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vol 79 予防接種部会傍聴記(4) 「国民の意識」と「政治主導の意味」を忘れていないか

医療ガバナンス学会 (2010年3月2日 07:00)


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細菌性髄膜炎から子どもたちを守る会事務局長
高畑紀一
2010年3月2日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp

【乖離する部会と国民の意識】
「緊急なものへの対応は元々シンプルにすべき。どうしても複雑なものにするなら特措法」。この発言が何故「ごくごく少数の意見」と感じられるのだろうか。
2月19日に行なわれた第5回厚生科学審議会感染症分科会予防接種部会での議論は、部会の意識が国民のそれとは大きく乖離していることを露呈することとなった。
冒頭に紹介した発言は黒岩祐治委員(ジャーナリスト・国際医療福祉大教授)のもので、後者は加藤達夫部会長のもの。確かに部会での発言からは「ごくごく少数」の委員の意見であることは事実なのだが、しかし、国民の意識としてはそう言い切れるであろうか。少なくても、議論をつぶさに目の当たりにしている傍聴席の反応は、黒岩委員の発言への賛意が「ごくごく少数」ではないことは明らかであった。部会終了後、何名かの傍聴者と感想を述べあったのだが、多くの方は「黒岩委員の発言はそのとおり。なぜ他の委員は事務局案を丸呑みしようとするのか」というもの。私が話を聞いた傍聴者が全てではないし、傍聴者の意識と国民の意識が完全一致するわけでもないだろうが、さり
とてそうかけ離れたものであるはずもなく、黒岩委員の発言が「ごくごく少数」となる部会全体の意識は国民の意識とは乖離していると言っても言い過ぎではないだろう。

しつこいほどの繰り返しとなるが、私は新型インフルエンザ対策を予防接種法に盛り込む「パッチを当てる」作業は、余計なものは含めずに必要最小限に留めるべきだと考えている。
今回の新型インフルエンザ対策については、予防接種による対応も含めて、その妥当性や改善すべき反省点等の検証が行われていない。ワクチンの供給量に限りがある場合に優先順位を示すことは必要であろうが、現場の判断に委ね弾力的に運用することを認めずに金科玉条の如く政府が優先順位を徹底させたことが果たして妥当だったのかどうか。特措法を作ってまで接種を推進したワクチンにも拘らず、接種費用は国民から徴収することが適切だったのかどうか。保健所による集団接種ではなく個別の医療機関での接種が適切だったのか。検証しなければならないことは数多い。であればこそ、今回の特措法による対応をまるまる予防接種法に持ち込むべきではないし、どうしても予防接種法に位置づけなければならないのなら、極めてシンプルにすべきなのである。
以上のように考える私にとっては、黒岩委員の「予防接種法ならシンプルに。シンプルにできないなら特措法で」という考え方には共感を覚えるのだが、これを「ごくごく少数」といわざるを得ない部会の意識~意識というよりは空気といった方が妥当かもしれない~に対して強い違和感を感じる。

【委員の発言は一個人のものではない】
黒岩委員が感情を露にし、事務局案の追認に終始している現状に抗議する一幕があった。前後のやり取りから直接的には事務局への抗議であったが、その真意としては事務局だけを批判するのではなく、本質的な議論に踏み出さない部会全体への抗議ではなかったのだろうか。
民間の有識者、専門家等が委員を務める審議会が、厚生労働省事務局の叩き台を追認するだけなら、それは百害あって一利なしだ。事務局が全てを決定できるなら、審議会は不要である。喧々諤々の議論を経て、専門家や国民の意見を事務局案に反映させることに審議会の存在意義がある。
審議会の委員は、個人として優秀な人物だからこそ委員となっているわけだが、同時にその帰属する集団の代表である側面を忘れてはならない。集団とは直接帰属する組織だけではなく、より大きなものを意味する。委員は議論において、自らが帰属する集団を代表しているという意識を持つべきであろうし、それは同時に議論する相手の意見も帰属する集団を代表していると受けとめるべきだ。部会の委員構成を見ると、医療、公衆衛生、行政、法律の専門家の代表が名を連ねているが、予防接種を受ける側の代表はいない。最も近いのがメディアの代表であり、だからこそ黒岩委員は国民の視点というものを非常に重視して発言されているのだと思われる。黒岩委員の発言を「ごくごく少数」として切り捨ててしまうのなら、それは国民の声を軽視することに繋がる危険を孕む。予防接種という全国民に関係する制度を論じるのだから、なおさら犯してはならない過ちである。

【政治主導の意味を忘れてはいけない】
今回の部会には足立信也政務官が途中から参加、終了時まで議論に耳を傾け、時には発言もされた。官僚は何かと制限の多い立場に置かれる。良かれと一歩踏み込んだ発言をすれば、分をわきまえない発言と叩かれることもある。政府を代表して発言できるのは、自らが発言に責任を持てる政治家だ。また、最終的に判断するのも、有権者の付託を受けた政治家である。故に、政務三役が部会に参加することは非常に有益なことである。
とりわけ新型インフルエンザ対策の検証の前提となる記録が、新型インフルエンザ対策本部の専門家諮問委員会において殆ど残されていない状況においては、官僚任せでは「検証できません」となることは目に見えている。
政治主導とは、政治家が政策決定するだけではなく責任を負うことと一である。従来の「政策決定は官僚任せ、責任は取りません」という政治が、官僚に必要以上の重責を担わせ、官僚が責任を追及され、だからこそ官僚が組織防衛に走るという構造を形作ってきた。ワクチン・ギャップもその構造が生み出したのであり、その解消を目指す予防接種部会は、政治主導を体現する部会でなくてはならない。法にあれこれ盛り込めば、「あったほうがラク」という官僚の組織防衛に寄与する考え方と、「そもそもシンプルであるべき」であり優先接種順位などは政治判断で行うべきという政治主導に適う考え方、いずれが予防接種部会の議論にふさわしいのか、今一度考えていただきたい。
そして今後も政務三役には部会に参加していただきたいし、委員には政治主導の意味を常に踏まえて議論いただきたいと思う。

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