医療ガバナンス学会 (2018年8月21日 06:00)
当時、「共同会」は神奈川県立の知的障害者施設4園(殺傷事件のあった津久井やまゆり園と愛名やまゆり園、厚木精華園、秦野精華園)を神奈川県から指定管理者として運営を任されていました。(秦野精華園は、今年4月に県から「共同会」に移譲。)
私は、平成22年度末で神奈川県職員を定年退職しましたが、学生時代からボランティアとして障害当事者と一緒に歩み、事務職ですが福祉畑を長く歩いて来たので、当時の「共同会」落合理事長から定年1年ほど前に県の退職再任用を断って「共同会」のテコ入れにと声がかかり、年金受給との関係もあり、最低でも県再雇用期間の65歳までの約束で秦野精華園総務部長兼法人事務局参事(給与は県再任用と同等)に採用され勤務していました。しかし、次に理事長となった米山氏から64歳の時に突然解職の話があり、私と同時採用の愛名やまゆり園のY総務部長(神奈川県職員OB)を道ずれに、平成26年3月31日解職となりました。
建前上は、「今後はプロパーに任せる」とのことでしたが、その人材も育っていないことから総務課長としても年数の浅い課長を部長と兼務させると言うウルトラ技で乗り切ろうとしていましたが、コンプライアンスの欠如という状況を生じさせたと思います。
その後、私は縁あって障害者団体のNPO法人神奈川県障害者自立生活センターに就職しましたが、建前上の関係から道ずれ解職となったY総務部長は米山理事長に「私も辞めるつもりだし、就職先を見つけるから‥」と言われながら、その後一切理事長からの口利きはなく、逆に理事長は退くことなく3年が経過し、一昨年の津久井やまゆり園での殺傷事件となりました。
小川県議の記載にもありましたが、「共同会」は県立秦野精華園の再整備スタート(平成2年)にあたり、再整備後の運営は県立民営方式が適切とされたことから、行政、障害者施設、地域作業所、障害者保護者(親の会)の総意によって設立された社会福祉法人で、神奈川県の福祉の核となる法人です。
こうしたことから、外部からの理事(現行の評議員)には、障害者施設、元地域作業所、障害者保護者(親の会)のメンバー、学識経験者(県OB)が就任しており、外部の理事からは社会福祉法人としての社会貢献に関することや職員対応に関することなど多くの意見が出されました。しかし、内部理事の県OBの理事長、常務理事からは議会答弁的な説明・回答しかなく、2園の県OB園長の発言もないことから、外部理事からの貴重な意見も未消化に終わっていました。(内部理事6名のうち4名が県OBで、県の再任用職員より100万円以上の高額の給与が支払われていることから、プロパー職員のモチベーションの低下につながっていた状況もあります。)
平成25年度に約10億円の指定管理料の清算を行った要因として、職員の人事評価課題への対応の遅れや、社会福祉法人としての社会貢献事業にお金を出すことなく、県内最大法人(入所者約500名、職員約800名)であることをバックに、地元市町村から相談事業、生活介護などの委託事業を独り占めしていた状況があり、中規模の障害者施設を運営している当時の評議員から「やりすぎでは」とのも出ていました。(以前は、理事会・評議員会前に4園の支援部長・総務部長を交えた議題・内容の整理があり、また、理事会・評議員会への県障害福祉課担当職員のオブザーバー参加がありましたが、米山理事長時代になくなりました。)
さて、本題の「共同会」の1つ目の問題点は、社会福祉法人としてのミッション(mission)が不明確だと言うことが挙げられます。
ミッション(任務や使命)には、大きく分けて次の3つの要素が含まれると思います。
第1に「到達すべき目標がある」こと、 例えば、各園を拠点に地域福祉を推進する(新たな社会資源の創設)
第2に「目標に進んでいく行動がある」こと、例えば、地域においても、より良いサービスの提供を行う(組織、人材、設備)
第3に「それらが何かに求められている」(義務がある)こと、例えば、社会福祉法人として、社会(当事者、関係機関・団体等)からの要請に応える
(神奈川県下で入所施設を所有せず、在宅支援を中心に事業展開をしている社会福祉法人県央福祉会では「福祉現場は、どんな人の人生も肯定した社会をつくる」「福祉現場は、社会の仕組みや制度を変える」等のミッションを掲げています。)
「共同会」は社会福祉法人としてのミッションを職員に示すことができておらず、それ故職員は目指す方向を確信できないため、津久井やまゆり園事件後の職員が置かれた状況についても「職員は利用者の前では笑顔で振る舞い、課長は職員の前で気丈に振る舞う。誰もが被害者で辛いはずなのに「助けて!」が言えない」という声が聞かれました。
1つ目の問題点に関連して、2つ目の問題点として、経営者層(理事長、常務理事、4園の園長)の役割の欠如があります。私の在職中は、4園の園長は、各園の運営上の主張のみで、理事長、常務理事が社会福祉法人としての方針を示せないことから、社会福祉法人としての体を成していないと思わずにはいられませんでした。
こうした経営者層の状況が、社会福祉法人としてではなく、単なる県の指定管理施設運営(広域性、専門性も欠落)となっていたと思います。 職員は与えられた職務に力を注いでいますが、経営者層が、「共同会」に求められている役割・責務を認識せず、その役割を果たしていないことから、法人の役割が他の法人(民間事業者)と同質となっています。
4つの県障害者施設の指定管理者として大法人となった「共同会」の立場を意識し、神奈川の障害者福祉施設(支援)の要として、医療で言えば「大学病院」的な役割を社会福祉法人の立場から果たすことを目指す。そうでなければ法人を解散すべきと言っても過言ではありません。
将来を考えている有為な職員からは、「神奈川の福祉の先頭に立つ、魅力のある法人としたい」「県とタッグを組み、福祉先進県を復活させたい」との声が上がっていましたので、こうした声にどう向き合うかが問われています。
津久井やまゆり園の殺傷事件についても、残念ながらこのような「共同会」の幹部職員の資質の問題が背景にあると思います。県OBの2園長を含め1日に何回現場(寮)を回り職員や利用者さんと顔を合わせているでしょうか。私の在職期間中の経験では、事務室には顔を出しますがあとは園長室が多いと‥。
入れ墨をしていた加害職員に、入れ墨が見えないようにと指導したと言うことですが、入れ墨を入れ、それを人に見せたくしょうがない人がそんな話を聞くわけがなく、まして見えないようにして入浴支援などができるわけはありません。入れ墨を入れていることをきちんと職員、利用者さんに理解をしてもらってからの支援が本筋であり、見えなければ良いと言うのは上辺の対応にすぎず専門性の観点からも課題があります。
3つ目の問題点として、コンプライアンス(法令順守)の欠如が挙げられます。
訴訟関係としては、グループホームの世話人さんの給料の未払いに対する和解や自動車事故を起こした職員に対する不法解雇に対する和解など、和解処理で何とか上辺をつくろって来たのが現状(当時の理事会でも指摘がありましたが、全て事後報告対応)で、こうしたその場しのぎ主義がはびこり、根本的な対応は進んでいないと思われます。
また、園長会議で決定した要綱を自らが違反する内部規程に反する行為への不適切な対応が有ります。週刊誌記事的な話になりますが、米山理事長が、お気に入りだったY女性園長は、法人の「園長級、部長級職員再雇用制度実施要綱」の規定により、年金支給との関係で給料は上がらないはずが毎年上がり、住宅手当支給対象ではないのに手当が支給されていた経過があり、そのことなどを指摘した私は解職。
逆にY女性園長は、私が指摘後に園長会議のお手盛りで同要綱を改正し、昇給・住宅手当の受給を受けながら定年再雇用最長年齢の68歳まで園長職に就き、その間、同園が運営するグループホーム入居者の遺留金の総務課金庫からの紛失(80万円)があり未解決にもかかわらず、平成28年3月末(最長で68歳)で退職のはずが、4月1日から非常勤参事として採用。法人本部で一般事務室ではなく、理事長、常務理事と同室待遇、高額で再雇用。
プロパー職員から疑念の声が聞こえ、職員のモチベーションの低下につながっていていましたが、こうした上下職員間の風通しの悪さが、利用者さんをターゲットにした津久井やまゆり園の殺傷事件の背景にあるとも思われます。
さらに、人事評価システムは制度化されていますが、情実人事とも言える状況が生じていました。米山理事長(事故当時の園長)とY園長(事故当時の支援部長)の二人が中心になって平成19年3月1日に秦野精華園で起きた通園バス事故(17人重軽傷)の対応を事務室に泊まり込み体制でしたことから、支援の質に関係なく一緒にその当時対応した職員への優遇人事とも思われることが行われ、法人内では「バス事故仲間人事」と陰でささやかれ、人事評価システムの形骸化の一要因となっていたと思われます。
また、3園で支援部長職にあった人が自己都合でそれぞれの園を去り、数年すると園長会議の承認により課長職で再雇用され、1年後には元の部長職に就く状況があり、残って支援実績を積み上げてきた職員のモチベーションの低下につながるようなことも‥。
平成28年2月に加害職員に退職を命じた当時の津久井やまゆり園K園長(前職は総務部長)は、米山理事長とY女性園長の2人(プロパー職員からはY・Yラインと呼ばれていたようですが‥)で園長会議(理事長、常務理事、事務局長、4園の園長がメンバー)を牛耳ってしまうことや、支援の在り方への懸念などがあり、同年の3月末で自主退職。
このK園長が津久井やまゆり園事件の当日(7月26日)に法人本部に駆け付け「何か手伝うことは?」との問いに、当時の常務理事からは「今は混乱しているので‥」と一声有ったきり、以降一切連絡はなく、園長時代の加害者や園の状況を聞かれることもなく、法人内・外部の検証委員会にも呼ばれることは無かったとのことです。(加害職員を直接指導していた女性支援部長が平成28年4月から園長に昇格し、7月に事件が起き、以降この新園長が度々マスコミに登場しています。)
4園の若手・中堅プロパー有志職員と大学教授を交え月1回の退勤後勉強会も開催していましたが、仕掛け人であった総務部長職にあった私達の退職(解職)にあたり、次の「共同会」を担えると思ったプロパーの支援部長に勉強会を引き継ぎました。
しかし、その支援部長も退職理由は周囲に一切告げず、この本年3月末で自主退職し、他法人の一相談支援職員に転職しました。
長々と書きましたが、一般職員は、日々汗を流して一生懸命に働いていますが、頑張ろうとする職員の受け皿もなくなり、今後の「共同会」に期待できるものは何も無くなったと言えます。
こうした状況の中、米山理事長は、津久井やまゆり園の事件の責任問題から、平成29年1月、知事に理事長を辞任する旨を告げて置きながら、5か月後の6月に任期満了をもって退任と言う、通常では考えられない身の引き方でした。
平成29年6月の理事会・評議員で、草光新理事長(前理事:県職員OB)が誕生し、新常務理事(県職員OB)が就任し、その後、外部からの理事2名を迎い入れました。しかし、米山理事長退任後もY女性前園長は法人事務局に残るなど、Y・Yラインの残した影は色濃く、法人の体質がそう簡単に変わるとは思われません。体制の変更から1年以上を経過しましたが、一般プロパー職員からは、「何も変わらない」との声も聞こえてきます。経営層と職員間に“新風”を吹き込めているのか気になるところです。
新体制に望まれることをあえて言えば、次の2点ですが、こうしたことが実行されなければ、現場で日々汗を流している職員のことはありますが、今後の神奈川の障害者福祉の観点や障害当事者全体の視点から、「共同会」は県立障害者施設の指定管理者を辞退するか、法人自体を解体し出直すしかないと思われます。
1 一般職員が誠実に仕事をしている状況を認識して行く中から、もう一度社会福祉法人設立の原点に立ち返えり、「大」法人となった現状を踏まえて法人のミッションを内外に示し、新たな法人運営(社会貢献事業等)を展開すること。
2 神奈川の障害者福祉の“明日”を県(官)と共に「民」としての立場から一体となった推進を図ることが肝要であることを職員に伝え、官民の狭間にある障害当事者の支援についても職員と共に汗を流すこと。
最後に、新施設が建設されますが、支援内容や運営形態が変化することから、こうした内容について公に論議する場を設けて、指定管理者の在り方を再検討するとともに、県立の障害者指定管理施設の入所者の決定にあたっては、これまでの様に当該法人(各園)に任せることなく、障害当事者の意思決定の視点からも、きちんと県職員が加わった入所判定会議を行い、広域・専門性を念頭に真に必要としている者の入所が図られるよう体制を整えることが何よりも大切だと考えます。
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牛島秀保
昭和47年4月_神奈川県に奉職(上級職)※主に福祉関係の職務に従事
(国民健康保険課,児童課、障害福祉課、交通安全対策室、相模原青少年会館、藤沢土木、福祉総務室、障害福祉課、青少年課、障害福祉課、総合療育相談センターの順に異動)
平成22年3月_神奈川県を退職
平成22年4月_落合理事長の招聘により社会福祉法人かながわ共同会に就職(秦野精華園総務部長兼法人事務局参事)
平成26年3月_米山理事長の命により、同法人を退職
平成26年4月_特定非営利活動法人神奈川県障害者自立生活支援センターに就職(電動車椅子使用の事務局長を補佐)
※県障害者権利擁護センターンター業務、障害者相談業務を担当。
平成28年1月_同法人の経営難により自主退職 ※ボランティアとして支援
平成30年5月_特定非営利活動法人福祉工房オハナ 障害者グループホーム・セントエクレシア綾瀬に就職
※娘夫婦と開設したグループホーム(精神障害・知的障害が対象)で世話人として勤務。
※平成24年度から29年度まで、神奈川県障害者スポーツ指導者協議会及び神奈川県障害者スポーツ振興協議会の会長に就任。
※現在は、公益財団法人神奈川県体育協会理事などに就任。