医療ガバナンス学会 (2010年1月18日 08:00)
1. これからが中医協における議論の本番です:本日(2010年1月15日)の中医協に、長妻厚生労働大臣は「平成22年度診療報酬改定について」という諮問書を提示しました。中医協では、社会保障審議会医療保険部会・医療部会が平成21年12月8日付でまとあめた「平成22年度診療報酬改定の基本方針」、平成22年12月9日付厚生労働省公表資料「平成22年度診療報酬改定について」に基づいて、今後2月12日を目途に答申をまとめるべく、検討を全速力で行っていくことになります。
2. 平成22年度深慮報酬改定の大枠:既に報道されておりますように、全体の改定率は+0.19% 診療報酬改定(本体)の改定率は+1.55%(医科+1.74%(入院+3.03%、外来+0.31%)、歯科(+2.09%)、調剤(+0.52%)で、薬価等の改定率は-1.36%(薬価改定-1.23%(薬価ベース-5.75%)、材料価格改定-0.13%)となっています。「医科については、急性期入院医療に概ね4000億円程度を配分することにする。また再診料や診療科間の配分の見直しを含め、従来以上に大幅な配分の見直しを行い、救急・産科・小児科・外科の充実等を図る。」という明確な記載があります。社会保障審議会両部会の「基本方針」では重点課題として(1)救急、産科、小児、外科等の医療の再建、(2)病院勤務医の負担の軽減(医療従事者の増員に努める医療機関への支援)の2点が示されています。
3. 現在の状況を産婦人科医の立場で整理してみます:私は、この間厚生労働省に対して、日本産科婦人科学会の医療改革委員会の担当者として、今回の診療報酬改定に関する要望を行ってきました。今、改定の基本方針と大枠が示された時点において、この2つの重点課題に深く関わる診療領域である産婦人科の医師が、どのような考えで、どのような要望を行ってきているのか、それは現時点でどの程度厚労省や中医協に伝わっているのか、という点について、整理しておきたいと思います。
4. 日本産科婦人科学会の平成22年度診療報酬改定に関する要望の内容:2009年6月1日付で日本産科婦人科学会は厚生労働省保険局長宛で「産科・周産期医療再建のための平成22年度診療報酬改定に関する要望書」を提出し、8項目の要望を行いました。その後、厚労省からの依頼で項目間の優先順位を決定し連絡しています。
(ア) 8項目の要望とその優先順位は以下の通りです。
① 「勤務環境確保加算」の新設
② ハイリスク分娩管理加算の算定要件、適応疾患、点数の改正
③ 「高度母体救命体制(M型)加算」の創設
④ 妊産婦救急加算の新設
⑤ 妊産婦緊急搬送入院加算の算定要件、点数の改正
⑥ 周産期医療における麻酔科の評価(妊産婦に対する麻酔への重点評価)
⑦ 新生児・母体緊急搬送料の新設(新設)
⑧ ハイリスク妊産婦共同管理料(Ⅰ)及び(Ⅱ)の算定要件、点数の改正
(イ) 周産期・救急医療体制の整備:上記8項目の内、②から⑧までは、この数年社会問題となってしまった、周産期医療における、病床不足、受入困難症例の頻発、母体救命救急体制の機能不全等に対応して、周産期医療の診療能力と救急医療分野をはじめとする関係諸診療分野との連携を強化し、周産期に係る救急患者の受入を促進することを目的としたものです。2008年の東京都における母体脳出血事例報道をきっかけとして、厚生労働省は、周産期救急医療体制整備の方策検討のために「周産期医療と救急医療の確保と連絡に関する懇談会」を設けました。この懇談会の報告等に基づいて、平成22年度以降、都道府県では「周産期医療体制整備計画」の改定を行うことになっています。これらの要望はそれに診療報酬の観点から対応するために必要な事項を、救急、新生児、麻酔の各分野の先生方と相談した上で日本産科婦人科学会の立場でまとめたものです。
(ウ) 「勤務環境確保加算」を最優先要望とした真意:
① 具体的内容;最優先要望とした「勤務環境確保加算」の具体的内容は以下のようなものです。(ここでは全診療領域を対象とした場合と、産科施設のみを対象とした場合の試算を示しています。産科だけを対象とした付加的な提案を行ったのは、財源上の必要から対象を限定するという議論になった場合の検討材料を提供するためです。基本は、よりよい勤務環境を追求する病院を評価し支援することを目指しています。)
1. 目的:医師の勤務状況の適正化を評価することによって、医療提供体制の安定化をはかること
2. 全診療領域を対象とする場合
(ア) 算定要件:以下のいずれかをみたすもの
① 当直体制を組み、時間外手当の支給が適正に行われている病院
② 交代制勤務を実施している病院
(イ) 加算:入院1日あたり100点
(ウ) 試算:平成19年の1日あたりの病院入院患者数は133万人 このうち上記の条件を満たす病院の病床数が20%と仮定して年間960億円の医療費増となる。
3. 産科施設のみを対象とする場合:帝王切開術に対する加算とする
(ア) 目的:産婦人科医等の勤務状況の適正化を評価することによって、医療提供体制の安定化をはかること
(イ) 算定要件: 産婦人科に関して当直体制または交代制勤務を組み、産科・周産期医療に従事する各診療科医師に対して時間外手当の支給が適正に行われている病院
(ウ) 加算:帝王切開術1件あたり10000点
(エ) 試算:帝王切開率は分娩全体の22%。病院の分娩数は50万件。条件を満たず病院の分娩が全体の20%と仮定すると、年間110億円医療費増となる。
② 内容の説明:
1. 基本的発想:この加算の発想は、「勤務環境整備に努力する病院」を応援しよう、ということです。医師不足の診療科で、患者ニーズに応えようとすれば過剰労働を避けることはできません。それは全国の病院の現場で常態化しています。多くの現場の医師は、患者さんがいて医療を必要としている以上、たとえ労働基準法の許容範囲を大幅に超えていたとしても、診療を続けることを選ぶと思いますし、また社会は医師にそれを期待していると考えられます。病院の現場はそんなところです。しかし、ものには限度があり、人間には体力気力の限界があります。過労死水準という言葉がありますが、忙しい病院の現場の医師は、生きて働いているので限りは問題化しませんが、死んでしまったとたん、過労死と認定されることになります。そのような「職場」が今の病院であり、そのような病院によって構成されているのがわが国の医療提供体制なのです。周産期、救急医療の現場はその典型だと思います。
2. 「過労死水準」病院からの脱却:この国には「過労死水準」病院だらけなのですが、そんな危険な職場には、普通は若い人は入ってきません。入ってきても長続きはできません。もし、これらの診療領域が国民にとって本当に必要なら、そんな危険で不安定な状況を続けてはいられません。この問題は一朝一夕に解決することはありません。根本的に人手が足りない中で医療提供を中断することはできないので、人手を少しずつでもなんとか増やしながら、少しでも良い勤務環境に改善していくという方策をとらざるを得ません。その過程で各病院には、最低限、違法状態ではない病院になるために努力してもらう必要があります。時間外勤務手当を完全支給するのは、当たり前のことですが、それが多くの病院で行われていないのが現実です(それが争点になったのが、奈良県立奈良病院の時時間外勤務手当支払い訴訟です。)。時間外手当をカットする際の病院側の言い訳は以下の2つです、①財源がない。(これは本当です。時間外勤務手当をちゃんと出していないのに、赤字の病院がたくさんあります。今の診療報酬は原価計算に基づいているわけではないので、人件費をちゃんと払うことができないのです。)②完全支給すると過労死水準以上で働かせていることが明らかになってしまう。労働基準監督署の指導が入れば救急医療の継続ができなくなる。(これは、患者さんをちゃんと診るためには、現場の医師は過労死水準でボランティア労働を続けなさい、という論理ですから到底世間で通用するようなものではありませんが、病院ではそんな屁理屈がまかり通ってきました。)
3. 対策:②の言い訳は論外です。2009年の愛育病院に対する労働基準監督署の指導において、問題となったのは、実態に即した36協定が締結されていないことと、その結果ただ働きをさせる結果になっていたことでした。ただ働きは強制労働と一緒ですから、たとえ患者さんのためであっても、許されるべきではありません。しかし、それは簡単には実現しません。①の財源を確保すること、それが、今回の加算要望の本当の目標です。ちゃんと働いてもらった分の人件費が払える病院にする、そして、病院が自ら積極的に勤務条件を改善するためのincentiveとして機能することを期待しています。
③ 今回の診療報酬改定になにを求めるか:医療現場の荒廃が一度の診療報酬改定で解決するはずはありません。わが国医療が再建され、国民が安心できる状況になるまでには、長い長い努力が必要なはずです。私は今回の診療報酬改定がその第一歩となることを期待しています。わが国の医療の将来に不安を感じている国民にたいして、我々が進むべき方向はどっちなのか、これからどこに向かって進んでいこうとしているのかが、示されることを期待しています。新しい政権で、どのような新たな視点が導入されたのか、どのような考えに基づいて、改定を行うのかが明確にわかるメッセージが必要だと思います。
④ 「勤務環境確保に努力する病院」へのincentiveを:2010年1月13日の中医協で示された「これまでの議論の整理(案)」によると、今のところ勤務環境確保に関しては、「病院勤務医の負担を軽減する体制を要件とした診療報酬項目を拡大するとともに、より勤務医の負担軽減につながる体制を要件とする」ということになっています。この記載がどこまで内容的にふくらんでいくかは、今後の中医協での検討次第です。地域医療、特に周産期・救急医療をきちんと提供しつつ勤務環境確保に努力する病院へのincentiveを実現し、多くの病院がそれを目指すようになるような診療報酬上の誘導が行われることを期待したいと思います。
5. 病院勤務医の負担を軽減できない場合はどうするのか
(ア) 絶対的に不足している産婦人科医:産婦人科医は提供すべき医療の量と比較して絶対的に不足しています。特に24時間対応を行っている病院の勤務医は、当直、オンコール、時間外呼び出し等のために、非常に長時間病院に拘束されています。2008年に日本産科婦人科学会が実施した調査では、当直体制をとっている産婦人科の勤務医は月間平均で295時間、在院していました。産婦人科という診療部門が安定し、国民や患者さんに不安を与えない状態になるためには、この長時間拘束を少しでも短縮していかなければならないと考えています。当直、オンコール、時間外呼び出しは他の職種では代替困難な医師の本来業務なので、この負担を軽減する方策は限られています。医療クラークの増員や、助産師、看護師の増員、チーム医療の推進では、この拘束時間を短縮することはできません。(もちろん、医療クラークやスタッフが増えれば、仕事自体は楽になると思います。それだけで解決の方向にむかう診療科もあるかもしれません。でも、産婦人科はそうはいきません。)当直やオンコールを担当する医師の数が増えることが必要なのです。医師不足が最悪の状態にある産婦人科ですから、この長時間拘束については、短期的には解決が非常に難しいことになります。しかし他の職種では代替できないので、産婦人科医療提供を続けるためには長時間在院を避けることができません。もとから無理なことを現場にやってもらわなければならないのです。
(イ) 長時間在院を「評価」し「処遇」する必要:産婦人科をはじめとする絶対的医師不足の診療部門では、当分の間、長時間在院を避けることができません。だとしたら、それを「評価」し、適切な「処遇」を行う必要があります。ボランティアやただ働きで、医療提供を確保することはできません。適正に評価し、それを処遇することによってはじめて、どれだけの医師が必要なのか、どのくらい足りないのかがわかるのです。(医師不足の実態がなかなか把握されなかった理由の一つは、現場でボランティア労働やただ働きが常態化していたからです。)
6. まとめ:医療提供をその質と量に応じて適切に評価し、それに対する適正な報酬が支払われること、私どもが希望していることはそれだけのことです。新しい政権には新鮮な視点で方向性を示してもらいたいと思います。今回の診療報酬改定が、医療現場の改善の長い道のりの第一歩となることを期待しています。
参考資料:「周産期医療の広場」 http://shusanki.org/