医療ガバナンス学会 (2010年2月28日 15:00)
【事件の経緯】
報道によると、山本病院は院長が理事長を務める医療法人であり、院長は心臓外科医である。生活保護を受けている男性に、良性肝腫瘍の手術が行われた。院長は適応外の手術を、経験も準備も十分でないまま施行し、その結果、大量出血を起こしまもなく死亡した。男性は十分に内容を理解しないまま、手術を受けている可能性があるとされている。院長は他にも入院者に対して不要な検査を行い、診療報酬を騙し取ったとして詐欺の嫌疑を受けているが、どういう病状で男性は同病院を受診し、自宅で生活できなかった理由が何かは明らかではない。
【病人の利益にならない医療行為について】
病人の利益を目的としない医療は古くから存在し、事件があるたびに医の信頼に暗い影を落としてきた。第二次大戦で軍事目的の薬物実験に捕虜を使った歴史があり、戦後には営利目的で子宮摘出を行ったとされた富士見産婦人科事件があった。報道のままを事実とすると、今回は営利目的で不必要な手術が行われ病人が死に至ったことになる。
【インフォームドコンセントについて】
インフォームドコンセントは世界医師会が宣言した患者(病人)権利の最も重要な条項の一つで、どのような医療行為も、受けようとする本人が同意するかまたは断るために、必要で十分な説明を受ける権利があるとされている。
提供される情報は、手技や治療の詳しい説明、治療法が医療上持っている重要な危険性、代替療法の存在、治療を受けた場合と受けなかった場合予想される経過と危険性、治療や手技を行う人の名前など、具体的に内容が挙げられている。これらの情報を得た上で、本人の意志で医療行為は行われることになっている。
第二次世界大戦で行われた医療の暗部に対する反省に基づき、いまわしい事件の再発防止のために医師たちが到達した結論である。なぜ、インフォームドコンセントが行われなかったのか、おそらくこの医師は患者の権利の存在を知らず、意味を理解せず、教育も受けていなかったと考えられる。日本には患者の権利という法体系がない。医師法、医療法の規制があるが、患者の権利は明文化されていない。医学教育にも一般教育にも反映されず、患者になったとき、手術を受ける側に断る権利が保障されていることを知らない人が多い。
【医師という専門職が犯す犯罪について】
今回のような犯罪は医師のみが可能であり、専門職で無ければ起こりえなかった。専門職の犯罪には業務上過失致死罪があるが、過失か故意かは判断の大きな分かれ目となる。
報道が事実とすれば、本件は医師が行う故意の犯罪という範疇に入り、犯罪性が濃厚である。医療の本来の目的は救命でも、過誤はある一定の確率で存在し、死亡事故も実在する。同じ医療が関連する死といっても、犯罪と事故とは明確に区別されるべきである。
【病院管理者について】
このケースで医療行為を行ったのは病院の管理者である。手術を行う医師と管理者とが同一人物であり、意図的に不正な医療行為が行われてもチェックが掛からない。病院の最高責任者は医師であると決められており、責任者が思い立てばそのまま走ってしまう組織構造になっている。最高責任者から医師を外すという考えもあるが、富士見病院事件では事務長が首謀したといわれ、医師で無ければ誰でもよいというものでもない。医師が医療を手段として罪を犯すことは、自らも失うものが大きいので普通ではありえない。再発防止には医師の倫理性を高めることがポイントである。
【貧困の一人暮らしの人の医療について】
この事件は、貧困で家族がいない人に対する医療と介護の問題を含んでいる。病気の人は自立も生活も容易ではない。貧困者ではなおさらである。社会的なセーフティーネットが不十分な日本では、いわゆる社会的入院といわれる、生活支援を必要とする人が入院を望むことが多い。生きる場所を確保するために、望まない手術でも同意する話も聞く。生活困窮者を支える仕組みのないことが医療にその役割を求め、社会にミスマッチを産んでいる。
【再発防止について】
再発防止の定番は、良い悪いは別にして、あらゆる角度から問題点を列挙し、その背後要因を分析し、最も重要な原因に対して対策を立てる。この事件の原因もいろいろな要素が混じっているが、最も根源的な原因は人権問題にあると思う。
【処罰による責任追及の効果】
第二次大戦では医療も軍事的目的に関わる過ちを犯した。本例も、医師が専門性を利用し、必要の無い医術で弱者を欺き、結果的に死に追いやったという点では類似性がある。おそらく刑事責任が追及され、処罰により医師が追放され、うわべはきれいに整うだろうが、また別な形で同じ問題が起きそうな気がする。責任追及は当事者が中心だが、多くの医師は犯罪の意図を持つことは無く、処罰が自身に関係するとは思わない。脅しの効果はあまりない。
【患者の権利は病人保護の視点】
世界医師会はニュールンベルグ裁判の後、患者の権利を制定し、多くの医師に呼びかけ、アメリカでは法律化された。権利の侵害を調査する事務所も整備されている。病者の権利に視点を置いた再発防止である。法制化されていればおそらく医療者ばかりではなく一般にも教育が行われるだろう。上から見ての医師の責任追及だけでなく、病人の保護という視点が働いている。
【患者(病人)権利とは】
患者の権利宣言は医療倫理の基本であり世界の趨勢である。インフォームドコンセント、自己情報のコントロール権、担当する医療者の名前を知る権利、今度の診療報酬改定で制度化された診療明細書を受け取る権利など、十数項目にわたって述べられている。患者の権利の法制化で医学生や医師への教育、一般の人たちへの教育にも反映されることになろう。日本でも検討されるべきである。
【患者の権利のための行動が再発防止には必要である】
山本病院事件で最も患者の権利に沿った行動をしたのは、病院が閉院となり働き場が無くなることを省みず、病理標本を検査に送り証拠を作ったといわれる看護師さんであろう。国民の多くが病気を持つ人々のために行動し、その権利に関心を持つ、それがこのような事件の再発を防ぐことになるのだと思う。