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Vol.148 この国の未来の希望の姿(5)未来に何を繋ぐか、新・日本主義とは何か。

医療ガバナンス学会 (2018年7月23日 06:00)


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福島県 浜通り
永井 雅巳

2018年7月23日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp

5月もゴールデンウィークを過ぎると、濃淡の緑の段だらの丘に、小手毬・大手毬の愛らしげな白いボンボリと、大きく茂った(垣根ではない!)紫陽花の季節だ。まだ、アカシアやエゴの大木からはヤマカガシにその蜜を吸わせた花びらが静かに舞いながら落ちる。山裾の気取った家には、真っ赤なバラも誇らしげに開くが、圧倒的なのは、やはり其処此処の段丘に繁る濃淡の緑が風にそよぐ姿だ。美しい日本はここに在る。

連休明けに、職場の看護師さん達にメイディー(May Day)を知っているかと聞いても、40代以下の人はほとんど知らない。さらに、“将来、年金いくらもらえるか知ってる?”の質問にも、まず絶句だ。この拙文を読んでいただいている方々はどうだろうか・・。

いくら、もらえるかの話ではなく、自分たちが老いた時(遠からず、必ず来る)、どうやって生き、かつどのように社会に貢献できるかの話だ。残念ながら、若者の多くは将来を知らず、今居るこの国の大半を占める高齢者の多くは、ただ生かされているだけだ。

筆者の世代では、まだ自分達が稼げるようになったら、将来、親の面倒ぐらいはみなくてはいけないといった文化が残っていた(残念ながら、筆者は出来なかった。ありがたいことに、国が裕福だったからだ)。今はどうだろうか。少なくとも、自分が出逢う多くの高齢者層で、その子供達が経済的に親を支援できている家族はほとんどない。むしろ、多くは山田昌弘氏がパラサイトシングルと例えたように、親の世帯に入っている若年者が多く、かつこの階層は確実に増え、中年層と呼ばれる世代にまで及んでいる。バブルの時代を生きてきた親が死ぬまで、いや死んでからも子達の面倒を見なくてはいけない国になっているような気がする。その後は、どうなるのか。遠い将来の話ではない、今、現実に起こりかけている話だ。

統計によると、2030年のこの国では、50~60代の男性の4人に1人は一人暮らし(単身世帯)になるそうだ。もはやパラサイト出来るモノが亡くなるらしい。もう後、10年ほどの話だ、嘘と想うなら、近くの家の門を叩けば、現実の話であることがわかる。一方、ちゃんと、途切れなく、国民年金を支払っても、現在、基礎年金は満額でも6万余程度(これからは減っていくだろうな・・)。それでも夫婦二人なら12万程度。頑張れば、これで暮らせないわけではないかも知れないが、一人欠ける(亡くなる)、あるいは一人だけだと、6万円。これで暮らせていけるだろうか。運良く、月額4~5万円程度の特別養護老人ホームに入れれば良いが、入れなければ、グループホームやサ高住では最低でも一人当たり月額12~13万円はかかるのではないだろうか。
介護を利用するにしても、自己負担は相応分が必要だし、もし、(もしではなく多くの人はなるが・・)病気になれば金がいる。消費税は貧しくとも富裕層と同等の負担を求められ、今後はさらに上がるようなので、モノを買うことも、電気やガス・水道を引くこと事も出来なくなるかも知れない・・。介護年金も上がり続けている。このような現実は、実はわれわれのような年配者の話だけではなく、今の壮年層、もっと言えば、若年層に向けて深刻だ・・。知らされていない、教えられていないだけである。なぜなら、この国を今、リードしている方々の大半は富裕層で、かつ将来に憂いのない年配者だから巧みである。

解決法は、(1)今の制度を変えること、あるいは、(2)金がなくとも幸福に暮らせる文化・国創りをめざすことだ。

(1)制度を変えることは簡単ではない。なぜなら、今のこの国の制度を作っているの
は、富裕者層とエリート層だから対局の選択肢は見えないし、見えても選ばない。対局層となる次世代には現実は知らせていないので、その若い世代は発言しない、発言する機会がないのが現在のこの国の姿だ。

ただ、一つの希望は、今、世界の色んな所で国を動かそうとしているのは、デジタル化された通信技術を使った一般市民(アンダーミドル)の声である。日本でも、かつて21世紀初頭には新たに信任された市民運動からのパーティがこの国の将来を創るチャンスを得たが、結果、当時の政権担当者の未熟さにより、国民全体をしらけさせ、この国の行くへを、その後の反動方向へと向かわせたのは大変残念だ。(が、米国におけるバーニー・サンダースの力をみよと言いたい)。この米国を初めとしたグローバルな機運を、この国でも、過去の過ちから葬り去り、諦める必要はない。

必要なのは、現実と将来を見据えた若い世代の冷静で、かつ誠実な力である。1980年以降、この国で次世代のリーダーとなる資質を持った若者の多くは、忖度が求められる官僚職を選ばず、社会資源として重要な責務を持つ医療職を志向してきた。現場に接し、この国の将来の希望や絶望を、水際一線で体感できる立場だ。霞ヶ関とは違う、現場目線でこの国の将来を考えることが出来る職種だ。その責務と遣り甲斐、誇りを持って声に出して欲しい。また、現世代における野党と呼ばれるパーティは、“政局”に拘泥し、つまらないスキャンダラスな事に国民を巻き込み、無駄な時間を費やすのではなく、この国の将来の希望の姿(ビジョン)について語るべきである。つまらない業界雑誌やマスメディアに追従するのは止めよう。

(2)金がなくとも幸福に暮らせる生き方への模索もまた難しい。レーガンとサッチャーによ
り主導された世界が、そしてこの国も追従してきた新自由主義(寛容と楽観の幻想)は世界の欲望を解放し。もはや、金が目的化し、人は金の奴隷となった。この国でも同様だ。GAFAなどの勝ち組企業は、資本の増殖にバーチャルな価値を見いだし、社員は切り離していくことに勢力を注ぎ、経済力が国や人間の在り様を決めることとなった。今では、政治の裏側にあるはずの経済が、いつのまにか堂々と表側にある。この経済のグローバリズムが格差を生む。
「資本主義の発展とともに富が多くの人に行きわたって所得分配は平等化する」というかつての考えは、ピケティの20カ国の100年間の実証的データ解析により、「資本主義の発展は富の分配の不平等化、経済格差を進める」というふうに書き改められた。彼の主張は明快で、根拠となるデータから得られた不等式:資本収益率(r)>経済成長率(g)は、資本主義というシステム自体が所得分配の格差を拡大させる仕組み、すなわち、富めるモノは益々豊かになり、貧しいモノとの格差を開くシステムであると結論づけた。そして、ピケティの考える格差の原因は、教育の問題、新しい価値観の形成、相続の蓄積と固定化など多くの問題を生むことになった。そんな格差の是正に向けたピケティの提言は極めてシンプルで、それは国際社会が協調し、資本に対して累進税を課す(国際間での富の再分配)というものだった。

しかし、今や大国と呼ばれる主権国家の多くが内的には問題を抱えながらも、“わが国ファースト”として突き進んでいることを見れば、このピケッティの想いは現実的には、極めて難しい。が、この国に限ればどうだろうか。これからの日本主義は、これらの大国を追従するのではなく、真にこの国に生まれて良かったとの想いを次の世代に、そして、次の次の世代の道標として創っていく事ではないか・・。

今、世界の一部の国では、国民自身が物質的な豊かさだけではなく、文化や精神、公正さ、環境の維持、時間の使い方こそ、幸福の重要なファクターであるとの価値観に転換しつつある。希望の姿は、誰にでも平等なチャンスが与えられ、高齢となっても死ぬまで社会からリスペクトされる集団となる国ではないか。

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