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臨時 vol 44 「医学生の立場から提案する医療危機対策」

医療ガバナンス学会 (2009年3月9日 14:29)


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1、日本で骨髄移植が受けられない?!

「まさか…」。 初めて骨髄移植問題を知った時の率直な感想は、このような
ものでした。血液腫瘍の患者さんに対する骨髄移植は、大学の臨床実習でも目に
する一般的な治療法です。そのため、日本中の病院で骨髄移植が行えなくなるな
ど、私には俄かに信じられない話だったのです。

しかしここ数年、医療の分野において、次から次へと新たな問題が報道されて
いるのも事実です。大野病院産婦人科医の刑事告発、公立病院の相次ぐ閉鎖、ハ
イリスク医療からの撤退。最近では、鳥取大学の医学部附属病院緊急救命センター
専門医師全員が、3月末で離職するという報道もありました。どれも、私が大学
受験をした5,6年前には、考えてもいなかった事件ばかりです。しかし、度重な
る事故や事件報道により、医療現場は疲弊し、その一方、医学生の感覚もかなり
麻痺してきた気がします。実際、今回の事態を信じられないと思う一方で、今の
医療界ではどんな問題が起きても不思議ではないと感じている自分もいました。


2、骨髄移植フィルター 『ボーンマロウコレクションキット』

問題の発端は昨年の末に遡ります。米国の医療機器メーカーであるバクスター
社が、世界金融危機のあおりを受け、不採算部門である血液事業からの撤退を余
儀なくされたのです。それに伴い、バクスター社が生産していた骨髄移植フィル
ター「ボーンマロウコレクションキット」を、日本国内で入手することが困難と
なりました。ボーンマロウコレクションキットは、ドナーから採取した骨髄液か
ら骨片や凝血塊を取り除くために用いるフィルターです。骨髄移植の実施には不
可欠な医療機器で、この報道によって、日本中の医療機関や患者の間に不安が広
がっていきました。

問題が発覚した12月の段階で、バクスタージャパンは国内の在庫を493セット
と発表しました。国内での1ヵ月当たりの消費数は約150セットだったので、厚生
労働省は当初、3ヶ月強の在庫はあると楽観視していました。しかし、事態は厚
労省の予想よりも深刻でした。なんと1月半ばまでに、実に400セットあまりのフィ
ルターが出荷され、バクスタージャパンの在庫が100個を切ってしまったのです。
何故このような事態が引き起こされてしまったのでしょうか。


3、フィルター問題とトイレットペーパー騒動

原因は、症例数の急激な増加ではありませんでした。十分な情報開示もなく、
骨髄移植フィルターの供給がいつ再開されるか見通しが立たない中、各医療機関
が在庫確保に奔走したことが、在庫激減の原因だったのです。しかし、症例数が
増えてないからといって安心できるほど、事は単純ではありません。当然のこと
ながら、各病院は自らの病院で骨髄移植を安全に行えることを、第一義としてい
ます。そのため、再供給の情報が十分でない状況では、在庫切れとなった他の医
療機関から骨髄移植フィルターの融通を打診されたとしても、将来への見通しの
不安から、その要請に応じることができません。このため、日本のどこかに在庫
はあるのに骨髄移植を受けることができないという不幸な事態に陥ってしまうの
です。

過去を振り返ってみると、第一次オイルショックでも日本は似たような事態を
経験しています。トイレットペーパーの買い付け騒動です。大阪府千里ニュータ
ウンの大丸ピーコックストアで始まったパニックは、瞬く間に日本中に広がって
いきます。マスコミの報道に踊らされた人々は、日夜トイレットペーパーを買う
ためにスーパーやデパートに押し掛けました。しかし、半年も経たないうちに、
トイレットペーパーが無くなるという情報は根も葉もないものであったことが明
らかになります。実際、トイレットペーパー騒動が起きている最中もトイレット
ペーパーの生産量は安定しており、徐々に増加さえしていたのです。


4、二つの事件から見える情報開示の重要性

この2つの事件に共通しているのは、正しい情報を適切な方法で国民に与える
という役割を、国が果たせなかった点です。前述の通り、厚労省は1月23日まで、
フィルター問題に関する情報や方針を明らかにしませんでした。その結果、患者
や医療者は不安を感じ、日本中の医療機関が「われ先に」と骨髄移植フィルター
に殺到したのです。

一方、トイレットペーパー騒動も実に5カ月近く続いたといいます。「紙がな
くなる」という誤った噂や報道が飛び交う中で、国は正しい情報を国民に発信し
ていたのでしょうか。もし仮に国から正しい情報が発信されていたのだとしても、
実際のところ国民にはしっかりと伝わっておらず、混乱の速やかな解消にはつな
がりませんでした。正しい情報がない中では人間は疑心暗鬼に陥り、パニック状
態を引き起こしてしまいます。新旧2つの事件は、情報開示の重要性を、私たち
に改めて示しているのです。

次の項では、現在の世界金融危機への各国の対応を見ながら、危機対策や、危
機対策を実際に行う上で歴史に学ぶ重要性を、再確認することにします。


5、世界金融危機に見る危機管理能力の向上

バブル崩壊に始まった長期不況が「失われた10年」と呼ばれているのは皆さん
の知るところです。1996年に景気回復への機運を見せていた日本経済は、1997年、
タイを発端とする東アジア通貨危機、橋本内閣が進めた財政構造改革、消費税の
引き上げや特別減税の廃止による大幅な増税によって、急速に冷え込みます。更
に、同年11月、三洋証券の破綻は日本経済に追い打ちをかけました。その結果、
市場の信用収縮が急速に進んで銀行間での資金調達が困難になり、北海道拓殖銀
行は、三洋証券の破綻からわずか2週間後に破綻を迎えます。その後、市場の信
用収縮は一層悪化し、拓銀の破綻から1週間後には山一証券、更に1998年には長
期信用銀行の破綻につながっていったのです。一連の流れの中で、当時の政府や
日銀は、金融機関の信用を回復させ、市場に安定を取り戻すという役割を果たす
ことはできませんでした。

一方、今回の世界的な金融危機はまだまだ拡大する気配を見せていますが、金
融危機が明らかになった後の各国の対応に限れば、過去の金融危機の教訓を踏ま
えたものになっていると言えます。例えば、アメリカのFRBはAIGやバンクオ
ブアメリカ、シティバンクに対して何度も大規模な公的資金を投入していますし
イギリスの住宅ローン第5位のノーザンロックで信用収縮からの取り付け騒ぎが
起きた際にも、イギリス財務省は預金を全額保護する旨を公表、更にイングラン
ド銀行が資金の貸付を行うことで事態の収拾に努めました。今回の金融危機にお
ける各国の対応を良い手本として学び、日本の医療も骨髄移植フィルター問題で
の失敗から、医療での危機対策を確立していく必要があるのです。


6、医療危機を繰り返さないために 

前述の通り、現在の世界はアメリカを発端とする金融危機に見舞われており、
その影響は実体経済にも大きな影を落としています。製薬業界もその例外ではあ
りません。世界1位のファイザーでさえ、リピトールのパテントが切れるのを前
にワイスを買収するなど、なりふり構わない経営戦略を展開しています。小規模
の製薬企業であれば、日本市場からの撤退は十分にありえる状態です。また、経
済的な状況を抜きにしても、そもそも薬価が安く、パテントが切れた後もある程
度の薬価を見込める日本市場は、外資の企業には決して魅力的ではありません。
その上、今回の骨髄移植フィルターのように市場規模自体が小さい製品は、不採
算部門として切り捨てられる可能性を常に抱えていると言えます。

現に、昨年11月には、大日本住友製薬の抗がん剤テスパミン注射液が供給停止
となりました。この場合には代替薬があったために大きな混乱を招くことはあり
ませんでしたが、単に幸運であったというだけのことです。今後、経済危機が長
期化する可能性を踏まえると、新たなボーンマロウコレクションキットやテスパ
ミン注射剤がいつ現れてもおかしくない状況であり、運に頼らない国家的な医療
危機対策が絶対に必要なのです。


7、医療危機対策の提案

医療危機対策を立て、医薬品や医療機器を安定的かつ安全に医療現場に届ける
には、世界の経済状況やバイオ業界、更には日本の薬事行政を踏まえつつ、長期
的な戦略のもとに行動することが必要です。問題発覚後に危機拡大防止のために
速やかに行動することは当然重要ですが、国民の命に関わることですから、危機
の予防に重点を置いて対策を立てる意識がより重要なのです。

以下で、私たちが考える医療危機対策法案の具体的なあり方についてお話し
せていただきます。

1) 長期的な戦略によるリスクの減少

繰り返しになりますが、ボーンマロウコレクションキットの供給中止が日本に
おいて大きな問題となったのは、同製品が骨髄移植フィルターとして薬事承認を
受けた唯一の製品であったことが原因でした。骨髄移植をはじめとする市場規模
が小さく参入事業者が少ない医薬品や医療機器は、生産拠点を単一の工場に集約
して世界中に向けた製品供給を行っている場合が多く、その安定供給に大きなリ
スクを内在しています。この点を踏まえると、まず行うべきは、日本国内におい
て当該リスクを抱える医薬品及び医療機器を把握することです。加えて、その情
報を頻繁に更新することも必要になります。昨今の経済情勢の変化は急激であり、
その流れについていくことを怠ると、あっと言う間に取り残されてしまうからで


次に、当該医薬品及び医療機器の、競合製品あるいは代替製品の薬事承認を促
進することが必要です。それによって、ひとつでも多くの医療分野において数社
が競合する環境を整え、突然の供給停止による医療危機のリスクを減らすことを
目指します。

2) 問題発生後の速やかな解決

勿論全ての危機を未然に防ぐことは不可能でしょう。そこで、緊急時には、代
替品の輸入を行う国内企業を募ることになります。今回の骨髄移植フィルター問
題においても、問題発覚後、アメリカのベンチャー企業であるバイオアクセス社
の代替品を、バクスタージャパンが輸入することになりました。この際に必要な
のは、適正な薬価を決めて、速やかに国内企業が参入できる環境を整えることで
す。というのは、新たに参入する企業にとって、他企業が撤退した市場に飛びこ
むことはリスクを伴うことだからです。しっかりとした薬価を決めて国がサポー
トをすることが、何より重要になります。

その後は、代替品の承認を急ピッチで進めることになります。一般に、医薬品
や医療機器の承認には、治験を中心とする長い道のりを経ねばならないことが知
られています。しかし、今回のような緊急時には、薬事法第14条の3『特例承
認』という項目を適用することで、代替品の承認を急ピッチで進めるべきです。
第一に優先すべきは、一刻も早く患者さんの手元に代替品が届くことなのです。


8、医療者と患者が治療に専念できる環境を提供するために

医療の危機対策は、個人のレベルではどうしようもできない国家的な問題です。
いかに一人ひとりの医療者がいい治療をしたいと思っていても、その環境が整っ
ていなければ十分な治療を行うことはできません。今回の骨髄移植問題で改めて
明らかになったのは、医療者と患者が治療に専念できる環境を整えることの重要
性です。そのためにも、命に直接関わる医療という分野は、経済危機や製薬会社
の撤退などに影響を受けてしまう貧弱な構造であってはなりません。そして、上
に挙げた危機対策法案は現状の改善のために必要だと考えています


9、学生の立場として

大学で共に臨床実習を行っている友人と話して感じることは、医療に集中する
ことが難しくなっている現在の医療現場に対して、魅力よりも将来の不安を感じ
ている学生が多いという点です。実際、臨床の現場を体験することなく、外資系
のコンサルタント会社や製薬会社、ベンチャー企業へ就職する人が増えていると
感じます。ですが、文句ばかり言っていても問題が解決しないことは言うまでも
ありません。学生の場合は、時間も十分にあるのだから、自分が理想とする医療
の姿を心に描いて、その志のもとに行動していくことも可能だと思います。その
意味で、今回、問題の解決に向けた草の根の活動に関われたのは、自分が何をし
たいか、どのような医者になりたいかということを改めて考えるきっかけにもな
り、非常に幸運だったと思っています。とにかく、自分の意思を持って行動する
ことです。

今、医療界には自分の意思を持って行動している方々が多くいます。全国骨髄
バンク推進連絡協議会の大谷貴子会長もその一人です。大谷さんは、今回の草の
根の活動の中心となり、問題解決のための6.5万筆もの署名を集める原動力にな
りました。暗いニュースも多い医療界ですが、医療改善への動きも着実に全国に
広がっているのです。

最後になりましたが、この提案を作るに当たって協力してくださった数々の先
生方に対して、深くお礼を申し上げたいと思います。先生方の助けがなければ、
この原稿の作成が叶わなかったのは言うまでもありません。ありがとうございま
した。

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