医療ガバナンス学会 (2010年3月19日 07:00)
長妻大臣は講演の中で次のようなことを語りました。
「今回の新型インフルエンザにしても、死亡率が世界で最も低い国の1つが日本です。あるいは皆保険で、日本の寿命は世界一。日本の医療水準は世界に冠たるものがあります。
民主党が掲げる成長戦略の中で、海外のお金持ちを日本の人間ドックにどんどん呼び寄せよう、などの議論ができるのも、日本の医療の質の高さがあるからだと思います」
そして、こう続けました。
「少子高齢化の社会を迎えて、これからは医療の経費をコストではなく未来への投資に振り向ける発想転換が必要。そこで省内では、医療・介護・保育『未来への投資』プロジェクトチームを作りまして、政府全体として6月に成長戦略を最終的に取りまとめる予定です」
他の閣僚も、民主党の成長戦略として「グリーンイノベーション(環境革新)」と並んで「ライフイノベーション(医療・健康革新)」を挙げる発言をしています。
補助金なしに持続発展することができ、なおかつ外貨を稼げるのであれば、医療を日本の成長戦略のカギと位置づけることは可能でしょう。
でも、果たして日本は世界から患者を呼べるほどの医療技術をこれまで育ててきたのでしょうか? また、世界水準の高い付加価値をもたらす医療サービスを現状で提供できているのでしょうか?
【今まで減らす一方だった日本の医療費政策】
現時点で世界に対抗できる日本の医療技術というと、その1つに内視鏡検査(胃内視鏡検査/大腸内視鏡検査)が挙げられます。内視鏡メーカーであるオリンパスの世界シェアは75%に達します。
しかし、この内視鏡検査は、700円ほどの診察料に比して高額なことから、保険点数改正のたびに点数削減のターゲットにされ続けてきました。今回 の保険点数改正でも、大腸内視鏡的ポリープ切除手術(大腸腫瘍を内視鏡で切除する手術)は5万3600円から5万円への7%の大幅ダウンです。
この「5万円」でカバーしなければならないのは、看護師、看護助手、医師の人件費だけではありません。内視鏡室の設備投資費用、1000万近くする内視鏡機器の減価償却費用、年間数百万の機器メインテナンス費用、1回ごとの消毒衛生管理費用、手術に使用する消耗機材(1回につき約1万~1万 5000円)などを人件費に加えて全て含んだ金額が50000円なのです。
かつては9万8000円だった頃から比べると、目を覆うばかりの削減ぶりです。これでは、施設によっては人件費すら捻出できません。機器の購入費用やメインテナンス費用をまかなうだけで赤字になってしまうでしょう。
これはあくまで一例です。国民皆保険のもとでは、「高い技術にお金を投資してさらに育てて伸ばそう」という発想よりも、「検査数が増えたならば、医療費が増えないように点数を減らそう」という発想で値段が決められてきているのです。
【タイムカード導入すらできない現場】
また、日本の病院では高い付加価値(サービス)を提供できているでしょうか。
「延々と待合室で待たされたのに、診察では十分に説明してくれることもなく、途中で話を打ち切られた」「入院したら、プライバシーのないカーテンで仕切られただけの大部屋に詰め込まれ、不快な思いをした」などの不満の声を数多く聴きます。医療現場のスタッフ不足、設備の不十分さはもはや隠しようがありません。
今回の保険点数改正では重点項目に上げられていた「病院勤務医の労働環境整備」に対する点数設定はゼロ点でした。ちなみに、重点課題に挙げられた中で、今回点数が付かなかった項目はこれのみです。
しかも、1月下旬に「病院勤務医にもタイムカード導入」と大きく報道されたにもかかわらず、最終的にタイムカードの文言は削られました。
タイムカードを導入して残業代をきっちり支払うことになれば、破綻する医療機関が数多く出てくるかもしれません。また、労働基準法に抵触しないように十分な人員を確保して勤務交代を行わせることは、現状では不可能です。具体的な点数設定をつけると、現在の医療をクラッシュさせてしまうおそれがあるのは、十二分に理解できます。
でも、32時間連続勤務は「酩酊状態」で勤務しているのと変わらない、という研究結果も出ています。
医療の質を確保するためには、医師の勤務状況をきちんと管理し、しっかり休息を取れる体制にしなければならないのは、間違いありません。しかし、それ以前にタイムカード導入すら無理なのが今の現場の実情なのです。
【全体的な底上げが先、「成長産業」なんて夢のまた夢】
日本の医療政策は、これまで国民皆保険のもと、医療の値段をできる限り安く設定して広くみんなに提供することを主眼に行なわれてきました。それが評価されて、世界保健機関(WHO)に世界一位と認められるようになったのです。
ですから、「世界一位」というのは、あくまで「医療を安く、平等にみんなに提供している」という意味においてです。「世界から見て最高水準の医療 技術をしっかり育ててきた」ということではありません。また、「国際基準に見合う高度な付加価値を提供している」ということとも、また別物なのです。
「広く安く」という点で確かに日本の医療は世界一と認められました。しかし、それを再生維持するのに必要なコストがまったくかけられていないのが現状です。
ましてや、その先の「成長産業への投資」「外貨を稼ぐ」ところまで話が進むと、「そんなことは夢のまた夢。赤字にしないだけで精一杯だよ・・・」というのが、多くの医療従事者の本音なのではないでしょうか。
ビジョンとして夢を語るのは大いにけっこうです。でも、まずは現状をきっちり認識して、医療を日本の国力に見合ったレベルまで、つまり、OECD 平均レベルまで(今の1.5倍程度と予測されます)医療費を増額し、全体的なレベルの底上げを図ることが優先されるべきです。「成長産業としての医療」 は、その先にある話なのではないでしょうか。
このコラムはThe hottest OPINION site in Japan JBpress http://jbpress.ismedia.jp/ よりの転載です