医療ガバナンス学会 (2019年2月21日 06:00)
◆日本は放置国家か
先だって拙文「君死にたまう事なかれ」~医師の過重労働は許容限度を越えている~(MRIC 2018年12月19日 http://medg.jp/mt/?p=8777 )に書いたように、医師の過労死が表沙汰になるのは氷山の一角で、実は基本的人権を阻害するほどの過重労働でたくさんの医師が亡くなっている、もしくは病に倒れている。明日は我が身と思いながら働いている医師は多く、日本医師会のアンケートによると日本の勤務医の3.6%が自殺や死を毎週または毎日考え、中等度以上の抑鬱状態の医師が6.5%もいるという、すさまじい業界である。( dl.med.or.jp/dl-med/kinmu/kshien28.pdf )
5年間待って、そこからさらに10年間、一般の労働者の上限労働時間720時間を超えて、過労死レベルの960時間、しかもどうしても医師の足りない地域では2000時間まで認めるという。これが法治国家であるはずの日本で、しかも厚生官僚もいる検討会で出た結論というのがすごい。これでは放置国家だ。だがこれでも医療団体のトップから見たら受け入れ難かったようである。いちばんの理由は「これでは地域医療が持たない」ということらしい。だが、医師の命や健康と地域医療は引き換えか、過労死基準を超えて医療安全は守れないがそれでいいのか。医師に基本的人権はないのか、誠に不思議である。医師の正確な労働時間の把握さえ、しっかりやってこなかった業界である。当然のことながら長時間労働をしてきた医師たちの病気や死因について調べていない。現在医療団体のトップに立っている人は、言うなれば過酷な勤務を生き抜いてきたサバイバーなのである。‘脱落者’の実態は知らないまま、長時間労働体質に染まっている。そして今回の議論でその方々がなるべく触れないようにしていた議論がある。病院の集約化である。勤務医の長時間労働を改善するには、タスクシフトだけでは到底無理で、病院を集約化して、1医療機関当たりの医師数を増やすしかないのである。それは経営者にとって自分の経営する医療機関が潰れることを意味する。だからこそ、日本医師会長もそこには触れない。誰も猫の首に鈴をつけたくない。
◆それでもパンドラの箱は開いた
だが、正式に医師の長時間労働が俎上に乗ってしまったことで、パンドラの箱は開いてしまった。
多くの医師たちは自分たちが「健康で文化的な最低限度の生活」さえしていないとは思わず、ある意味洗脳されて医療現場を支えてきた。
勤務医が労働者であることも、労働基準法が医師にも当てはまることも、労働基準法を超えて働くためには36協定が必要であることも知らなかった。
多くの医療機関は医師たちの勤務時間をあえて把握せずにきた。したがって時間外の労働もないことになっていた。医師が亡くなっても労災申請されることも、労災申請しても認められることが極めて困難な状況が続いてきた。
ここにきてようやく医師が全職種を通じてもっとも長時間労働をしていることがオープンになった。今後は36協定が結ばれていない医療機関では、当事者の了解のもと、協定が結ばれなければいけないし、協定ができても過労死が容認されるわけでも、時間外労働に割増賃金が支払われなくていい訳ではないことも明らかになった。労働基準法に違反していれば、法に基づいて管理者が裁きを受ける可能性も出てきた。(新潟市・新潟市民病院、長時間労働放置で書類送検 https://www.fnn.jp/posts/1066NST )
◆医療機関の集約化は待ったなし
長時間労働を改善するには1医療機関当たりの医師数を増やして交代制勤務にする以外、特に急性期病院には選択肢はない。今当直と言っている夜間の勤務は夜勤である。最高裁の判断も確定しており、「寝当直」以外、これからは「当直」としては認められない。そして時間外勤務についてもきちんと時間外手当てを支払わなくてはいけない、準夜帯は1.2倍、深夜帯は1.5倍の手当てになる。そうなると、人件費が高くつくので、赤字病院は持ちこたえられない。交代制勤務にしたほうがリーズナブルとなる。如何に魅力的な職場にして早いうちに多くの医師を集められるか、生き残りをかけて熾烈な戦いが始まる。トップのリーダーシップが試される時が来たのである。そうなってようやく、2年ごとの診療報酬改定で根本的な議論をせず、原価計算もせずに決めてきた公定価格の問題や、交代制勤務を前提に医師の需要予測をしてこなかった統計の問題が浮上してくるのであろう。ちなみに医師の需要予測は、30代から50代の男性医師の働き方を1として計算されており、前提が過重労働の法律違反であり間違っている。今後厚労省の予測通りに医師不足が解消されないのは明らかである。
◆代々「洗脳」されてきた医師たち
ではなぜ、ここまで医師たちは声を上げてこなかったのか。一言で言うと「そのように教育されてきた」のと、「忙しすぎて、途中でなんだかおかしいと気づいても目の前のことで手一杯で考える暇さえなかった」のである。筆者も医師になりたての頃から、医師に労働基準法は当てはまらない、医師はこれから余る、残業代は給与に入っている、と病院の管理者から言われてきた。36協定なぞ、現在でもほとんどの医師は知らずに働いているであろう。
女性医師として筆者を初めて受け入れた病院の院長は、「死ぬ気で来てくれ」と言い、その通り死にそうになりながら働き、それ以降その病院では女性医師を受け入れるようになり、それを誇らしくさえ思っていた。この時は外来の診察で患者さんが背を向けて聴診している瞬間に寝落ちしたことさえあった。睡眠不足で医療の質も医療安全も損なっていることにも気づかなかった愚か者である。筆者のパートナーは典型的な長時間労働の勤務医だったため、筆者は時代のスタンダードコースを歩んできた。つまり出産・ワンオペ育児とキャリア形成の狭間で四苦八苦しながら、ありとあらゆる働き方を試してきたが、子育てしながら残業の多い常勤勤務は難しかった。最後は志を同じくする仲間とともに医局を離れ、主治医感を残したグループ診療制と交代制勤務を断行、その病院は1年で黒字化し、私も夜勤に入ることができてようやく同僚に迷惑をかけずに働けた気がした。その時にいつかこの問題を発信しなければいけないと心に決めたのである。
残念ながら未だに医療界上層部の意識改革は遅れている。昨年の全国医師会勤務医部会連絡協議会 長崎宣言( http://dl.med.or.jp/dl-med/teireikaiken/20181107_1.pdf )では日本に西洋医学をもたらしたオランダ軍医ポンぺの 「医師は自らの天職をよく承知していなけれぱならぬ。ひとたびこの職務を選んだ以上、もはや医師は自分自身のものではなく、病める人のもので ある」という言葉を引用して、昨今の「働き方改革」においてはこのような医師の思いが考慮されずに、労働者としての医師の側面のみが強調されて進められている。このままでは「働き方改革」によって救急医療現場の混乱、病院機能の低下などをきたし、地域医療の崩壊を招くことが危倶される、としている。医療界の上層部の意識改革は難しい。
人は経験からのみでは成長しない。経験したことについて、他者からフィードバックされたり、振り返ることによって学んでいくが、長時間労働者には内省する時間が少ない。そのようにして育った長時間労働体質の上司は既存のやり方に固執し、仕事の質より量を優先する、ゆがんだ世代継承をしてしまう傾向にあるという。(参考:残業学 中原淳+パーソナル総合研究所)
また、長時間労働をしている医師は、仕事以外から学び、成長する機会や社会参画するチャンスが奪われているとも言える。医療界のリーダーが「専門バカ」集団であったとしたら、それは医療界改革の阻害要因となっていやしまいか。
ところで、滅私奉公してきた医師の影にはその人が家庭人として、社会人としてすべきことをその人の代わりにやってきた家族(妻)がいる。筆者は外来でたくさんの医師の家族を見ているが、父親不在の家庭の孤独な子育て、しかもその仕事が社会的に重要であるがゆえに声を上げることもできずに苦しんでいる妻の姿を知っている。医師の家庭は、なかなかリスキーなのである。それは決して表に出てくることがなかったが、時代は変わり、今後は支えてきた家族の苦労や医師の離婚率の高さにもようやく目が向けられるだろう。
=つづく