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Vol.088 双葉地区の患者避難の実態とは

医療ガバナンス学会 (2019年5月16日 06:00)


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この原稿は医療タイムス(5月8日号)からの転載です。

澤野豊明

2019年5月16日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp

◆原発事故後の影響を調査

南相馬市は福島第一原発が立地するのと同じ、相双地区という相馬地方、双葉地方からなる地区に属している。つまり、相双地区は原発事故後に最も大きな影響を受けた地域だ。

相馬地方では、当院の坪倉正治医師が中心となり事故直後から被ばく状況や避難の影響の調査を行ってきた。そのおかげで、相馬地方では外部・内部被ばくはともに限定的で健康への直接的影響はほとんどないこと、そして事故により介護施設入所中に長距離の避難を余儀なくされた高齢者は死亡率が上昇したことが報告され、これらの研究は今後の災害対策上重要な報告と位置付けられている。

その一方で、原発を有する双葉地方は、実は事故後にどのような影響があったかの情報は限られている。日本語ではいくつかの文献が散見されるものの、特に英語での発表は、京都大学・西川佳孝医師が双葉郡川内村の避難指示解除後の救急搬送について記した論文以外にはほとんどない。

幸か不幸か「福島」は世界でも最も名前が知れた地域だ。それは世界が、福島が原発事故からどのように復興するかに注目しているからだ。特に双葉地区は世界の関心が高い。しかし、時間とともに情報は廃れ、このままでは原発事故直後の情報が後世に伝わらない危機に瀕している。

◆双葉の医療機関で何が起きたのか

私はその中でも特に、未曾有の原発事故直後、双葉地区の医療機関で実際に何が起きたのかを知りたいと考えている。双葉地区には当時6つの医療機関があった。北から浪江町の西病院、双葉町の双葉厚生病院、大熊町の双葉病院と大野病院、富岡町の今村病院、広野町の高野病院だ。

このうち、高野病院は福島第一原発から20キロ圏外に位置し、双葉地区内で唯一事故後も稼働していた。つまり、他の5つの病院では事故直後に入院患者の避難を強いられた。今回は原発を有する双葉町と大熊町の3つ病院について書きたい。

双葉厚生病院は原発から約3キロの病院だ。3月12日朝から136人の患者の避難を開始し、観光バスや自衛隊のヘリコプターを利用し、13日朝には避難が完了したという。厚生病院は、福島厚生連が運営する病院で、厚生連の資料によれば避難中4人の患者が亡くなった。

大野病院は双葉郡唯一の公立病院で原発から約4キロに位置する病院だ。大野病院は2011年4月に双葉厚生病院と合併予定であったため、患者数は約50人程度と少なかった。3月12日朝には避難のための観光バスが配備され、重症患者は救急車やスタッフのワゴン車で川内村へ避難し、12日午後には避難が完了した。詳細は分からないが、避難で亡くなった人はいなかったという。

◆避難で50人の患者が死亡

一方で原発から約4キロの双葉病院は、338人の患者が入院していた。端的にいえば、双葉病院の避難はうまくいかなかった。

原発直下の双葉病院を取材したノンフィクションライターの森功氏によれば、当時の鈴木市郎院長はぎりぎりまで残っていたが、自衛隊の救援が来る前に空間線量が上昇したため、警察の指示に従い一時退避。しかしその後、帰還が許されず、結果的に一部の患者が取り残された。

患者避難自体は12日に開始されたが、重症患者の移動手段が確保できなかった。結局自衛隊による避難が完了したのは16日未明だった。元々重症の患者が残されたため、不幸にも避難に際し50人の患者が亡くなった。

この3つの病院の避難方法、死亡者数の違いは興味深い。公立病院、厚生病院(半官半民)、私立病院というのがまず大きな違いだ。この3つの病院の避難の違いを考察することは将来の放射線災害の病院避難の対策に示唆を与えるだろう。この件に関して、この地域で従事する医療者として、今後私たちのチームで詳細を考察したい。

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