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Vol.078 科学論争の社会学 ~日本における研究不正~

医療ガバナンス学会 (2018年4月12日 06:00)


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著者:パブロ アリエル ペレグリニ(ppellegrini@unq.edu.ar
所属:CONICET, 国立キルメス大学(アルゼンチン ブエノスアイレス)
翻訳:原田夏與、松本直子、廣原萌

この論文は、MRIC Globalから転載されました。

https://goo.gl/J8rvZy

2018年4月12日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp

バイオメディカルの分野では、研究における事実改ざんなどを含め、研究活動における数多くの不正行為が見られる。これは特定の科学領域に限った問題ではないようで、物理学、数学、情報科学、工学、社会科学など様々な領域において不正が取り沙汰されている。これは、学問全体に及ぶ深刻な問題であるが、その深刻さの割には、あまり議論がなされていない。その大きな理由として、この類の話題は大抵厄介なものになってしまうことが挙げられる。また、不正を行った一部の研究者のせいで、その学問分野全体に対しての信頼が失墜するような社会的混乱につながる可能性もある。
さらに、研究の改ざんそのものも問題だが、不正が長い間気付かれずに放置されていたという事態についても嫌疑がかけられる恐れがある。結果として、「研究不正が起こった分野の他の研究者たちも、明るみになっていないだけで、実は、同じように不正を犯しているのではないか?そのような人たちは信じられない。」という世間の不信感を招きかねない。
このような不信感は、広く裏付けられている事実を否定してばかりいるような、否定したがりの論客にしばしば悪用されてしまう。たとえば、考古学において研究改ざんが起これば、彼らは、この不正が考古学の全範囲に及びうると主張し、そこから、天地創造説を擁護することに利用する。彼らは、考古学の全存在を疑うことで、進化論の裏付けとなるすべての証拠を否定しようとするのである。

もちろん、一つの出来事が必ずしもすべてに影響を及ぼすわけではない。不正をした者が数人見つかったとして、同分野のその他の研究がすべて不正に手を染めているわけではない。しかし、上に述べたようなことを理由として、研究不正の事実は、あまり話題にのぼらないのである。

それでもなお、研究不正の事例を分析することは、あらゆる意味で、非常に有益と言える。具体的に、人々が不正に手を染める動機となっているような社会的要因を見つけることや、私たちが物事を疑いなく信じてしまう理由をより深く理解すること、そして、今後不正が起こらないように制御する仕組みを構築することにつながる可能性がある。私は、科学における様々な論争の研究に携わってきた。科学的な発見の「真実」がその安定性を失う状況として、科学論争を取り上げてきた。私がこういった研究をする動機となっている究極の問いは、なぜ、そしてどのようにして、科学的事実に関わる論争が生まれ、大きくなっていくのかということだ。このような論争の原因と影響を理解するために、論争自体を使って各事例を取り巻く社会的背景を分析することができる。Science and Engineeringに掲載された最近の論文(https://link.springer.com/article/10.1007%2Fs11948-017-9937-8)において、私は幾つかの日本の研究不正を分析している。その目的は、日本の科学者たちが、研究不正の告発にどのように対応するのかを分析することだった。この記事は、不正事例が起きた状況の再現と、日本社会のあらゆる文化的要素の分析を通して、日本の科学者たちの不正への対応方法を条件づける日本社会の性質・基盤は何かを問う質的研究の論文である。

研究不正の分野において、いくつかの有名な事例が東アジアで起きたために、この地域は関心を向けられるようになってきている。これらの事例は、東アジアでの研究不正が、他の地域での研究不正よりもずっと深刻な問題だということを示しているのだろうか。東アジアの学者社会に特有の「有害な」文化を指摘して、そういう風に言う論者もいる。彼らは、剽窃や科学的結果への細工は、東アジアの研究者達においては文化的習慣かのようにありふれているものだと見ている。反対に、東南アジア諸国には、概して衝突を避ける民族性があり、それ故に科学不正の事例は珍しいようだと言う論者もいる。これらの見方は、実に矛盾している。実際は、数例の研究不正は最近注目を浴びているにも関わらず、東アジアにおいて研究不正の傾向が強いということを示唆する証拠はない。

研究不正を定量化する試みは、いくつかの事情により満足な結果を得られていない。まず、発表された論文の総数と、ここ10年で益々増えている研究不正のために撤回された論文の数を比べる必要がある。驚いたことに、発表された全学術論文のうち、不正が認められたのは、わずか0.02~0.2%に過ぎない。一方で、研究不正の指標は、一般に、倫理違反等により撤回された論文の数を基にしている。しかし、すべての科学雑誌が、論文撤回に関して同じ方針を持っているわけではないし、そもそも、そのような方針が存在しているかもわからない。実際、撤回された論文の多くは、高い影響力を持つ雑誌に掲載されているようである。他の雑誌で発表された不正論文は、発見されていないか、撤回されていないかのどちらかに過ぎない。したがって、撤回の増加は、確固たる方針により、研究論文の仕組みがより健全に、より制度化されてきたことを示すものであり、良い兆候であるのだ。

結局のところ、東アジアにおいて、科学におけるスキャンダルや論文撤回が増加しているからと言って、この地域において、世界の他の地域よりも研究不正が多いと判断することは難しい。ただ、研究不正が、前よりも目に見えるようになってきたということは、間違い無いだろう。単純に、研究不正の絶対数が多いということをもって、東アジアにおける科学的研究の特徴として注目すると、実りが少ない。しかし、これらの行為が生じる文化的な枠組みを分析することには、間違いなく価値がある。なぜなら、すべての科学は特定の社会的背景の中にあり、これまでに述べてきたような分析は、科学と社会の複雑な関係をより深く理解するのに役立つからだ。

一連の事例の分析を通して、私は、不正告発に対する日本人科学者の対応の方法には、ユニークな特徴があると考えている。すなわち、告発を受けた科学者たちは、名誉を深く傷つけられたという感覚の元、しばしば自殺に及ぶのである。多くの日本人科学者が、研究不正や誤った研究に対する追及を苦にして、自ら命を絶ってきた。科学不正というのは至る所に存在するが、他の国では、不正に関わった科学者の対応は、せいぜい学術分野から立ち去ることくらいだ。研究不正の告発は、科学者の名声に対する大きな攻撃であるが、不正に関与した日本人科学者は、特に、自身の立場を不名誉なものだと考えるのだろう。自殺を不名誉に対処する正当なやり方だと認識している文化があるからこそ、このような事例が発生するのだ。

したがって、研究不正に対して自殺という対応をするのは、日本人科学者達が倫理違反を告発された際の、特有かつ劇的な反応の表れと言える。日本において、不名誉は、多くの場合、深刻に捉えられ、研究不正は、自殺という事態に至ってしまう。私が最近発表した論文においては、研究不正の背景にある社会的な動力を理解するための一般的な枠組みを提示している。そして、日本で起きた一連の事例を再現することで、このような状況に対する日本人科学者の反応の特異性を明らかとしている。さらに、名誉と自殺という関係が形作られてきた日本の文化と社会における独特なあり方について考察している。最後に、日本の研究不正において最も特徴的なのは、告発されたり、公に暴露された際に、科学者が、その状況を深刻な不名誉と見なすことであることを明らかにし、この記事の結論としている。

論文の全文は以下から確認できる。https://link.springer.com/article/10.1007%2Fs11948-017-9937-8

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