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臨時 vol 378 「薬価維持特例制度でドラッグラグは解消しない」

医療ガバナンス学会 (2009年12月2日 06:00)


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慶應義塾大学グローバルセキュリティ研究所
辻 香織

2009年12月2日 MRIC by 医療ガバナンス学会 http://medg.jp


【ドラッグラグに関する新たな迷信】
ドラッグラグや未承認薬の取扱いに関する議論が再燃している。かつてドラッグラグ
の原因については,「PMDAの審査が遅いから」,「日本企業が海外に出て行ってしまった
から」,「治験が空洞化しているから」などなど様々な迷信が流布してきた。ここ数年の
間にいくつかの研究結果が報告され,ラグの主要な構成要素は日本での開発着手の遅れ
であることが漸くコンセンサスとなってきた。筆者の研究でも,1999年から2007年に
米国,EU,日本のいずれかで承認された臨床的に重要な新医薬品(既存治療に比べ明ら
かに高い有用性を有するとして審査上の優遇措置を受けたもの)135薬剤のうち78薬
剤,約6割については,海外で承認になった時点で日本でのアクションが起きていなか
った(1, 2)。
当然,製薬企業はなぜ日本での開発を早く始めないのかという話になる。そして新た
に登場したのが「日本は薬価がだんだん安くなる魅力のない市場だから,儲からないか
ら,製薬企業は後回しにする」という迷信である。

【薬価算定の仕組みはたしかにおかしい】
この「薬価がだんだん安くなる」は本当である。薬価は,承認申請時に提出された臨
床試験結果に基づいて算定される。承認前に収集されたデータはわずかであり,市販後
に新たな情報が付加され,その実質的な価値は変わってくる。承認前にはわからなかっ
た副作用が見つかる場合もあれば,臨床での実績が積まれるにしたがって有効性がより
明確になる場合もある。承認された適応症以外の疾患に対する有用性が明らかになるこ
ともしばしばある。本来,医薬品の価格にはその「価値」が反映されるべきと考えるな
ら,承認時に算定された薬価が,定期的な薬価改定を経て自動的に下がっていく仕組み
はたしかにおかしいのである。
そもそも承認時の薬価算定の方式自体,医薬品の「価値」が適正に反映される仕組み
になどなっていない。画期性があれば最大120%加算,有用性が高ければ最大60%加算な
どと決められており,その数値も薬剤経済学的な分析に基づいたものではなくテキトウ
である。これらの類似薬効方式とは考え方の異なる原価計算方式(開発・製造コストに
基づいて製薬企業の営業利益率がある範囲内になるように算定するもの)が併存してい
るかと思えば,最終的に海外の価格との間にあまり差が生じないような調整も行う。そ
の医薬品にどのくらいの「価値」があるかをきちんと算定しようというポリシーがない
のだ。

【薬価維持特例制度とは】
このような課題山積の薬価制度改革議論にあって,製薬団体はなぜか「薬価維持特例
制度」の導入を強硬に主張している。これは「画期的な新薬の薬価を後発品発売まで維
持し、その後の後発品の発売に合わせてそれまで維持した分の薬価を一括して引き下げ
る」というものだ。つまり,「せっかく良い薬を出したのに,薬価改定でだんだん安く
なるのではたまらない。後発品が出るまではそのままにして利益を確保させてくれ。そ
のかわり後発品が出たらその分下げていいから」という意味だ。後発品対策の何物にも
見えないが,製薬業界の主張としては理解可能である。しかし驚くのは,その背景とし
てドラッグラグの問題を持ち出し,「画期的新薬に適正な薬価がつき,その価格が維持
されて利益が確保されれば,インセンティブがつき研究開発投資が促進されるので,ド
ラッグラグがなくなる」という飛躍した議論を展開していることだ。

【そもそも日本での医薬品価格は安いのか】
医薬品価格の国際比較により日本の薬価が安いということを明らかにした研究はな
い。これまで行われた医薬品価格の国際比較の大半は,各国の医薬品市場全体の比較を
行ったものであり,そこからも日本の医薬品価格水準が低いという結果は出ていない。
海外の高い新薬が軒並み使えない状況にある日本の価格水準が低くないというのは,む
しろ不思議な気がするくらいだ。ここ数年の新医薬品の算定薬価を見ても,海外より安
いという印象は受けないし,高いものもある。サリドマイドやフローランのように海外
の数倍の価格になっているものまである。筆者は,厚生労働省や中医協,製薬業界の薬
価関連の担当者に,この問題について何度も質問をしているが,日本の医薬品価格が低
い,あるいは画期性・有用性加算が不十分であるというエビデンスが示されたことはな
い。

【なぜ開発着手が滞っているのか】
先に述べたように,臨床的に重要な135薬剤のうち78薬剤について,海外で承認に
なった時点で日本でのアクションは起きていなかった。その内訳を見てみよう。35薬
剤については,海外で承認された時点で開発企業の日本法人が存在していない。うち
22薬剤については海外での承認後に日本企業がライセンスを取得したが,13薬剤につ
いては日本での開発を手掛ける企業が未だに決定していない。これら海外企業の多くは
いわゆるベンチャーであり,稀少癌治療薬や先天性代謝異常症治療薬など,いわゆるウ
ルトラオーファンドラッグを手掛けている。欧米での開発段階では,パートナーのいな
い日本はグローバル開発計画には入っておらず,承認されてやっと日本へのライセンシ
ングの検討が始まるのだ。この時点ですでに5年,10年のラグが生じている。
残る43薬剤については海外企業の日本法人は存在している。開発着手が滞ったのは
日本法人での優先順位が低いためであろう。これらの多くはやはり稀少疾患治療薬であ
り,患者数がきわめて少なく治験が成立しにくい。臨床評価が困難で失敗のリスクが伴
う小児神経科の薬剤が多いことも特徴である。
これらの薬剤には市場が小さいという特徴がたしかにある。薬価維持がインセンティ
ブになるという考えも出てくるだろう。しかし考えてみてほしい。薬価維持特例制度に
よって確保される追加的利益はさほどのものとは思われない。仮に年間50億円規模の
売上が1~2割上がったからといって,それまで気づいてもいなかった海外ベンチャー
の製品に目が向くだろうか。失敗リスクのある臨床試験を積極的に行うだろうか。わず
かに増えた利益を研究開発投資にまわしたとして,次の画期的新薬を生み出せるという
保証がどこにあるだろう。

【コスト側要因の議論のほうがはるかに大事】
筆者は,外資系製薬企業で12年間医薬品開発に携わっていた。その経験から言えば,
「日本は薬価が安いので後回しにしよう」という議論がなされたことは一度もない。日
本の医薬品市場は,現在も世界第2位の巨大市場である。薬価改定による価格低下を含
めても,日本でのセールス予測を行えば,必ず魅力的な数字がはじかれる。グローバル
企業が日本市場を無視できるわけがないのだ。相対的に市場が小さいとはいえ,稀少癌
や先天性代謝異常症治療薬には高薬価が算定されている。どうでもいい市場ではない。
「海外で承認されるまで気づいていない」という問題は別として,企業が開発着手を躊
躇する要因について議論するならば,コスト側要因の議論のほうがよほど大事だ。
海外で十分な臨床データが蓄積されていても,日本での臨床試験はほぼ必須である。
必須であることは否定しないが,日本人の臨床データがどの程度必要かということにつ
いて基準が曖昧であることは大きな問題である。グローバル企業からみて日本は「よく
わからない国」であり,どこまでやれば承認してもらえるかということを議論するため
に企業は膨大な調整コストを払う。数人の患者しか存在しないのに日本での単独の臨床
試験をやる,やらないで何年ももめていたケースは一つや二つではない。加えて,医療
現場は臨床試験に人手を割く余裕がなく,したがってレベルも上がらない。海外とは医
療環境が異なり標準的に用いられる併用薬も異なるから,日本は国際共同治験に入れず
立ち遅れるという悪循環を招く。日本で規制当局が満足するだけのデータを収集し,そ
れをきれいに整理した申請資料を作成し,懇切丁寧に解説して審査をクリアするために,
日本では他国とは比べものにならないほどのコストを要するのである。リターン側を上
げるために薬価問題を議論するより,コスト側要因について議論するほうがはるかに重
要である。

【そしてコンパッショネートユース】
日本が抱えるもう一つの問題は,「承認」以外のアクセス方法がないことだ。医薬品
は長い開発期間,承認審査期間を経て市場に提供される。他に治療方法がなくなった患
者にとって,承認前の薬剤を使いたいと考える状況は必ず生じる。そのため諸外国では
正式な承認のほかに「仮承認」の制度があるし,緊急時に一時的に未承認薬を使えるた
めの制度もある。米国では治験薬の治療目的使用(treatment IND)の制度があるし,
ヨーロッパでは一定のルールのもとに未承認薬を購入できる仕組み(コンパッショネー
トユース)が整っている。ドラッグラグがほとんどない米国,英国でもきちんとした法
整備のもとにこれらの仕組みが確立されているのは,承認以外のアクセス方法が必須で
あるからだ。ところが,海外の標準薬が開発すらされていない日本においてこうした仕
組みが存在せず,何ら制限のない個人輸入が放置されていることはあまりにもバランス
を欠いている。ドラッグラグを小さくするための施策は促進されるべきだが,ドラッグ
ラグは不可避であるとの認識のもと,未承認薬へのアクセスに関するルールの整備は必
須である。

【短絡的な議論はやめよう】
先述したように,現行の薬価制度はさまざまな問題を抱えている。薬価制度改革は今
後の医療制度改革において重要な位置を占めるであろう。しかしながら、薬価制度を少
しいじるくらいのことでドラッグラグが解消されるなどということは決してない。それ
でなくても,医療の自己負担率が高いという問題を解決しないままに薬価の上方修正を
行えば,ドラッグラグは解消しないのに患者負担だけが高くなるという事態を招きかね
ない。
ドラッグラグは,臨床試験等にかかる負担と承認要件とのバランス,コンパッショネ
ートユースのあり方などを含めた総合的な議論によって解決の方向を探るべき問題だ。
短絡的な議論は止め,冷静にこの問題と向き合っていかなければならないと強く思う。

【引用文献】
(1) 辻 香織.ドラッグラグは本当になくなるのか?MRIC vol.211
(2) 辻 香織.日本におけるドラッグラグの現状と要因‐新有効成分含有医薬品398薬剤を対象とした米国・EUとの比較‐.薬理と治療 2009; 37(6): 457-495

オンライン版↓

http://www.lifescience.co.jp/yk/jpt_online/review0906/index_review.htm

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