医療ガバナンス学会 (2018年7月20日 06:00)
~流出した日本専門医機構の内部資料で明らかになった新事実~
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/53486?page=7
この原稿はJBPRESS(7月5日配信)からの転載です。
仙台厚生病院 医学教育支援室室長
遠藤 希之
2018年7月20日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行 http://medg.jp
時間をかけて改めていたところ、平成30年5月16日付、日本眼科学会から吉村博邦理事長への質問状が見つかった。愛知県の眼科専攻医(=専門医研修を受ける医師)増員に関するものである。
背景から説明しよう。新専門医制度では地域偏在を助長しないよう、五大都市圏においては専攻医数の上限が厳しく決められているはずだった。
しかし愛知県の中京病院眼科の専攻医が(日本眼科学会にも知らされないまま)いつの間にか増えていたのだそうだ。
◆一病院に便宜を図った機構
この質問状は、その経緯と理由を問いただすものだった。なおこれは再度の質問状であり、初回の回答では日本眼科学会として納得できかねる、といった詰問とも言える内容であった。
筆者がさらに内部資料を調べたところ、2月15日付、中京病院眼科の加賀達志医師から機構事務局長代行の栄田浩二氏に宛てた長文の電子メールが見つかった。
内容の主眼は中京病院眼科の増員を依頼、というよりも「請願」に近い内容でもあったことは言うまでもない。それも3次募集開始の前日にである。
ただし加賀氏の名誉のために付け加えるが、機構側の拙速な制度開始によって「現場で実際に発生した問題点、定員の考え方の問題」といった氏の意見はその大半が個人的に賛同できるものであった。
この件で最も重要な問題は、2月15日以降、日本眼科学会にも知らされず、機構が五大都市圏の上限規制を破り、かつ、一病院に便宜を図ったことにある。
しかも機構側が基幹施設の専攻医数などを「誰も知らぬ間に変更」していた、という事実はこの事例にとどまらない。
例えば、厚労省の審議会委員を複数務めている山口育子氏(NPO 法人ささえあい医療人権センターCOML(コムル)理事長)は、3月27日付の フェイスブックの公開投稿で次のように記している。
「更に、私は大阪府医療対策協議会の委員も務めていて、専門医の状況についても議論しているのですが、そこで見えてきた問題点を指摘」
「昨年9月に機構から大阪府に募集定員の連絡があったけれど、基幹病院が抜けていたり、数が合わないなどの間違いが多々あり、それを大阪府が機構に問い合わせても一向に回答がない」
「更に、12月下旬に基幹病院別の募集定員や採用数の情報提供を機構に依頼したけれど、これも回答なし」
「その上、今年2月2日になって、大阪府が各基幹病院に確認したところ、誰も知らない間に機構が募集定員を減らしていたと判明。その理由を問い合わせても回答なし。(原文ママ)」
五大都市圏の一つでもある大阪、その地にある基幹病院では、愛知の事例とは逆に「誰も知らないうちに募集定員を減らされていた」のである。
いったい誰がどのような権限で「五大都市圏の上限規制破り」を、あるいは「誰も知らない間の募集定員調整」を行ったのか。
上述の日本眼科学会の質問書には「理事会で認められた」とあるため、機構理事会で決定された可能性はある。そこで筆者の手元に揃っている理事会の速記録に目を通してみた。
今年1月、2月、3月、4月の速記録を読み込んだが、少なくとも愛知県の「眼科専攻医上限規制破り」および中京病院の議論は全くない(近日中にこれらの速記録も公表する予定だ)。
また、大阪府の施設に関する議論も判然としなかった。少なくとも理事会で正式に決められたものではあるまい。
さらに内部資料を当たると、栄田事務局長代行が複数の施設(特に大学教授)に「専攻医数の増員はまだ間に合う」といった電話を直接かけていたことも判明した。
吉村理事長が病気療養中の期間の出来事である。栄田氏の一存で行えることではなく、恐らく幹部の指示であったのであろう。
読者もお気づきのことと思うが、内部資料によって機構の「調整」の実態と五大都市圏上限規制の不透明性、不公平性のからくりが見えてきた。
つまり、理事の大半も知らされずに、理事長、副理事長、事務局長代行といった一握りの人間が「恣意的に」数字をいじっていたのだ。
◆割を食った正直な施設
結果的に、割を喰ったのが、正直に専攻医を削減した施設であり、他施設に移らざるを得なかった専攻医、あるいは次年度に持ち越しになった専攻医なのである。
どうして、特定の病院に「恣意的に」便宜を図るのだろうか。誰しも両者に「特殊な」関係が存在すると考えるだろう。
中京病院を経営するのは地域医療機能推進機構(JCHO)。厚労省所管の独立行政法人で、2014年4月に全国社会保険協会連合会や厚生年金事業振興団などを合併して設立された。
理事長は尾身茂氏だ。尾身氏は元厚労省医系技官で、1978年に自治医科大学(自治医大)を卒業した1期生である。つまり天下りだ。
自治医大は1972年に自治省(現総務省)が設置した私立医大だが、東京大学や慶応大学と並んで厚労省の医系技官の幹部を輩出している特殊な存在だ。尾身氏も、その一人だ。
自治医大の卒業生が運営するのが公益社団法人地域医療振興協会。理事長は自治医大の1期生である吉新通康氏で、幹部には自治医大関係者が名を連ねる。
常務理事の外山千也氏は自治医大の2期生で、厚労省の健康局長を務めた元医系技官だ。これも天下りである。
この組織、直営、指定管理を含め72施設を運営する巨大病院グループである。2017年度の収益は1217億円だ。60億円の補助金を受け取っている。
これは国立の単科医科大学である滋賀医大が2016年度に受け取った運営費交付金・補助金の合計金額(57億円)より多い。巨額の補助金獲得には、外山氏など自治医大卒の厚労官僚が重要な役割を果たしていると考えるが無難だろう。
◆地域医療振興協会と密接な関係
尾身氏についても、地域医療振興協会と密接な関係であることは、ネットを検索すればすぐに分かる。
自治医大関係の記事には「地域医療振興協会会員」という肩書きで登場するし、同協会の機関誌である「月刊地域医学」の2018年7月号の巻頭インタビューには尾身氏が登場している。
地域医療振興協会の会長を務めるのが髙久史麿氏だ。
「医学界のドン」と称される人物で、自治医大が開設された1972年から82年まで自治医大の内科教授、82年から90年まで東京大学第三内科教授(88~90年までは医学部長)、1996年から2012年まで自治医大学長を務めた。前出の医師たちは、自治医大教授時代の髙久氏の教え子だ。
ちなみに髙久氏が第三内科時代に指導した医局員の中には、ノバルティスファーマ(ノ社)の臨床研究不正で患者に無断で検査結果をノ社に送った黒川峰夫・東大血液・腫瘍内科教授や、データ改竄の疑いが指摘され、前任の千葉大学から処分を求められた小室一成・東大循環器内科教授がいる。
髙久氏の後任の自治医大学長である永井良三氏も、髙久氏の教え子で、小室氏の前の東大循環器内科教授だ。かくのごとく、自治医大と東大第三内科は「親密」だ。
地域医療振興協会にも東大第三内科関係者は多い。理事の細田瑳一氏、川上正舒氏は第三内科OBだ。同時に自治医大関係者でもある。
細田氏は1974~92年まで自治医大内科教授を務め、その後、東京女子医大教授、榊原記念病院などを経営する財団法人日本心臓血圧研究振興会の理事長を務めた大物だ。
川上氏は1989~2012年まで自治医大に勤務し、2003年からはさいたま医療センターのセンター長を務めた。その後、地域医療振興協会が経営する練馬光が丘病院の院長に転出している。
さらに驚くべきは、日本専門医機構の前理事長である吉村氏も地域医療振興協会の顧問を務めてきたことだ。
◆自治医大、東大に支配されている機構
吉村氏は1966年に東大医学部を卒業した胸部外科医だ。第三内科出身ではない。両者にどのようなやりとりがあったか分からないが、何やらきな臭い。
筆者は、日本専門医機構は自治医大・東大関係者によって「支配」されていると考えている。
27人の幹部(理事長・理事・監事)のうち、16人は医学部教授か経験者だ。9人は東大医学部を卒業している。残りは知事、日本医師会、全日本病院協会の代表、あるいは医療事故被害者だ。いずれも厚労省の審議会の常連で、多くは「充て職」と考えていい。
さらに極めつきは先代の事務局長であった小嶋照郎氏の存在だ。
小嶋氏は元自治医大の庶務係長。1995年に自治医大を揺るがした「茎崎病院事件」で中心的役割を果たしたと言われている。
詳細は『選択』2013年9月号の記事「自治医大と髙久史麿 医療界を牛耳る陰の利権組織」(https://www.sentaku.co.jp/articles/view/13032)をご参照いただきたいが、この事件では自治医大が医師派遣の見返りに病院から金銭を受け取っていたことが判明している。
同時期に二重帳簿の存在が内部告発され、自治省OBで当時の理事長だった豊住章三氏は退職、小嶋氏は自治医大関連の地域医学研究基金に出向した。
『選択』では、「事件の大きさから考えると信じられないほど軽い処分だったのだ。この小嶋を重用したのが髙久である。小嶋はその後も専門医評価・認定機構(現日本専門医機構)や、医療安全全国共同行動の事務局を仕切ると同時に、(日本医学会の)会長選で髙久の集票マシーンとして働いた」と記されている。
日本専門医機構の経営が放漫であったことは、東大第三内科OBである上昌広氏が指摘している(http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/49835)。これは当時の事務局長であった小嶋氏の方針であったと見做すのが妥当だろう。
この時も髙久氏は、彼らをかばった。塩崎恭久厚労大臣(当時)や全国市長会が新専門医制度の在り方を問題視し、制度導入が遅れた際、エムスリーのインタビューに答え「立ち止まっていたら、きりがなく、財政的にもたなくなる」と意味深な発言をしている。
◆中京病院が特別扱いされた理由
現在も状況は変わらない。知人の日本医師会関係者は「小嶋氏は一連の混乱の責任を取る形で退任した」と言うが、新たに事務局長代理となったのが、日本精神神経学会の事務局に勤務していた栄田氏だ。
栄田氏は、「(移籍にあたり)小嶋さんにお世話になった」と周囲にもらしている。
このような背景を知ると、中京病院が特別扱いされた理由が見えてくる。筆者はムラ社会の内輪だけの議論で、「適当に」決めているようにしか見えない。
そこで優先されるのは関係者の利益だ。日本専門医機構が一般社団法人のままであり続けたのは、誰からもチェックされない体制が好都合だったからだろう。こんなことが許されるはずがない。
筆者は第三者委員会が機構に調査に入り、これまでのデータの即時公開と、公平性、透明性が確保されるまではこの制度は凍結すべきと訴えてきた。
ところが、驚く事に6月29日に吉村理事長、山下英俊副理事長(山形大学教授)、松原謙二副理事長(日本医師会副会長)の、これまでの機構の裏事情を知っていたトップ3人がすべて辞任してしまった。
お三方とも、とってつけたような理由を述べているが、噂では続投を望んでいたと言う。本人たちと同様に筆者も極めて残念である。
いったい誰がどのような権限で彼らの人事を決めたのだろう。疑惑を封印し、幕引きにする所存だったのであろうか。
新執行部はこれまでの資料をすべて公開し(あるいは、資料が無なかったと公開し)、全国の医療現場に巻き起こった混乱の経緯の明快な説明と謝罪、さらに今後の対策、真摯な取り組みを示すべきであろう。
◆付記: 筆者の拙文、「新専門医制度に新たな疑惑、データ改竄か」
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/53219
における東京都の過去5年間の眼科採用数についてさらに興味深い事実が判明した。
昨年11月17日時点での眼科学会調べでは「58人」であったが、12月3日に行われた眼科学会説明会の資料では「78人」に増えていたのだ(厚労省の HP にある最終的な数も同様である)。
過去の採用数の実績が多い方が、今回の専門医制度で多く採用できることになる。
初回は平成24~28年度の調査をもとにしており、順に44/49/59/55/83人だった。一方、12月3日のデータは、最も数が少ない平成24年を外し、平成29年を入れた5年間としていた。
これが初回の数字と大きく乖離している原因である上に、平成25~28年の数字も変えられていた。平成25~29の数字は順に、50/88/72/85/94人である。たった2週間のうちに随分と「調整」されたものだ。
これも機構が勝手にいじったのか、それとも眼科学会が「盛った」のか、筆者の疑念はますます膨らんでいる。
なお、文中の「平成29年度第四回合同PG委員会(H29.12.7)」の日付はH29.12.1、の誤りであった。むしろ