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vol 41 国民視点不在の中医協論争を嘆く

医療ガバナンス学会 (2010年2月7日 11:00)


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東京大学医科学研究所
先端医療社会コミュニケーションシステム 社会連携研究部門
上 昌広
※今回の記事は村上龍氏が主宰する Japan Mail Media(JMM)で配信した文面を加筆修正しました。
2010年2月7日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp


中央社会保険医療協議会(中医協)を舞台に診療報酬改定の議論が進んでいます。特に再診料・外来管理加算を巡る紛糾ぶりは、マスメディアを通じ、広く国民が知るところとなりました。今回は中医協での論争をご紹介したいと思います。

【中医協】
中医協とは、厚労大臣の諮問機関です。年末の予算案で医療費の大枠が決まったのち、この協議会で、個別の医療行為の価格(診療報酬)を決めます。
通常、官僚(厚労省保険局)が素案を書き、それを診療側、支払い側、公益委員で調整して、最終案が出来ます。
診療報酬は、国会で議論されることはありません。また、厚労省は混合診療などを厳しく規制しているため、中医協で決める価格が、全国一律の公定価格となります。30兆円を超える医療費の価格を決めるのですから、中医協は絶大な権限を持ちます。
政府の一委員会が、国民(国会)のチェックを受けることもなく、医療の価格を決めるというのは、世界に例を見ない仕組みです。厚労省は、中医協の価格統制を通じ、医療の方向性を決めてきました。
価格を決めるのですから、中医協は業界の最大の関心事です。特に、医療界最強の業界団体である、日本医師会の執行部にとって、中医協での支払い側とのパワーゲームを制することが、執行部再選のための、最大の課題と言っても過言ではありません。

【迷走する再診料議論】
現在、揉めているのは、再診料問題です。現行制度では、再診料の点数は病院が60点に対し、診療所は71点です。1点は10円に相当します。
昨年12月16日の中医協で、この点数を揃えることを診療側と支払い側が合意しました。
ここから様々な憶測が飛びました。12月27日、共同通信は、厚労省が診療所の再診料を引き下げ、650円前後で一本化する方向であると報道しています。典型的な官僚のリーク記事です。小沢幹事長と日本医師会の関係を考慮すれば、官僚が、日本医師会を冷遇することでポイントを稼ぎたいという心理は十分に理解できます。
更に、1月6日の業界誌メディファックスでは、足立信也政務官が「病院の点数を診療所に合わせる判断を中医協がすることはあり得ない」と発言したと報道されました。足立政務官は、診療所の報酬も、その中味に応じて評価すべきという考えをもっており、一律に減額するつもりはなかったようですが、この発言が、足立政務官に干された日本医師会幹部を刺激しました。同日の定例記者会見で、日本医師会中川俊男常任理事は、「中医協の議論に政治的圧力をかける発言」と噛みつきました。
更に、1月21日は、民主党の「適切な医療費を考える議員連盟」(会長=桜井充参院議員)が、小沢一郎幹事長宛に要望書を提出し、再診料引き下げ反対を訴えました。桜井議員は、年末の予算案作成時に外来枠を区切ったこと、および総選挙後の中医協の人選に偏りがあったと批判しました。足立議員と桜井議員が、医師議員として民主党内のライバルであることは周知の事実。多くの医師は、民主党の医師議員である桜井氏と足立政務官の内部抗争だと考え、眉を顰めました。

【経営難に喘ぐ開業医たち】
自公政権の医療費抑制政策により、多くの診療所の経営状態が苦境に陥っています。私も診療所の報酬を下げることには賛成できません。
長野県在住の開業医 豊城隆明医師(とよき内科院長)からは、以下のようなメールを貰いました。
「私ども開業医は2000年改定より5回、大幅に点数を削られてきました。その都度自身の給与を下げ、職員の給与を上げてまいりました。開業医には退職金はありません。また、自分の老後は自分でお金を積み立てるしかありません。定年もないですが現在の医療を考えると、やはり70歳が限度だと思います。正直これ以上の削減は、返済や新しい医療機器の導入が困難な状態となります。
現在の診療所では最低でも内視鏡やレントゲン、心電図、電子カルテが必要ですが、ほとんどがウィンドウズベースで動いています。これらが7年前後でWindowsのサポートが切れ必然的に買い換えることとなります。こうした事業の費用は我々個人でまかなわないとなりません。たかが60円、されど60円です。」
多くの開業医の経営は切実です。このままでは、かかりつけ医がいなくなり、ツケが国民に回る可能性すらありえます。

【国民不在の中医協】
ただ、今回のような医療界の動きが、我が国の医療にとって良いことでしょうか?過去の振る舞いから、すでに国民の信頼を失っている「日本医師会」が強硬な発言をすればするほど、国民の支持を失うような気がします。
最大の問題は、診療報酬の議論に患者の視点が不在であることです。医療業界団体と族議員が、医療費の値上げを政府・与党に陳情し、業界誌が煽る姿は、自公政権と瓜二つです。
国民意識から乖離した主張を続ければ、医療界は「欲張りムラの村長」とレッテルを貼られ、その末路は容易に予想できます。

【苦境に喘ぐ患者たちに目を向けよう】
景気低迷と高齢化により、協会けんぽを初めとした健康保険の経営は悪化の一途を辿っています。ところが、今回の診療報酬増を受けて、4月からは協会けんぽ加入者は医療保険、介護保険の保険料が0.57-0.72%引き上げられます。中堅サラリーマンにとって、月3,000円程度の負担増。お父さんたちにとって、赤提灯の回数が減ります。
また、リーマンショック後の景気低迷のため、多くの患者が適切な医療を受けることが出来なくなりました。
例えば、当研究室の児玉有子と東大経済学部松井彰彦教授らの共同研究で、慢性骨髄性白血病(CML)の特効薬であるグリベックの高額な経済負担に耐えきれず、内服を止める患者が多数いることがわかりました。実際の患者さんたちの年収は、2000年の533万円から、2008年には389万円に減っていました。経済危機の影響は、健常人よりも患者に厳しいようです。
この研究成果は、昨年10月25日付けの毎日新聞一面で報道されました。記者やデスクは、国民の関心が高いと判断したのでしょう。
更に、昨年11月には、抗癌剤の負担に悲観した乳がんを患う母親が、CMLの娘と無理心中をはかるという事件が発生しました。
このような事例はCML以外にも、慢性呼吸不全の在宅酸素療法、多発性骨髄腫のサリドマイド治療など多数存在します。
「高額療養費制度」の見直しは、民主党がマニフェストで約束しましたが、現時点では解決の目途は立っていません。

【「ガス欠」状態の医療界】
我が国の医療現場は「ガス欠」です。我が国は高齢化がもっとも進んでいるのに、国民医療費の対GDP比率は約8%で、OECD30カ国中21位です。医療分野の「キャッシュフロー」が不足し、「救急車たらい回し」や「病院倒産」などに代表されるシステム崩壊が顕在化してきました。
我が国の高齢化がピークを迎える2025年には、団塊世代が75才、団塊ジュニアが55才となり、彼らの間で1300兆円の金融資産、2000兆円を超える非金融資産が相続されます。その頃の団塊世代の最大の関心は、おそらく医療と介護でしょう。
医療や介護は、成長が確実に期待できる唯一の分野と言っても過言ではありません。ところが、このままでは、医療ニーズがあっても、肝心のサービスが提供できないという事態に陥りそうです。キャッシュフローが不足しているため、ソフト・ハード・ヒューマンウェアの何れもが不足するのです。何もしなければ、次世代に大きなツケを背負わせることになります。

【医療界のキャッシュフローを増やすにはどうすればいいか?】
この事態を打開するためには、誰かが医療費を負担しなければなりません。そして、その手段は、税金・保険・自己負担の3つしかありません。そして、これら全ての可能性を先入観なしで、検討しなければなりません。
従来、民主党は税金の無駄をなくすことで、医療費を増やすと主張してきました。しかしながら、今回の予算編成を通じて、これが実行不可能であることが明らかになりました。
私は、医療費を3%引き下げると明言した野田財務副大臣と交渉し、ネットで700億円、診療報酬単体では5,700億円の増額を勝ち取った、厚労三役を高く評価します。しかし、このような診療報酬改定を幾ら続けても、OECD平均並みの医療費には到達しません。
前原国交相らが中心となり、公共事業費は18%、総額1兆8000億円も削減しましたが、医療費が増えたのはわずか700億。つまり、無駄を排除しても、医療費には回らなかったのです。4月以降、この予算案が執行されれば、各地で雇用不安が生じ、社会問題化するでしょう。来年度の予算編成で、今年以上に医療費が増えるとは考えられません。
結局、何らかの形で国民負担を増やさざるを得ません。予算案発表直後に、仙谷行政刷新担当相が、消費税や相続税の値上げというアドバルーンを打ち上げましたが、この流れの一環と考えるべきで、時宜を得た発言だったと思います。しかしながら、残念なことに、医療界は仙谷アドバルーンに反応できませんでした。

【国民視点の議論を始めよう】
国民負担を増やすべきか決めるのは国民です。逆に言えば、医療制度が破綻して困るのも国民です。おそらく、医療関係者は、あまり困りません。
いま、必要なのは、国民が患者視点で議論を始めること、そして、医療者が専門家としてサポートすることです。ところが、医療システムの抱える問題について、十分に国民に情報が提供されているとは言えず、多くの国民は医療問題を深刻に考えていません。
医療分野のキャッシュフローを増やさなければ、どのような問題が起こるか、一方、増やせば、どうなるか、具体例に基づき、わかりやすく解説することが重要でしょう。
例えば、妊婦や救急車のたらい回し事件は、恰好の事例です。2006年くらいから、マスメディアを通じて、国民が問題点を認識したため、今回の予算編成では、産科・救急への重点的資源配分が実現しました。さらに、国民的な議論の結果、本年は産科を志望する医学生が増えました。国民的な熟議が、医学生を支援し、我が国の産科崩壊を食い止めたと言うことが出来そうです。
このような手法が有効な分野は、他に多数ありそうです。例えば、がん難民、リハビリ難民、ワクチンラグ、ドラッグラグ、千葉・茨城・埼玉の地域医療崩壊などなど、具体的な事例について、深く掘り下げることで、国民的な合意を形成することが出来ます。
ボトムアップの議論を積み重ね、医療に関する国民的なコンセンサスを形成することが、医療再生への近道ではないでしょうか。

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