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Vol.122 新しい時代の希望の姿 (2)イノベーションがもたらす資本主義の幻想

医療ガバナンス学会 (2018年6月15日 06:00)


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福島浜通り
永井 雅巳

2018年6月15日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp

いわきの春は、紅白の梅に、桃や白のヤマボウシとピンクのハナミズキから始まる。丸い大きな花弁の木蓮もおもしろい。白と薄緑とピンクのサクラは、その後押っ取り刀でやってきて、あっという間に私たちの心を奪い、そして、散っていく・・。一方、丘とも山とも言えぬうねりくねった阿武隈の地を走ると、黄緑の新芽を仄かに眩いた落葉樹と、変わらない深い緑の針葉樹林が段だら模様を創る中、古木の山桜が己を主張するかのように咲き乱れる。もうこの頃には、裾野では白や赤の大ぶりの椿の花に代わり、日本固有の橙の愛くるしい花弁を持つツツジを楽しむことが出来る。

常磐線に乗って上野に向かうと、彼地の地下鉄の車内では、老若男女を問わず、多くの人が黙々とスマートフォンの画面に向きあっている姿を目にする。銀座の街を歩けば、聞こえてくるのは、日本語よりもアジア系の言葉が多い。若い世代は東京に集中し、美しい地方の街は消えつつある。村組織は、わずかに残っているのだろうが、じいちゃん、ばぁちゃんと一緒に居た大家族は、どんどん居なくなり、地方は在っても、今やじいちゃん、ばぁちゃんだけになった。そして、やがて、遠くない将来、じいちゃん、ばぁちゃんも亡くなり、結果、美しい村は消える。美景を誇った東北の沿岸部も、やがて、その多くは高い防潮堤で覆われることとなり、港湾近辺の街からも広大な海を眺めることは出来なくなる。

福島の遠野では、かつて村の中央を流れる清水の川を利用した和紙創りが栄えた。その周辺地域は活性化し、和紙産業は、その地域住民を潤した。しかしながら、新しい技術(イノベーション)の発展により、和紙産業は衰退し、それを継承すべき世代は職を失い、村を離れ、やがて、一人も和紙創りをするヒトは居なくなった。しかし、春、山際には、今でも毎年、その材料となったミツマタの群生が黄色い花を咲かす。ヒトは居なくなり、村がなくなっても、悲しいことに、まだその地域の植生はある。

産業革命は、当時のイギリスの人件費が高かったことで、資本者(地主)が、人より機械を選択したため起こったという説がある。高い人件費を削減するため開発された農業機器の発展により、イギリスの農業は、もはや人による労働力を必要としなくなり、多くの農民が職を失う事となったが、当時は、それに代わり新たなイノベーションにより勃興した機械化紡績業が失職しかけた農民の受け皿となった。結果、紡績業の発展により国も潤い、一般国民の労働賃金も増加する事となった。資本主義が当時は健全に機能したのだ。

第二次産業革命と呼ばれる米国の重化学工業もまさに同様で在り、技術の進歩が米経済の発展を興し、結果、かの国の国民全体の賃金の上昇と共に生活の質を向上させた。果たして、現在ではどうだろうか。当時を追従する識者が唱える“イノベーションの進展こそ重要”という考えは、一部富裕層を超富裕層にしたが、一般国民の労働賃金の上昇には繋がらず、世界中で格差が広がる結果となった(詳細は後述する)。時の経済学者が思い描き、レーガンが主導した新自由主義の根底思想であったトリクルダウンしてくる(こぼれ落ちてくる)はずのものは、現代ではトリクルする事なく大きな社会経済格差を産みだした。イノベーションの進展の結果、その受け皿はなかったのである。誤解のないように言えば、あくまで結果論を言っているのだ。歴史はその時代、時代において、いろんな局面・顔色を示し、時の為政者に決断を求める。レーガン・サッチャーや時の為政者を責めるのではない、後に続く一般社会での歴史の検証と修正の重要性を言っているのだ。

大平の描いた田園都市構想、あるいはそれを継承した橋本・安部の描く美しい国・日本は正念場だ。その描いた姿は、年を経るにつれ、現状から遠くなっている。残念ながら、2つの大震災を経験し、人が住む美しい国はなくなりつつある。震災を経たからではない、経済を主導としたからだ。一次産業が衰え、イノベーションが進み、効率化の進行・資本主義への盲従が、一部富裕層以外、多くの賃金労働者の賃金向上に反映されなくなった。そして、遠くないうちに、かつてシューペンターが予言したように、経済至上主義は自壊する。地方でも、その政界・学界の主導者が、地域活性化のために、したり顔で、イノベーションの重要性を唱えるが、スティグリッツが言うように、“現代”では、“イノベーションがもたらすものは、効率性・生産性の向上ではなく、”格差と崩壊”だけとなった。

1978年の大平以降、橋本・小泉を経て、現在の宰相に継承されてきた約40年間の歴史を多くの識者は、以下のように総括する。

(1)想像を超えるIT技術の進歩が、大量かつ迅速そして多方面へのコミュニケーションを産みだし、それが個人単位でカスタマイズされた結果、個人あるいは投機的な通信経済が爆発的に拡大かつ多様化した。
(2)その結果生まれた、超国家的現象は主権国家と明白に対峙してくるようになり、その影響は、全世界におけるあらゆる生活分野、経済、平和、そして環境など広範囲のものに広がり、一部の超富裕層と一般庶民・貧困層の格差が広がった。
(3)一方、大国の主権国家(例えば、米、ロシア、中国など)は、その状況に危機感を抱き、独裁制が強まり“世界よりも、わが国を”のナショナリズムが明確な形を持って台頭している(わが国も遠からず、日本主義として同じ道を歩もうとすることを危惧する)。
(4)産業革命以後、世界をリードし、世界が追い求めてきた資本主義の理念は、今や投資から投機へと変わり、その質的変化により、労働市場の活性化・国民全体の利益に寄与する方向には働かず、バーチャルなモノとなって、ごく一部の富裕層を除き、低所得層、あるいは雇用自体を失った人が増え、国家間、あるいは国内的な地域間格差を育てた。そして、失業は間違いなく恐怖であり、革命へのエネルギーとなる。そして、この国においては、
(5)生産世代の都市部への流出(実態は東京への一極集中)に伴い、核家族の進行、結果として、地域の衰退、やがては消失が現実的となりつつある。
(6)予期できなかった(?)2つの震災、特に3・11が、これからの全世界的なエネルギー政策、地域コミューンの在り方を考える上で、国際的な警鐘となるはずであったが、そのことすらも現在の経済優位の選択の中で葬り去られようとしている。

未来のわが国の希望の姿を、国民全体で、あるいは行政府としての与党・野党と呼ばれるパーティに拘泥することなく、想い描き直す必要があるのではないか。当然であるが行政組織に委ねられた責任は重いが、一方、この時代を生きている私たち、そして次世代の社会の担い手となる若者達も同様の責務を負う。“この道は、紆余曲折しても、間違いなく、この道を通って、次の世代につながるものだから・・”(マイケル・ピケティの言葉より)。

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