医療ガバナンス学会 (2018年5月11日 06:00)
湯長谷町は、内郷とともに、ほぼこの湯本を取り囲むように在る。街には、煙突が斜めに突き出したトタン屋根の旧炭鉱宿舎が今も残り、街が炭鉱から商工業の街へと舵取りをした後には、そのベッドタウンとして多くの公営住宅を作った。それは、ほぼ、エレベーターのない3階から4階建てのクリーム色のアパート建築で、今もこの地に多く残る。一方、比較的、裕福な層は周辺に計画的に創られたた一戸建ての団地に住む。ただ、傾城の地なので、ほとんどが棚田のような斜面に建ち、その間を迷路のように走る道が訪問診療には少し難渋することとなる。
Kさんの家もこのような団地の一角にある。今年の12月で57歳になった彼は、弘前の出身。地元の高校卒業後、上京し、8年間東京で過ごした後、原発で雇用活気の在るこの街に来た。同郷の奥さんとの間に一女を授かり、この団地に新居を得、30年間原発関連のビルメンテナンス事業に携わってきた。それが、2011年3月11日に起こった震災で大きく変わった。ともに助け合ってきた奥さんは乳がんを患い、今から、1年前に亡くなられた。その半年後、Kさんは肝細胞癌と診断された。化学療法も一時は奏功したかのように見えたが、すぐに効かなくなり、Kさんは、この丘に在る団地に奥さんの遺影が飾られる自宅に帰ることを選んだ。癌の在宅医療のスパンは概ね短い。数日程度のこともあれば、長くても半年。それは間違いなく死に向かうための医療だ。どのように(How)死を迎えるかの選択肢はあっても、残念ながら、良くなるという選択肢はもうない。
Kさんは、奥さんと自分が共に若くして発癌したのは、間違いなく、原発で働いてきたからと確信している。その事を私は肯定も否定もする知識を持たない。もし、私がその分野の識者であったとしても、肯定する勇気を持てないかも知れない。だからといって、彼は原発を恨んでいるかというとそうでもない。廃炉は必要かも知れないが、そうなると職を失うことになってしまう部下のことをいつも気遣っている。東電も給料が下がったというが、その下請けは職自体を失うことになると、口癖のように言う。毎週火曜と金曜には約2Lの腹水を抜かなければ、苦しくてもたない。仰向けで居ることしかできない長い夜には、奇跡が起こることを毎日祈るそうだが、彼自身それが起きないことは一番よく知っている。私もだ・・。
年末、東京からお嬢さんが休みをもらってきて帰ってきた。Kさんはお嬢さんを一日中ベッドサイドから離さない。手を握れ、腰を揉め・・。Kさんの妹さんは、お嬢さんがまいってしまうのではないかと気遣うが、そう長くは続かない。もうじき、手を握ることも、腰を揉む事もできなくなるから。
在宅医療には、医師として経験すべきインプットが非常に多い。知識・技術、そして様々な価値観を持つ多くの患者さんと、多くの時をすごすことができる。それは、若い医師にも、ひとかどの仕事をしてきた(と思っている)ベテランの医師にも有益なことでないかと想う。
湯本は古い街だが、古いだけではなく、躍動している街だ。歴史の流れに、揺れ動かされながらも、ただ翻弄されることなく、常に未来へとファイティングポーズをとろうとする、おもしろい街だ。