医療ガバナンス学会 (2018年7月18日 06:00)
では患者申出療養の実態はどうなっているか。規制改革会議の資料で見てみる。
http://www8.cao.go.jp/kisei-kaikaku/suishin/meeting/wg/iryou/20171106/171106iryou02.pdf
2017年11月時点で、承認され実施された患者申出療養は4件、対象患者は142人となっている。一方、申請されたものは78件で、様々な理由から却下されている。会議では、1年半経過後の件数の少なさが指摘され、医師による計画書の作成等にかかる作業の負担が大きいことや患者の費用負担が重いことなどが挙げられている。医療に素人の筆者から見ると、筆者が受けたLAK治療(活性化自己リンパ球移入療法)のような有効性は低いが安全性は高い既存の免疫治療に類する医療技術が難治患者に適用される例は申請を含めて見当たらない。やはり患者の治療というよりは、治験のような厳格さが申請や承認に要件として求められているためと思われる。
筆者は医療制度に対する官僚や医師や患者を含めた日本人の国民性を考えると、患者申出療養や保険外併用療養費といった混合診療が海外先進国のように日本で一般化するのは無理だと思うようになった。医療は一律に国民皆保険で賄い、それ以外の自由診療はまったくの闇で刑法以外の規制はないに等しい現状が続くと思われる。しかし、肝心の国民皆保険も需要、供給ともに自由放任主義で、医療費の高騰や保険財政の膨張に歯止めがかからず、このままでは将来の国民の医療が非常に心配である。
政府は5月28日に「2040年を見据えた社会保障の将来見通し」を発表した。経済財政諮問会議https://www.kantei.go.jp/jp/singi/syakaihosyou_kaikaku/dai8/shiryou8-1.pdf
によると、日本の高齢者人口は2040年にピークに達し、医療費は2018年の39兆円から70兆円になる。GDPは564兆円から791兆円になる。GDPが4割増に対して医療費は8割増となる。さらに高齢者の生活を支える年金は2018年の57兆円が75兆円と3割増である。現状でも20兆円しか差がない医療費と年金は将来ほぼ拮抗する。しかもこの見通しの経済前提は、2028年までの名目成長率が1.8%から3.5%と非常に甘いといわれている。このような推計の場合、戦時の参謀本部や大本営がそうであったように数字は作成者の希望が入り込む。GDPは大きく、経費は小さくなる。
政府の作った見通しでも2040年までの社会保障の維持は厳しいが、医療の保障は普通に考えても破壊的と言わざるを得ない。それ以降も人口は減少し、経済は縮小して財源の見通しは暗い。そのうえ筆者が最も危惧するのが、医療をめぐる国民、すなわち官僚や医師や患者の意識である。現在の国民が選んだ皆保険では、保険診療については自由放任主義で、混合診療を認めない代わりに有効で安全な医薬品や医療機器はどんなに高額でも保険で賄えるようになる。
医療に対する官僚や医師の意識は、筆者が田島知郎氏の著者『患者の「危機管理」23のノウハウ』に啓発されて書いた「国民皆保険は誰のためか」http://medg.jp/mt/?p=2779 http://medg.jp/mt/?p=2781 http://medg.jp/mt/?p=2783
で触れている通りで、医療現場と乖離した官僚の統制権力と日本医師会を頂点として競争を排除し、既得権益を護持する開業医の利益至上主義が医療という社会のインフラ、公益を損ない、崩壊へと歩を進めている。
またそういう医師や医療機関に医薬品や医療機器を供給するメーカーというステークホルダーがいる。
永井雅巳氏はMRICの鋭い論文 http://medg.jp/mt/?p=8401 で、医療費の高騰を次のように指摘している。「何が医療費を高騰させているか(誰が利益を得ているか)が問題だ。筆者は薬品、高額医療機器、情報産業機器のメーカーが主であると考えており、厚労省のシナリオにあるような医師数・病床数の増加ではないと思っている。一方、残念ながら医療界の権威者も経済(メーカー)主導を後押しし、そのために様々なエビデンスを集積し、それによりガイドラインを創り、クスリの市場・経済拡大、医療費高騰に貢献する。現場の医師は、権威に対する呪縛から逃れることは難しく、歩くことが叶わなくなった高齢者にも高額なクスリを投与し続ける。
その理由はなぜか。多くの一般外来では、その高齢者の見直すべき生活環境を見ることができないから、クスリを足し算で出し続け、骨粗鬆症薬のマーケットを拡大し、終末期においても、勇気を必要とする撤退(撤退するのは心ではない、クスリの話だ)の決断に躊躇する。ガイドラインのアルゴリズムとして、まずクスリしか考えられないのは愚かなことだ。」
しかし、本稿では医療の統制や供給のサイドではない受ける患者側の問題点も指摘したい。筆者の身近に、軽症の高齢患者を問答無用で医療機器を駆使して過剰に検査し、処方せんは1週間しか出さないが異常に繁盛している診療所がある。大部分を占める高齢患者からは面倒見の良い優しい医者と人気が高い。また多くの整形外科診療所、整骨院は老人のサロンとなっている。そういう高齢者に聞くと、永い間高い保険料を払ってきたのだから安い医療を使わなければ損、言えば何でもやってくれるのだからやった方が得ということである。もちろんこういう高齢者ばかりではないし、適正な医療を心掛けている診療所もあると思うが、医療アクセスの自由を謳う現在の国民皆保険がこういう現実を招き、こういう実態を容易にしている面は否定できない。
筆者は前述の文章で、社会保障という公的福祉制度は、国家的規模の善意に基礎をおいており、生活保護制度と同様、悪意の利用を防ぐ手立てはないと述べた。国民皆保険も、野放図な高齢者やもうけ主義の医師に使い放題にされたら破綻に追い込まれるのは火を見るより明らかである。
また本来は医療機関を受診する必要のない、すなわち患者でない患者や死生観を培う習慣がないため無意味な末期治療を際限なく受ける患者など湯水のごとく医療資源、医療費を使う人が国民的規模で存在する。かれらは患者というより受療者と呼ぶべきだが、医師不足や医師偏在そしてその対策としての専門医制度が医療崩壊を招くといわれる一方で、今まで述べた国民の医療インフラに対する自覚のなさ、放縦な意識も多くの病院の医師を疲弊させ、保険財政を悪化させて国民皆保険を危うくするものである。
このような国民皆保険が招いている危機の現状に対して、医師や患者という利害関係者の善意に訴えること、倫理による抑制を求めるという精神論は、人間性に沿わず無効である。医療という公共インフラは賢く使われなければ全体最適化が図れないが、それを人の自発的な意志に求めるのは無理で、法令やルール、システムによるほかない。国民皆保険の適用範囲の見直し、症状や年齢による保険負担率の見直し等は制度維持のためには不可避である。受診抑制による重症化を招くとか高齢の医療難民が増えるという副作用は必ず言われるが、冷静に判断する必要がある。その対策として社会的セーフティーネットが整備され、そのうえで大部分の高齢者の医療の適正化が図られることで、将来の国民皆保険も揺るがないものとなる。