医療ガバナンス学会 (2010年3月4日 07:00)
東京大学医科学研究所
先端医療社会コミュニケーションシステム 社会連携研究部門
上 昌広
※今回の記事は村上龍氏が主宰する Japan Mail Media(JMM)で配信した文面を加筆修正しました。
2010年3月4日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行 http://medg.jp
【鈴木寛文科副大臣発言】
この議論のきっかけは、鈴木寛文科副大臣の発言です。昨年12月11日に都内で開かれたシンポジウムで、1980年以降増えていない大学医学部を「新設するかどうか、来年から議論を深めていく場を設けることが決まっている」と、医学部新設を視野に入れていることを明らかにしました。
さらに、「医学部の新設について来年から議論を深めていこうということで、議論の場を設定することは決まっている。その結果がどうなるかはまだ分からないが」とも述べました。
予算作成のタイムスケジュールから逆算すると、今春くらいには文科省に検討会が立ち上がり、議論が始まるでしょう。そして、その人選が、設置形態や場所に大きな影響力を持つことは言うまでもありません。
【西高東低の医学部】
医学部新設の目的は、「医師の増員」です。しかしながら、医学部新設は、「医師偏在解消」の最も有効な方法と考えることも可能です。
現在、我が国には80の医学部があります。各県に最低一つあるという意味では、「平等」な感じがしますが、実態は違います。人口当たりの医学部卒業生数は、圧倒的に西高東低です。
例えば、九州の人口は1320万人ですが、10の医学部があり、年間約1000人の医師を養成します。四国の人口は401万人で、4つの医学部があります。ちなみに、このレベルは、人口1300万人で11の医学部がある東京と同レベルです。
一方、千葉・茨城・埼玉県の人口は合計1630万人ですが、医学部は4つしかありません。うち一つは防衛医大のため、地域医療への貢献は限定的です。
今の医師養成システムを続ける限り、関東近郊の医師不足は解決することはあり得ません。
【戊辰戦争と医学部の関係】
なぜ、このような格差が出来たのでしょうか?二つの理由が考えられます。一つは、第二次世界大戦後、東京近郊で人口が急増したこと、もう一つは戊辰戦争の影響です。
前者は誰でも想像がつきます。昭和10年の時点での、九州の人口は1230万人。千葉・茨城・埼玉の人口は430万人でした。現在の人口は、それぞれ1320万、1630万人ですから、東京近郊の人口増が如何に急速かおわかりでしょう。東京近郊で、社会資本の整備が人口の増加に追いついていません。
問題は後者で、私はこちらの影響の方が重大だと感じています。九州地区の医学部は歴史が古いのが特徴です。例えば、長崎大、鹿児島大、熊本大は長崎奉行書西役所医学伝習所や藩医学校を前身としています。江戸幕府や西国雄藩が、富国強兵の一環として、医学に力を入れたのでしょう。このような藩校は、明治以降、地域の中核医学部として発展します。
また、九州は維新以降も、重点的に開発されます。例えば、九大と久留米大学は1903年、1928年に設立されました。驚くべき事に、戦前の段階で、九州には5つの医学部がありました。そして、高度成長期に宮崎、大分、佐賀、および福岡(福岡大学、産業医大)に新設され、現在に至ります。
一方、賊軍とされた幕府側は憂き目を見ます。その代表が会津藩です。会津藩には日新館という、全国有数の藩校があり、その中には医学校もありました。しかしながら、日新館は戊辰戦争で焼失し、その後、再建されることはありませんでした。藩主松平容保は鳥取藩預かりの禁固刑となり、跡を継いだ嫡男容大は陸奥国斗南(青森県むつ市)に移封されます。福島県に医学校ができるのは、1944年の福島女子医専(現福島県立医大)の設立まで待たねばなりません。人口204万の福島県に、医学部は1校しかなく、人口当たりの医師数は全国平均を大きく下回ります(全国38位)。そして、2006年には医師不足の象徴的事件である福島県立大野病院事件が起こりました。
東京以外の関東圏も、状況は似たようなものです。千葉・茨城・埼玉県で、戦前から医学部があるのは千葉大学だけです。1876年に公立千葉病院の中に医学教場が設置されたことに由来します。茨城・埼玉県に医師養成機関が出来るのは1972年まで待たねばなりません。その間、医師の供給は、東京の医育機関に依存してきました。新設医大の一期生は、まだ60歳程度ですから、地域への開業医の供給という意味では発展途上です。
【教育の東西格差】
学校教育や西洋医学などの近代の社会システムの根幹が形成されたのは明治期です。そして、そのグランドデザインを描いたのは薩長を中心とした維新の志士たちです。彼らは出身地へ重点的に資源を投資したと考えるのが妥当でしょう。
一方、関東の多くは幕府直轄領、あるいは親藩・譜代大名の領地です。戊辰戦争後の戦後処理で、冷遇されたのも無理ありません。
実は、これは医学に限った事ではありません。例えば、旧制高校のナンバースクールは、九州では鹿児島、熊本に設けられましたが、東京以外の関東圏に旧制高校が出来るのは、1920年の旧制水戸高校の創設まで待たねばなりません。
教育は人材養成の根幹です。高等教育機関が出来れば、そこへの入学を目指し、中学・高校が切磋琢磨して裾野が広がります。例えば、九州には、北は修猷館高校から、南は鶴丸高校まで全国レベルの公立進学校が、多数存在します。修猷館、鶴丸高校は何れも藩校に由来します。一方、東京以外の関東圏の進学校は、千葉高や浦和高校など少数です。これらは、明治期に創設された旧制中学が前身です。九州の雄藩が、如何に教育に力を入れていたかお分かりでしょう。
現在、千葉・埼玉県の人口の合計が、九州全体とほぼ同じである事を考えれば、両地域の教育格差が実感できるのではないでしょうか。余談ですが、2009年の東大合格者数のトップ50に九州からは5校、合計153人が合格していますが、千葉・埼玉からは3校で、91人しか合格していません。千葉・埼玉の高校生が東京の進学校に通っている側面はあるにせよ、九州地区の学校がアウェーの東大受験で、千葉・埼玉県を圧倒しているのは、笑えない話です。ちなみに、東北地方からトップ50に入っている高校はありません。
この傾向は、何も受験勉強に限った事ではありません。例えば、1985年以降に甲子園で優勝した公立高校は九州、四国、中国地区に限られます。最多は四国の5回。九州は佐賀商、佐賀北、長崎清峰高校が優勝しています。全国から選手を集める私立高校と違い、地元出身の選手で構成された公立高校が優勝するというのは、選手層の厚さを意味します。西日本の野球は、今でも健在です。
千葉県の高校の最後の優勝は、昭和50年の習志野高校までさかのぼります。かつて、野球王国と言われた千葉県が、最近はめっきり勝てなくなったことは、このように考えれば、意味深です。事態は、悪化していると思わざるを得ません。
戊辰戦争後の戦後処理が地域の教育格差を産み、教育格差が人材格差を産み、更に地域格差を再生産するという悪循環が生じています。
【どこに医学部を作るか?】
民主党政権が医学部新設を考えるに当たり、医師養成数の地域格差を念頭に置くべきです。特に問題となるのは、千葉、茨城、埼玉、宮城、愛知県三河地区、静岡県東部、兵庫県播磨地区、東北地方などです。
ちなみに、何れも、戊辰戦争で官軍に属さなかった地域です。例えば、尾張徳川家は、御三家でありながら真っ先に官軍に寝返り、全国を転戦しました。一方、同じ愛知県でも三河地区は、最後までまとまらず、官軍と戦い、破れました。現在、尾張にある名古屋市には4つの医学部がありますが、三河地区には一つもありません。尾張地区の人口当たりの医師数は東京都心部並ですが、三河地区の人口当たりの医師数は、全国平均を大きく下回ります。名古屋市民は、無節操と揶揄された、幕末の尾張藩主徳川慶勝に感謝すべきかも知れません。
また、兵庫県の姫路藩は譜代大名の酒井忠淳が、徳川慶喜と同行して大阪城を退去したため、朝敵の汚名を着ました。江戸時代まで、姫路は姫路城を中心とした瀬戸内有数の都市でした。しかしながら、明治維新以降、兵庫県の県庁所在地は、幕末まで小さな寒村に過ぎなかった神戸村となり、姫路を中心とした播磨地区はさびれました。現在、阪神間には、神戸大学と兵庫医大の二つの医学部がありますが、姫路周辺に医学部はなく、医師不足に喘いでいます。
以上のような背景を考えれば、今回の医学部新設は戊辰戦争の戦後処理のやり直しと言っても過言ではありません。「平成維新」という言葉も、あながち的外れではないと感じます。民主党が、今回の政権交代を、明治維新以来の改革に出来るか否かは、どのようなグランドデザインを描くか、彼らの知性・歴史観にかかっているのではないでしょうか。
【誰がカネを負担するか?】
果たして、このような地域に医学部が作れるでしょうか?ボトルネックは何でしょうか?それは、おそらく財源です。長引く不況で、国が予算を工面するのは、おそらく不可能です。自治体と民間に期待せざるを得ません。
今回の医学部創設議論で不幸なのは、国際医療福祉大(本校・栃木県大田原市)、北海道医療大(北海道当別町)、聖隷クリストファー大(浜松市)の何れもが、既に地元に医学部があり、人口規模を考えた場合、緊急性が低いことです。
一方、現時点で医学部新設に名乗りをあげる、千葉、茨城、埼玉、宮城、愛知県三河地区、静岡県東部、兵庫県播磨地区、東北地方の学校法人はなさそうです。そうなれば、地元病院を自治体・民間企業が支援する形で創設するしかなくなります。
ここで興味深いのは、医師不足で悩む自治体の中には、財政状況が良いところがあることです。例えば、関東なら浦安市、成田市、戸田市、神栖市などは500億円程度の財政規模で、財政力指数は1.5程度の黒字自治体です。これらの町には、ディズニーランドや成田空港などがあり、都市を特徴づけていると同時に、そこからの税収が大きな財源となっています。医学部の持続可能性を考えれば、このような自治体との協同作業が、もっとも実現性が高いのではないでしょうか?
一方、このような自治体にとって、医学部新設は地域住民にも理解されやすいでしょう。医師不足は、地域住民にとって切実な課題です。ニーズがあり、お金が工面できるなら、この企画の実現は、調整・実行力のある人材の存在にかかっています。
ところが、このような地域は、かつて天領であったところが多いためでしょうか、調整を官僚に頼ってきたことが多いように感じます。今でも、霞ヶ関に陳情する風景を見かけます。ところが、問題は「お上」に頼っても解決しません。必要なのは、企画・調整・実行力がある人材です。このような地域から人物が出てくるか、今後の動きに注目したいと思います。