医療ガバナンス学会 (2009年12月7日 06:00)
被保険者の保険受給権は法律に書いてある範囲内のものにすぎず、受給権を奪うものではないから財産権の侵害ではないというこの理屈は、詭弁である。健康保険受給権は、そんなに弱い権利ではない。
健康保険によく似た社会保障である公的年金は、財産権として非常に強く守られている。どちらも被保険者が保険料を強制徴収され、国によってその対価としての保険を給付されるシステムである。年金受給者の年金をどのような合理的な理由があろうと財政破綻でもない限り、国の事情や都合で後から立法された法律で、大幅に減額したり、消滅することは許されない。個人に対しても、高額な個人年金を契約したからといって、公的年金を減額したり、剥奪することはありえない。さらにいえば、個人が犯罪行為を行っても年金受給権は奪われない。これらは、社会保障の一環として立法によって付与された年金受給権が個人の行為や後の法律によって大幅に減額したり、消したりできない財産権であることを示している。
健康保険受給権もまったく同じ財産権である。健康保険料を正しく支払った被保険者が、犯罪行為でもない保険外診療を一つ受けたからといって、当然受けるべき給付をすべて奪われるのは、財産権の侵害そのものである。しかも後から立法した保険外併用療養費制度の明文規定もない解釈で、財産権を奪われるのである。
「もともと被保険者には保険診療は保険料の対価として保険でカバーしてもらえる権利がある。保険外併用療養費として定められた場合以外に、保険のきかない治療を受けたのは、自由診療であるから、いちいち規定がなくても医療機関と患者の私法上の契約により医療機関にはその支払い請求権があるはずである。そのような私法上の契約をした瞬間に、被保険者は保険診療を受ける権利を失う(医療機関は保険負担分を健康保険組合に支払ってもらう権利を失う)とするなら、その旨の明文の規定が必要だが、健保法の規定だけではそのような重大なことを規定しているとはいえない。
法律の根拠なき権利剥奪行政は、侵害留保理論が浸透している今日はほとんど例がないが、これはその稀な例である。…中略… したがって、混合診療を禁止するには、その旨の明文の規定を置かなければならない。しかも、保険診療を受ける権利は、社会福祉手当のような立法政策に大幅に依存する権利ではなく、強制徴収された保険料の対価である財産権であるから、憲法29条により保障されている。保険外診療を自費で受けた瞬間に、誰に迷惑をかけるわけでもないのに、保険診療を受ける権利を奪われる合理的な理由は見出せないのである。」
二審判決は、保険受給権は国が創設した制度により政策的に与えられた権利にすぎないというが、被保険者が支払う保険料は、国民皆保険制度により、税金とは別に国に強制徴収されたものである。それは、国の設けた制度によって国民が納税者として一方的に受ける政策的サービスというようなものではなく、保険料を払うことによって生ずる、保険診療に対する保険給付という非常に強い対価としての給付契約であって、国家といえども簡単に奪うことのできない財産権というべきものである。
また混合診療による被保険者の保険受給権剥奪は立法の裁量範囲だと判決はいうが、では国民が義務として支払った年金保険料の対価である年金の受給権を、民間の高額な個人年金を契約したからといって国が奪うことができるのか、たとえば私塾に通う公立中学校の子女の親は国の負担したその子女の義務教育費を返還しなければならないのか。混合診療で受ける保険外診療は、合法的に存在し、個人が全額自費で受けるものである。個人年金や塾と同質である。
このように、保険受給権を奪う国の手段は裁量合理性を超えて、憲法に違反している。したがって混合診療禁止とそれを担保するための保険受給権剥奪という国の法解釈が、憲法29条を侵していることは明らかである。
国が、立法府の裁量を広く認めたという堀木訴訟は障害福祉年金と児童扶養手当の併給禁止に対する違憲訴訟である。最高裁は判決で、立法府の裁量を認め、原告敗訴としたが、年金保険料の対価である障害福祉年金は財産権に属するとしても、児童扶養手当は、被上告人のいう国の政策で与えられた権利にすぎないといえる。最高裁の判断の根拠もそこにあると思われる。しかし、健康保険の受給権はそのようなものではない。強制徴収された保険料の対価としての財産権である。
最後に、法律学者の意見を付け加える。「国家が「社会福祉,社会保障及び公衆衛生の向上及び増進」(憲法25条2項)の目的で運営する社会保険においては,保険者が保険需要の高い(病弱な)加入希望者を排除したり,実際の医療需要の中のごく一部分に対してだけ保険給付を行うといった方法を採用することは,制度に課せられた公共的使命に照らしても許されることではない。すなわち,全ての利用者について「制度を悪用する」逆選択を許さないという仕組みを作り上げることによって,民間保険では排除されてしまう(あるいは十分な給付を受けられない)大きな医療需要を抱える者をも支えようとする点に,社会保険の強制加入制度が憲法上是認される根拠を求めることができる。
しかし,ここで注意しなければならないことは,たとえ健康で病気に罹患する可能性の低いと思われる者であっても,将来実際に病気になった場合には,保険料の強制的徴収の対価としての反対給付を受ける権利を奪われることがないという点である。前記昭和33年大法廷判決における「国民の相扶共済の精神」に基づき,「保険事故を生ずべき者の全部」を対象として保険を運営するとのくだりは,この点を当然の前提として含んでいるものと考えられる。
そうであるとするならば,現行法上何ら明文規定が存在しない中,単なる「反対解釈」というだけのあいまいな根拠で,現実に保険事故が発生している被保険者が自由診療部分の付加行為(それ自体は保険集団を構成する他のメンバーに対して何らの損害を与えることもない行為である)を行なったことのみをもって,「療養の給付」を拒否するという措置は,強制加入の合憲性を支える基盤であるところの「拠出と給付との間の牽連性」の考え方から大きく逸脱し,極めて違憲の疑いが強いという結論に至るものと考えられる。」
まとめ
以上述べてきたとおり、私のがんの進行を抑制する治療を奪った混合診療禁止原則が法的根拠を持っていないこと、および持っているとする国や二審判決の法解釈や健保法の法規定が違憲であることを訴えたい。私が手術できない部位へのがん転移を告げられたとき、治療方法はインターフェロンとLAKの二つしかなかった。そのLAKを受けただけでインターフェロンまで全額自費となって実質的に奪われるのは、あまりに理不尽である。
法治国家日本で法的根拠もなく国民の権利が奪われ、民主国家日本で憲法に謳われた基本的人権が踏みにじられることは耐え難い。私の後にもがん患者は延々と続く。希望する必要な治療を行ったために身体的にも経済的にもそして精神的にも立ち上がれないほどの窮地に追い込まれている患者のために、そして公正で民主的な法秩序のために最高裁判所の英断を期待する。