最新記事一覧

Vol.198 宮城県が作った強制不妊手術の「推進装置」【連載レポート】強制不妊(22)

医療ガバナンス学会 (2018年9月28日 15:00)


■ 関連タグ

この原稿はワセダクロニクル(8月10日配信)からの転載です。

http://wasedachronicle.org/articles/importance-of-life/d27/

ワセダクロニクル

2018年9月28日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp

ttp://expres.umin.jp/mric/funin22-1.pdf

宮城県が強制不妊手術の徹底に向けてアクセルを踏み込んだのは、1957年だ。「オール宮城」で動きだしていた。全国で最も強制不妊手術の件数が多いのは、北海道の279件。宮城県は34件だった(*1)。
この年の4月、厚生省(当時)の公衆衛生局精神衛生課長で医系技官(医師)の大橋六郎(*2)は都道府県の衛生主管部宛てに次のような書簡(*3)を出した。
「各府県別に実施件数を比較してみますと極めて不均衡でありまして、これは手術対象者が存在しないということではなく、関係者に対する啓蒙活動と貴職の御努力により相当程度成績を向上せしめ得られるものと存ずる次第であります」

1957年の2月12日、宮城県精神薄弱児福祉協会が結成された。福祉協会は「優生手術の徹底」を掲げて「小松島学園」の設立に乗り出す。飯塚淳子(72)が入所した施設だ。福祉協会は「宮城県内には3万人超の精薄児がいる」(*4)という「危機感」を持っていた。役員には政財界や教育・福祉関係者が就き、県からも知事の大沼康や民生労働部長の鈴木茂雄が入った。
NHK経営委員の岩本正樹や仙台の放送局長、河北新報社会長の一力次郎までが名を連ね(*5)、戦前の「翼賛体制」そのまま、官民が一丸となった。
結成について、1957年度の福祉協会の事業報告には次のように書かれている。
「本県に於ける多数の斯界関係者によって宮城県精神薄弱児福祉協会として本協会が結成発足したもので、本県は勿論全國的にみて歴史的な民間運動といっても過言ではない」
この福祉協会の運動に呼応して、宮城県は1962年、強制不妊手術を推進するための「装置」を作り出す。
「宮城県中央優生保護相談所附属診療所」。
診療所は元々、米兵相手に売春している女性たちの性病を治療するための病院だった。だが、米軍の引きあげに伴い、1957年には当初の役割を終えていた(*6)。
診療所の開設許可書の「診療科目」の欄には次のような記載がある。
「優生保護法第4条と12条による手術のみ。一般外来は行なはない」(原文ママ)
つまり強制不妊手術専門の診療所を宮城県が作ったということだ。
「診療日」は、日曜、祝日と年末年始以外、毎日だ。宮城県は、厚生省の要請通り、突き進んでいく。
開院した翌年の1963年、宮城県の強制不妊手術の件数は114件となり、全国1位となった。81件の北海道を抜いた。16歳の頃、飯塚淳子が理由も告げられずに手術をされた年である。
この年から10年間、宮城県は強制不妊手術の件数「全国1位」の座を維持し続けた。

1964年11月初旬、宮城県のある医師が静岡市公会堂で開かれた「第9回家族計画普及全国大会」(*7)で発言する。全国大会は厚生省、静岡県などが主催した。
「人口資質の劣悪化を防ぐため、精薄者を主な対象とした優生手術を強力に進めております」(*8)
医師の名は長瀬秀雄。淳子を手術した診療所の所長だった。
(敬称略)
[おことわり] 文中には「精神薄弱」など差別的な言葉が含まれていますが、当時の状況を示すために原文資料で使用されている言葉をそのまま使用しました。
=つづく
(C)Waseda Chronicle, All Right Reserved.
[脚注]
*1 都道府県ごとの総件数などは「【強制不妊】厚生省の要請で自治体が件数競い合い、最多の北海道は『千人突破記念誌』発行」を参照のこと。
*2 1938年京都大学医学部卒業。兵庫県警察部衛生課、国立公衆衛生院、神戸検疫所長などを歴任。出典:大橋六郎「生きがいのある公衆衛生の仕事」『公衆衛生』(30巻第8号)、1966年、29頁。詳しくは「【強制不妊】厚生省の要請で自治体が件数競い合い、最多の北海道は『千人突破記念誌』発行」を参照。
*3 厚生省公衆衛生局精神衛生課長(大橋六郎)「優生手術実施啓蒙について」。1957年4月27日付の書簡。詳しくは「【強制不妊】厚生省の要請で自治体が件数競い合い、最多の北海道は『千人突破記念誌』発行」を参照。
*4 宮城県精神薄弱児福祉協会の設立趣意書。
*5 詳しくは「オール宮城で『優生手術の徹底』、NHK・河北新報の幹部も顧問に 【連載レポート】強制不妊(5)」「NHK経営委員と『優生手術の徹底』 【連載レポート】強制不妊(6)」「マスコミは『味方』だったのか【連載レポート】強制不妊(10)」「新聞記事で『精薄児を徹底的に絶やす』【連載レポート】強制不妊(11)」を参照。ワセダクロニクルは2018年2月28日にNHK会長の上田良一宛に、当時の仙台中央放送局長が「優生手術の徹底」を目的に掲げた宮城県精神薄弱児福祉協会の顧問を務めていたことについて見解を求める質問書を送付した。NHK広報局は2018年3月1日午後4時53分にファクスで「外部の顧問になったという記録はNHKには残っておらず、事実関係は確認できませんでした」と回答した。NHK経営委員が同じ宮城県精神薄弱児福祉協会の副会長をしていたことについても、NHK広報局は2018年3月6日付回答で同様に「記録は、NHKには残っておらず、事実関係は確認できませんでした」とした。これらの回答の特徴は、資料は外部の公共機関に残っていて、誰でも入手し、あるいは確認することが可能であるにもかかわらず、NHKはあくまで内部での資料の存否に限定して回答をしている点だ。また、ワセダクロニクルは河北新報社社長の一力雅彦宛にも、当時会長だった一力次郎が「優生手術の徹底」を目的に掲げた宮城県精神薄弱児福祉協会の顧問を務めていたことについて見解を求める質問書を送ったが、2018年3月1日午後3時の回答期限を過ぎても回答はなかった。ワセダクロニクルは、同日の午後4時34分と同53分、午後5時1分に、回答不達の確認を求めるため、同社に電話し、担当者にメールをした。担当者から同日の午後5時27分にメールが届き、「回答しないという対応を取らせていただきます」との回答を得た。ワセダクロニクルは、回答しない理由などをメールで照会したが、約5ヶ月が経った2018年8月10日午前5時現在も回答が届いていない。河北新報社は、創業家出身の当時の会長が「優生手術の徹底」を目的に掲げた団体の顧問を務めていたことについては口を閉ざす一方で、国などに対しては批判をする。河北新報社は2018年3月6日に社説「強制不妊 救済の動き/スピード感を持って対応を」(2018年3月6日取得、http://sp.kahoku.co.jp/editorial/20180306_01.html )を掲載、「国はこれまで被害者から謝罪と補償を求められても、『当時は合法だった』との根拠を盾に背を向けてきた。国連女子差別撤廃委員会から補償勧告を受けても、過ちに全く向き合ってこなかった」「政府や国会、自治体は負の歴史に真摯に向き合い、スピード感を持って救済に取り組んでほしい」と記述した。
*6 仙台市史編さん委員会編『仙台市史 特別編4 市民生活』1997年、329頁。
*7 開催日は1964年11月5日と同6日。
*8 厚生省・静岡県ほか「『第9回家族計画普及全国大会』大会資料」1964年、14頁。

MRIC Global

お知らせ

 配信をご希望の方はこちらのフォームに必要事項を記入して登録してください。

 MRICでは配信するメールマガジンへの医療に関わる記事の投稿を歓迎しております。
 投稿をご検討の方は「お問い合わせ」よりご連絡をお願いします。

関連タグ

月別アーカイブ

▲ページトップへ