、行政刷新会議の事業仕分けに仕分け人として参加していたある民間金融機関エコノミストも、著書の中で、「本来、分業すべき各階層の医療機関に対し、基本的に患者のアクセスを自由にしているため、高度な機能を持つ旗艦病院への集中現象が起こる」「『渡り行為』を繰り返す患者に対して、たとえ重複した投薬や処置が行われても、チェックする仕組みは存在しない」「各医療機関の連携を実現することが、旗艦病院や地域中核病院への負担を減らし、救急搬送の受け入れ拒否を抑止することになるだろう」「政治主導の下で、各階層の医療機関の役割分担を明確にする必要がある」などと主張している。
こうした主張にもっともな点が含まれていることは否定できない。私自身同じような認識を持っている部分も多い。さらに、厚生労働省も同じような問題意識から、かねてより医療機関の機能分化ということを言ってきたのも周知の通りである。だが、言うは易く行うは難しで、なかなかそのようには進んでいない。そこには医療の効率化というものの難しさがある。
公共工事であれば、この道路を造るのを止めるとか、あの橋を造るのを止めるという判断をすれば、事業は完全にストップしてしまうので、その分の予算も浮くことになる。もちろんその場合であっても、地域経済への影響や公共交通ネットワークのあり方など、さまざまな判断材料が絡んでくるが、公共事業を削減しようと思えば(政策判断としての良し悪しは別として)いとも簡単に実現できる。
しかしながら、医療においては、どこかに無駄があるからと言って、それをすぐになくすということはおおよそ困難である。患者が必要な医療を求めて医療機関を受診し、それぞれの医療機関において、それぞれの医師の判断の下に必要な治療が行われる。そうした個々の営みの積み重ねの中で、医療制度全体が運営されているのである。日本は統制経済国家ではない以上、政府の思いのままに患者や医療機関の行動をすべてコントロールすることはできない。実際、これまでも厚生労働省が、診療報酬の点数上、さまざまな政策誘導を行おうとしてきたが、ほとんどうまくいかず、失敗に終わっている。設計主義的に社会の動きをコントロールしようとしても、うまくいかないばかりか、往々にして弊害の方が多いのである。
そこで、先の「渡り行為」について言えば、イギリスのGP(General Practitioner)のような形で「かかりつけ医」なり「家庭医」を制度化すべきではないかという議論も出てくる。私自身も、どこまで厳格に制度化するかどうかは別として、そうした方向での検討が必要ではないかと思っている。しかし、その場合でも、国民が安心して診てもらえる「かかりつけ医」なり「家庭医」をしっかりと養成していくことが大前提となってくる。さらには、地域で医療連携の仕組みを構築することも不可欠である。こうした体制を整備するためには、相当の年月を要するはずである。決して拙速に実現できるものではない。
さらに、「渡り行為」の他にも、わが国ではジェネリック医薬品の普及率が低く、もっと普及を促進すれば、その分だけ医療費が抑えられるのではないかとの議論もある。しかしながら、政府がジェネリック医薬品を普及させようとしても、一気に普及して医療費が下がるというようなことはあり得ない。そもそもジェネリック医薬品の有効性や安全性の確認などの条件整備が必要であり、単に普及しさえすればいいというものではないし、本来的に普及には時間がかかるものである。また、一部の公立病院などでは高コスト体質に起因する非効率が多いと言われている。だからと言って、財政的に締め付けさえすればいいというものではない。地域医療のあり方に関するビジョンもないままに財政削減を進めても、地域医療は崩壊するだけである。非効率を是正する一方で、むしろ必要な部分には十分な資金を振り向けていかなければならない。
このように、もちろん医療には効率化の余地があるのは事実だけれども、それは一朝一夕に可能なものではなく、中長期的に時間をかけて漸進的に実現すべき性格のものなのである。この点をしっかりと理解しておく必要がある。すなわち、「医療費の効率化を進めてから医療費の増加を図るべきだ」と言っていると、いつまでたってもなかなか医療費を増加させることができず、その結果、これまでの医療費抑制政策によって作り出されたひずみを是正することができないままに、わが国の医療制度はますます崩壊の道を転げ落ちていくことになる。
医療費の増加は、医療再生のための十分条件ではないけれども、必要条件である。資源投入を増やさないことには、医療再生などどだい無理な話である。今、我々にとって重要なことは、中長期的な医療の効率化の道筋を見定めながら、喫緊の対応として、医療費を増額し、わが国の医療制度を危機から救うことである。決してこの順番を間違えてはならない。冒頭で紹介したような財務省主計局のスタンスは、その間違いの典型である。次期診療報酬改定においては、むしろ医療全体の底上げを図っていくことが求められているのである。

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