医療ガバナンス学会 (2019年4月4日 06:00)
今回の東京マラソンは、私にとってフルマラソン初体験だった。これまで40 kmの長距離を走ったこともない。
結局ゴールまでに6時間かかったけれど、ほぼ安定したペースで走れていたので初回としては十分満足できた。というか“練習してない人選手権”があったら第1位だったかもしれない。今年になって走ったのは1月に5 km、2月に3 kmだった。その前も10月に6 km、12月に5 kmと3 kmくらいで、本当に走っていなかった。後日周囲からは「そんなんで42 km走るとかアホの極み」と言われた。そうかなぁ??
自分としては無謀とも思っていなかった。フルマラソンはなかったが、数年前から少しずつ走っていて、20 kmのトレイルランニングの大会には2回出た。最近でこそあまり走れていなかったが、それ以前はぼちぼち走っていたし、体感的には無理をしなければそれなりに走り続けられるかなと思っていた。むやみに走るよりは、からだのバランスを整えておこうと考えて、通っていたパーソナルトレーニングのジムでは「走りやすくなるよう体幹と柔軟性を整えることを重視したトレーニング」をお願いしていたし、アスリートの調整をしている整体師にメンテナンスをしてもらった。少なくとも「極端に故障することなく42.195 kmを完走できる」ようには調整していたつもりである。
当日は非常に肌寒い日で、小雨も降っていた。9時10分スタートだったが、ウェーブスタートだったので、私がスタートできたのは9時38分だった。待っている間に手袋をしていても手が凍えるほど冷えてしまった。しかしながら、これは既視感があった。
私は釧路出身。道東地方は亜寒帯気候のため、冬は氷点下が日常茶飯事。小学生の頃のスピードスケートの授業では、全く滑れなかった低学年の頃は鼻水垂らしながら凍えていた。中学の頃は徒歩30分程の徒歩通学で顔が凍るかと思った。それにくらべればまだマシ。
走りはじめてからは指先は冷えたが、寒さは気にならなくなった。10 kmを越えたあたりから足が疲れてきたが、20 kmくらいまでは平気だった。低体温症でリタイアする方が続出していたようだが、タイムを気にせずマイペースで走っていたからか問題にはならなかった。むしろ苦行は尿意だった。
寒冷な環境で尿意ががまんできなくなった経験は誰しもあると思う。寒冷刺激で尿意切迫感が誘発される原因のひとつとして、皮膚への寒冷刺激の一部が中枢神経に伝わる段階で膀胱への刺激と混同され認識されている可能性が言われている。
また、寒冷尿意は低体温の危機にさらされたときに体温を維持するための身体の反応という側面もある。身体が気温の低下に反応し始めたとき、血管を締めることによって、皮膚への血流を減らして内臓周囲の温度を維持しようとする。このとき、血管は細くなったのに血液量は同じままなので、血圧があがる。この血圧上昇の反応に対し、腎臓は過剰な水分を濾出して血液量をへらすことで血圧を下げようとする。これが尿意の原因となる。
寒冷環境でずっと尿意を感じているときは、身体が危機感を覚えている状態であり、本来はその状況から逃げ出す=暖かいところへ行くべき、なのだが…。
東京マラソンでは多数の簡易トイレが何カ所も設置されている。しかし、少なくとも私が利用した簡易トイレでは手を洗う設備がなかったように思う。職業柄か、手が洗いたくて仕方なかった。マラソンの場合、コース途中の補給所でパンやミカンなどをもらって食べたりする。スタッフの方は衛生面を配慮してポリ手袋をしているが、食料をもらった私の手は汚いのでは?という状態である。たとえば冬期に流行するノロウイルスの感染性胃腸炎であるが、ピークは11月から1月にかけてであるが、2月や3月にもかなり発生するし、この週には胃腸炎の患者さんが頻繁に受診していた。不特定多数が使用したトイレはそれなりに汚いはずだ。それが気になって雨で濡れたウインドブレーカーで手をぬぐったりしていた。まぁ結局もらった食べ物は迷うことなく食べたけれど。
まさか30 km地点まで、つまり4時間も尿意について考え続けることになろうとは思わなかった。出走前から6時間近く走ることは予想していたので、走りながら考え事をしようか、いやむしろ、走りながら感じたことを考えるというのをやってみよう、などと考えていたが、それどころではなかった。
途中から水分補給量を控えめにしたからか、32 km付近で何度目かのトイレへの寄り道を済ませてからは、尿意は感じなくなり走ることに集中できるようになった。このあたりが一番好調だった。芝公園の前で3人並んでメッセージボードを持った人たちがいて、一番手前の男性がもっているボードに「これが読めたら、あなたはもっと速く走れる」的なことが書いてあった。走りながら読んでいたら彼と目が合った。サングラスの私に「目が合ったよね」的なサインを送ってきたから、サムズアップして応じた。にっこり笑ってくれた。
36 km付近の信号が研究室の最寄りだが、案の定,ボスはいない。ああいつもそうだよね、と思う。どうせ私が遅かったからだとか言うのだろう。ま、いいけどね,雨だし。いたらいたで、雨なのに応援のために待っていたと恩着せがましく言われるのだから。ま、とりあえずここは無事通過したからギリは果たしたぜ、と思いながら走る。その後、さすがに37 kmを越えたあたりから足が棒のように感じたけれど、一瞬でも早く終わらせたくて走り続けてなんとかかんとかゴールできたという感じだった。翌日は仕事中には極力立ち上がらないようにするほど足が筋肉痛であったが。
ふり返ってみると、今回、寒さも距離も敵ではなかった。とにかく尿意が苦行だった。もう一度やりたいかと言われたら、尿意をがまんする苦行はもうしたくないなと思う。それでも今回、練習不足ながらも完走できたことは満足しているし、東京マラソンという大きなイベントがどれほど多くの人たちのサポートで成り立っているのかということを実感することができた。
走ることは好きだけれど、私にとってマラソンの大会に出ることは非日常のイベントだ。それでも自分の体力と運動能力を客観的に知るのによい機会だったと思う。機会があれば、試しに走ってみるのも悪くない。