医療ガバナンス学会 (2018年7月19日 06:00)
ネパールとの縁は、2015年11月に遡る。きっかけはネパールの医師アナップ・ウプレティ氏が、当時私が勤務していた南相馬市立総合病院を訪問したことだ。2015年4月ネパールは壊滅的な地震の被害に遭い、約8500人の方々が命を落とした。彼は兼ねてからの友人だった樋口朝霞さんを頼り、福島の地を訪れた。訪問の理由は、東日本大震災後の福島の教訓を学ぶことだ。日本滞在中に彼は福島とネパールの状況を比較した短い論文をまとめ、それはLancet Global Healthという国際保健における一流誌に掲載された。それまで一度も論文を書いたことがなかった彼の論文があっさりと受理されるのを目の当たりにして、衝撃を覚えたことを鮮明に覚えている。国際保健の分野において、ネパールという国に強い興味が払われていることを、その時初めて意識した。
その後、実際にネパールを訪問できたのは1年半が経過した2017年3月である。私はその頃、福島県南相馬市において日々の外科診療に従事しながら、東日本大震災ががん患者の医療アクセスに及ぼした影響を調査していた。その結果、南相馬市においては、症状を自覚した後、医療機関への受診が遅れる乳がん患者の割合が震災から5年経過した後も増加していることがわかった。国民皆保険制度があり、医療へのアクセスが一般に保たれている日本においてもこのような状態なのだ。ネパールのがん患者の中で、より甚大な健康被害が起きているのではないか。そのような思いを持って、ネパールに渡った。
私たちが訪問したのはウプレティ氏が勤務するトリブバン大学教育病院である。トリブバン大学教育病院は、1983年に日本のJICAの支援の元で建築された。現地で最も歴史ある大学病院であり、その医学部はネパールにおいて最難関とされる。彼はその医学部を卒業し、その大学病院で研修医として勤めていた。ウプレティ氏は病院の教授陣やその他のキーパーソンに私たちを次々と繋いでくれた。この訪問で気がついたのは病院におけるアナップのプレゼンスの大きさである。後でわかったことだが、彼は学生時代から学生のリーダーを務めていた。教授陣と極めて関係が良く、電話一本で誰とでも話をつけられるような仲だった。彼は、「この国では人を知っていないと何も始まらない。」と語った。ネパールで調査を行うには彼のような仲介者の存在が不可欠である。
そんな彼のサポートもあり、トリブバン大学教育病院で癌患者の調査を行うことに快諾をいただけた。紙カルテはご覧のように山積みの状態で使用することは難しかったが、
http://expres.umin.jp/mric/mric_2018_146.pdf
事務方のパソコンに保存されていた入退院データを用いる許可をいただいた。震災前後4年間の間に入院した3500人程度の癌患者においての、診断や基本属性などのシンプルなデータである。しかし、今振り返ると、このデータを使用できたことが、今に至る共同研究の礎になったと言える。
先日その調査結果を論文として投稿した。結果は非常に示唆に富むものだった。震災から1ヶ月間の間、トリブバン大学教育病院に入院する癌患者数は減少したが、その後2年間は震災前よりも増加していた。さらにこの長期的な増加は比較的震災の被害が少なかったとされる地域に居住する患者において顕著だった。実は震災後の癌患者の入院数について調査した論文は過去にほとんど存在しない。調査対象の多くは心筋梗塞や脳卒中、急性肺炎など、緊急の対応が必要とされる疾患だった。これらの疾患は震災直後に発症増加のピークを迎え、その後緩やかに減少していく。原因として挙げられているのは怠薬や急激な環境変化に伴う心身のストレスである。今回の調査結果においては、全く異なるメカニズムが働いていることが想像された。
震災直後の入院数減少については、前述のような緊急疾患の管理が優先されたことが挙げられる。実際、トリブバン大学教育病院においては震災直後に一般診療を打ち切り、震災被害者を積極的に受け入れた。通常診療に戻ったのは数週間後である。では長期的な増加の背景は何か。あくまで推測だが、癌診療へのアクセスが国全体として悪化したのではなかろうか。結果として、トリブバン大学教育病院のような中心機関に患者が集中したのだろう。被害が少なかった地域において影響が遷延したのは、このような地域の復興が後回しにされた可能性を考えている。国としての資源に限りがあることを考慮すると、「十分にありえる話」(アプレティ氏)とのことだ。
とは言え、今回のデータから、癌患者に対しての震災の影響を全て読み解くのは不可能だ。一つの医療機関のデータである上、治療データや治療転機を参照することができなかったからだ。より包括的な調査を行うためには、複数の医療機関を巻き込み、より詳細なデータを手に入れる必要がある。今回の訪問は、そのような思いで行われた。果たして、大変中身の濃い訪問になったがその詳細については次回以降ご紹介したい。