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vol 13 ボストン便り(9回目) アメリカ市場化医療の起源

医療ガバナンス学会 (2010年1月19日 08:00)


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ハーバード公衆衛生大学院リサーチ・フェロー、博士(社会学)
細田満和子(ほそだ みわこ)
2010年1月19日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp


紹介:ボストンはアメリカ東北部マサチューセッツ州の州都で、建国の地としての伝統を感じさせるとともに、革新的でラディカルな側面を持ち合わせている独特な街です。また、近郊も含めると単科・総合大学が100校くらいあり、世界中から研究者が集まってきています。そんなボストンから、保健医療や生活に関する話題をお届けします。

略歴:細田満和子(ほそだ みわこ)
ハーバード公衆衛生大学院リサーチ・フェロー。博士(社会学)。1992年東京大学文学部社会学科卒業。同大学大学院修士・博士課程を経て、02年から05年まで日本学術振興会特別研究員。05年から08年までコロンビア大学メイルマン公衆衛生校アソシエイト。08年9月より現職。主著に『「チーム医療」の理念と現実』(日本看護協会出版会)、『脳卒中を生きる意味―病いと障害の社会学』(青海社)。

【保健医療政策勉強会】
2008年9月にハーバードに着任してから、ボランタリックな活動として保健医療政策研究会(Health Policy Study Group)を主宰しています。私が所属する学部は、国際保健学部(Department of Global Health and Population)ですが、同僚達は文字通り世界中から集まっています。中国、韓国、イラン、イスラエル、ブラジル、タイ、ケニア、アメリカなど、皆その国の保健医療に関する専門家であり、中には実際に国の医療政策に携わってきた中央政府官僚もいます。アカデミック・バックグラウンドも、医学、公衆衛生、看護学、保健学、政治学、歴史学、社会学など多彩です。
このチャンスを逃す手はないと、それぞれの国の保健医療制度について紹介しあって理解を深めてゆこうという趣旨で、一昨年から研究会を始めたのでした。基本的に毎週1回、ランチタイムに1時間ほど集まり、発表者が自らの視点から自国の保健医療制度について解説します。質疑応答も活発で、あっという間に時間が過ぎてゆき、いつも発表者が用意した話の最後までなかなか辿り着かない状況です。
年明け最初の勉強会は、歴史学で博士号をとったアメリカ出身のジェシーで、アメリカ医療の歴史について面白い話をしてくれました。彼の発表によると、今日の市場原理で動くアメリカ医療の原型は、19世紀末からの科学的医療を支持したロックフェラー財団やカーネギー財団が、アメリカ医師会(American Medical Association: AMA)を牛耳る形で、1930年代までに作り上げてきたというのです。
今まで自分の持っていた知識から、アメリカでは19世紀の終わりごろから科学的医療が発展してきて、1930年代ごろに医師の専門職化が進展してきた、ということは知っていましたが、彼の話によると、科学的医療の正統化と医師の専門職化そのものが、巨大資本家の財団の目論見だったというのです。ジェシーの発表に触発され、図書館に走ってゆき、アメリカ医療史に関する本をいくつか紐解いてみると、確かにその話を裏付けるアメリカ医療史のまた別の顔が見えてきました。

【アメリカ医療史の別の顔】
いくつかのアメリカ医療史の本の中で、なんといっても面白かったのは、リチャード・ブラウンの『ロックフェラーのメディシン・マン:アメリカにおける医療と資本主義』(Rockefeller Medicine Man: Medicine and Capitalism in America)でした。この本の表紙がまた傑作で、アタッシュ・ケースを持って、ネクタイにスーツ姿で聴診器と額帯鏡をつけている、ビジネス・マンならぬメディシン・マンのイラストなのです。しかもこのメディシン・マンがドミノ倒しのように何人も並んでいるのです。
ブラウンは、「どうしてアメリカの医療費はこんなに急速に急騰しているのだろう?」という、今日誰もが感じている疑問を持ちます。ちなみにアメリカの総医療費は、経済成長の伸びを超えており、2009年のOECDヘルスデータによると、GDPの16パーセントと飛び抜けて多くなっています。OECD平均は9パーセントで、日本はそれよりもすこし少なくて8パーセントです。
この医療費の高さというのは、アメリカ近代医療の起源に発しているのではないか、とブラウンは考えます。その起源というのは、科学的医療と資本主義です。彼は1910年から1930年代までの史料を駆使して、医療専門職と医療に関して利害関係のある諸集団が、一般社会の人々の健康ニーズに応える訳でなく、自分たちの狭い経済的・社会的利益を守って行くために資本主義に基づく近代的医学を確立してきた歴史を解き明かします。
一般的に近代医療は、医療技術の進展と産業社会の発展の結果として生じてきたといわれています。たしかに、科学技術と産業化が近代社会を作り上げたというのは社会科学(特にScience Technology Studies: STSなど)の定説ですが、ブラウンはこの科学技術決定論に待ったをかけます。そして、科学技術は、純粋にそこにあるというものではなく、技術を保持し、コントロールできる個人や集団が、その技術を他者の利益になることを妨害しつつ、自分たちの利益に合うように利用していて、この技術と社会の相互作用の歴史が今日の姿になって現れているというのです。
では、それはどういうことなのでしょう。ブラウンの本に沿いながら見てゆきましょう。

【「患者中心」医療から「専門職中心」医療へ】
アメリカにおいて医師は、現在では専門職の代表として、地位も高くお金持ちというイメージがあります。しかし19世紀末、医師は力もなく富みもなく、地位も低かったといいます。それは、当時の医療というのが、完全に患者中心であったからです。当時は、薬草療法、温水療法、信仰療法などさまざまな治療方法があり、患者は、自分の症状と経済状況にあわせて、治療を受けるか受けないか、受けようとする場合にはどんな治療がいいのか、自分で選んでいたのです。そして医師は、患者の希望にあわせて、患者にとって適当な方法と価格の治療を提供していたのです。この頃からも、医師による組織団体はいくつかあったらしいですが、誰が医師として業界に参入できるか、誰ができないかというコントロールは、全くされておらず、医師になりたい人は、自分で名乗れば勝手に治療行為を行うことができたということです。
ところが、1930年代までごろにこの状況は一変します。医師集団が、医学校や教育病院を運営することで、医師になるためのライセンス付与のコントロールを始めたからです。また、医師は、地元の医学会を通して、診療内容や料金を決めたりするようになりました。この青写真を書いたのが、アブラハム・フレクスナーです。
彼はカーネギー財団から資金を得て、医療のあり方に関する有名な報告書、フレクスナー・レポートを1910年に出しました。そこには、「医療は、科学的で臨床的で研究志向の大学院教育に基づいた臨床実践を意味するようになるべき」ことが示されていました。大学院教育がまだ特殊に高度な教育と考えられた時代に、科学的な大学院レベルの学問が医師になるのに必要な条件となったことで、医師には特別な地位が要求されるようになりました。この任をまかされたのが、アメリカ医師会に他ならず、以後、アメリカ医師会は大きな権限を持って、新規参入する医師たちを厳しくコントロールするようになりました。

【近代医療と医療の制度化:医療専門職支配の誕生】
もちろん、この変化の素地に科学技術の進展があることは見逃せません。すなわち、近代医療が、それまで治らないとされてきた病気を治癒可能なものにしたという点です。その立役者たちは、ドイツのコッホやフランスのパストゥールであり、彼らによる細菌の発見によって、細菌を殺したり、細菌感染を予防したりする医療が可能になったのです。これは、従来の患者の状態や希望に合わせて、治るか治らないか定かではない治療を行うということに比べて、効率の良い、「生産性の高い」医療といえます。
医療における生産性の向上は、医師の収入と地位と権力の上昇に寄与しました。高い教育と特別な地位を得るようになった医師の給与は上昇し、1929年の時点では、大学の先生の同じくらいの給与をもらうようになりました。しかし、それでもまだ機械工よりは低いというものでありました。
その後も医療専門職のリーダーたちは、科学的であるということを盾にして、自らの立場の正当性を勝ち取るための活動をしてきました。こうした活動は実を結び、次第に一般の人たちも医師に対して信頼の念を持つようになってきました。それに伴い給与のほうも着実に上がってきて、1976年の時点では、通常の勤労者の2.5倍になりました。またその頃には職業ヒエラルキーの順位も上がり、医師は、最高裁判事と並んでトップレベルになりました。
急速な医療技術の拡大の勢いはとどまることを知らず、次々に高度で新しい治療法が開発されました。すると医師たちは、もはや面白みがなくなったり、利益を上げられなくなった仕事を、配下の技師や看護師やコメディカルに下請けとして回していきました。今日のアメリカの多様で多数の医療従事者は、このようにして作られていったということです。
また医療の元締めとして医師たちは、開業、病院勤務、研究、教育、行政、財団、健康当局、保険会社、そのほかの機関へと働き場所を増やしていきました。そして、医師は医療におけるあらゆる領域において統括者として君臨することになり、医療専門職支配という構図が作られてきました。

【カーネギーとロックフェラーのメディシン・マン】
では、どのようにしてそれまでの医療とは異なる科学的医療が医療界を席巻し、科学的医療を統括する医師が支配的地位を得るという構図が出来上がったのでしょうか。誰がアメリカ医師会に、新規参入の医師のコントロールを任せたのでしょうか。
その答えとしてブラウンは、フィランソロピー(慈善事業)を行うことを意図したロックフェラー財団やカーネギー財団が、アメリカ医師会を牛耳ることによって、この構図を作った、といいます。もっとも張本人はロックフェラーやカーネギーではなく、医療を資本家階級に奉仕するものにするため、彼らが資金を提供する財団に雇われた人たちです。すなわち、ロックフェラーのメディシン・マンは、ロックフェラー財団を取り仕切っていたフレデリック・ゲイツ、そしてカーネギー財団のためにレポートを書いた功績を認められ、ゲイツにリクルートされたアブラハム・フレクスナーなのです。
それでは、メディシン・マンたちがアメリカ社会における医療の原型を作り上げてきたとは、どういうことでしょうか。それは端的に言って、生産力の高い労働者を確保するという、資本主義社会において最も重要な目標を実現するために、医療を制度化したということです。

【科学的医療の正統化】
20世紀の幕開けは、科学技術に支えられた、資本主義の本格的な展開と共に始まり、アメリカの企業資本家階級は科学の力を信じ、科学的医療が診断、予防、治療においてもっとも有力な手段となるという思想を支持しました。そして、医学理論に基づいた医療専門職による科学的医療に、労働者の健康を向上させて生産性を高めること、さらに労働者階級の人々の不平等や短命を克服することさえ期待しました。
ロックフェラーのメディシン・マンとしてゲイツは、医療は資本主義社会に資するべきで、医療専門家は資本主義財源で運営される資本主義大学において再生産され、技術革新を行うことを通して質がコントロールされるべき、と考えていました。そこで、ゲイツ率いるロックフェラー財団は、科学的医療を実践する医師を育て上げる医学校や医学教育の充実のために、1929年までに一般教育委員会に7800万ドルの寄付をしました。
医学校には、資本家階級の信奉する科学的医療を教え込むというゲイツの思惑を実践するために、大学院レベルの教育を施すフルタイムの医療教育者が置かれました。これは、普段は患者を診ている医師が、自分の経験に基づいたおよそ科学的とはいいがたい教育を片手間に行っていた、かつての教育体制とは異なる新しい医師教育の形でした。この医学教育のモデルをつくったのが、先にも触れたフレクスナーによるレポートなのです。

【国家の介入】
アメリカでは1910年から1930年代までの間、企業資本家が近代医学に基づくアメリカ医療の基礎を形作ってきました。これは、どれが正統な医療でどれがそうでないかを国家が決めてきた、日本を含めた他の多くの国と大きく異なる特徴でした。
ただし、第二次世界大戦前後から、アメリカの医療にも国家が次第に介入してくるようになってきました。医療は健康な兵士を戦場に送るため、負傷した兵士を回復させるためのものとしての利用価値を、国家が認めるようになったからです。そこで連邦政府は、かつて医療において指導的であった財団の地位を奪いとって、医療を管理下におきました。
しかし、それまでに培ってきた企業資本家に資する医療という形は既に強固に出来上がっており、今でもアメリカ医療は、病院、医学校、保険会社、製薬会社、医療材料会社、医療市場など資本主義の利益団体(中には非営利団体の顔をしているものもありますが)の手中にあるのです。

【おわりに】
ブラウンのこの本が出た時、大きな物議をかもしたといいます。というのも、この本で書かれている内容は、偉大な医師の業績や医学の進歩を綴ったこれまでの「医療の正史」とあまりにもかけ離れていたからです。
医療史のデイビッド・ロスマンは、大学病院や研究所で働く医学研究者は、自分たちの興味関心や威信に基づいて非人道的な実験的医療を行っていたが、町の開業医たちは、患者のために医療を行っていたという、やや穏健な立場をとっています。しかしブラウンは、開業医たちの職能集団であるアメリカ医師会も、患者の利益ではなく自らの利益、そして資本主義的利益を得るために、資本主義の権化であるロックフェラーやカーネギーの配下で暗躍していたことを暴露しました。
ブラウンに限らず今日の歴史学は、あらゆる人々の行為は社会、経済、政治、思想からの影響を受けていると考えるといいます。また、知識社会学や構築主義の視座においても、すべての社会的現象は、その世界を生きる人々によって構成されていると考えます。ブラウンが描いたアメリカ医療史の別の顔は、ブラウンが掘り起こした史料から明らかになった、資本主義と医療との親密さを見せてくれましたが、逆に言えばこれもまた、ブラウンという個人が、彼の集めた史料を元に、歴史学というレンズを通して見たひとつの側面に過ぎません。ですので、実際の「事実fact」、あるいは多くの人の信じている「現実reality」とまったく重なるとはいえないでしょう。それでもこの本は、今日のアメリカ医療を見てゆくとき、多くのことを教えてくれます。
日本でも、医療の歴史を振り返り、為政者や権威者の書いた医療の「正史」とは異なる歴史について、社会的・経済的・思想的に分析する貴重な仕事が、例えば藤野豊や川上武らによってなされていますが、私自身もっと勉強してみたいと思いました。

【追記】
まったくの余談ですが、20世紀初頭のロックフェラー財団のフレデリック・ゲイツのアメリカ医療のコントロール戦略は巧みで、医療における資本主義の勝利という成果を挙げてきましたが、21世紀初頭のマイクロソフトのビル・ゲイツは、自らの名を冠した財団を立ち上げて、世界の保健医療のために莫大な資金を投じています。財団資産は2008年の時点で350億ドルあまり(3兆5千万円)とか。そこで今、世界中の公衆衛生の専門家たちが、この資金を得るために躍起になっています。ハーバード・スカラーたちもご多分に漏れず、資金獲得合戦に参入しています。
ロックフェラーが石油、カーネギーが鉄鋼の分野で富を得るためには、健康な頑丈なアメリカ人労働者が必要でした。ITで富を得るゲイツが必要なのは、健康でコンピューターを買えるお金と利用できる頭のある世界の人々ということなのでしょうか。ゲイツ財団の意図と効果は、後に歴史としてどのように評価されるのか、非常に興味深いところであります。

<参考文献>
Brown, Richard, 1979, Rockefeller Medicine Man: Medicine and Capitalism in America, Berkeley, CA, University of California Press.
Starr, Paul, 1982, The Social Transformation of American Medicine, New York, Basic Books.
Rothman, 1991, David, Stranger at the Bedside: A History How Law and Bioethics Transformed Medical Decision Making, New York, Basic Books.=酒井忠昭監訳『医療倫理の夜明け』晶文社
川上武、1973、医療と福祉:現代資本主義と人間、東京、勁草書房
川上武 2002、戦後日本病人史、農村漁村文化協会
藤野豊 2003、厚生省の誕生:医療はファシズムをいかに推進したか、京都、かもがわ出版

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