最新記事一覧

Vol.114 福島第一原発事故後の先天奇形は増えていない-名古屋市立大学の研究をうけて

医療ガバナンス学会 (2019年6月26日 06:00)


■ 関連タグ

南相馬市立総合病院 外科
澤野豊明

2019年6月26日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp

私は南相馬市立総合病院で外科医をしている澤野豊明と申します。
先日、福島第一原発事故の後に先天奇形が増えているという主張を含んだ2つの論文が名古屋市立大学のシステム科学研究科・村瀬香准教授らから発表されました。これらの論文はそれぞれ専門誌でインパクトファクターも2−5程度とそれなりに権威のある英文医学雑誌から査読を経て出版されており、様々なデータを解析し、一定の結論にたどり着いた著者たちの取り組みには敬意を表したいと思います。
しかし、多くの住民の尽力もあり、福島第一原発事故による被ばく量からは、それはWHOや国連科学委員会(UNSCEAR)を含め、様々なデータから福島原発事故後の放射線被ばくは不幸中の幸いながら低く、先天奇形の発症率が上昇するとは到底考えられません。また、もし著者らの主張の通り先天奇形が増えているとして、原発事故以外の要因の検討が不十分な状態で、あたかも被ばくのために何か悪いことが起こっているなどとは不適切な解釈であると言わざるを得ません。今回はこの問題について解説したいと思います。

2019年3月14日、名古屋市立大学で記者会見が開かれ、福島原発事故後に停留精巣(精巣が陰嚢まで移動していない状態)と先天性心疾患(生まれつき、心臓から出る血管の走行や心臓や肺の作りが不十分な状態)といった小児先天奇形が増加している可能性があるという論文を2編発表したことが公表されました。1編は停留精巣について、医療費包括支払い制度DPCから手術件数を分析したもの、もう1編は先天性心疾患については日本胸部外科学会の手術登録データを解析したものでした。いずれのデータでも確かに原発事故の前後で手術件数は増加していますが、それは本当に原発事故の影響なのでしょうか。

論文の内容を詳しくみてみます。
例えば先天性心疾患の論文の中では、2011年前後で、全国的に1歳以下の複雑な心疾患の10万出生あたりの手術件数が14.2%増加したことになっています。その10万出生あたり手術件数の増加を根拠に複雑な先天性心疾患の発生率が増加している可能性があると結論づけ、さらに2011年に起こった原発事故との関連を考慮すべきと述べています。しかし、この2011年前後での1歳以下の複雑性先天性心疾患の手術件数が増加しているとしても、原発事故による先天性心疾患の発生率の増加と結びつけるのは本当に正しい解釈なのでしょうか。外科と公衆衛生を専門にする私の目には、この解釈は極めて不適切に映りました。確かに福島第一原発事故の健康影響を明らかにする研究を行うことは公衆衛生の役割上非常に大切です。一方で、科学的根拠のない、あるいは誤った解釈は、住民の方々の不安をいたずらに煽るだけではなく、風評すら導きかねません。科学者の目から見て、どうしてこのデータから先天奇形の増加を言及することが不適切なのかを説明したいと思います。

まずそもそもの大前提として、放射線被ばくが次世代に影響を及ぼす事(胎内被ばく(=妊娠初期の胎児の被ばく)ではなく、被ばくの影響が遺伝する事)はハエやネズミなどでは確認されている一方、人体ではその影響が示されていません。過去の大規模な研究である広島・長崎の被爆者の2世の研究でも放射線被ばくの遺伝的影響は確認されていません。またチェルノブイリ原発事故では、事故後多指症や四肢減少症といった先天奇形が増加したという報告がありましたが、これらの研究には時間軸や放射線被ばく量との関連性が認められず、放射線による影響ではなくただ単に先天奇形の登録が増えたからであると科学的な判断が下っています。
チェルノブイリ原発事故後に観察された研究結果から、WHOをはじめとした国際機関は人体における放射線被ばくの遺伝的影響のリスクは従来考えられていたよりも高くないと結論づけました。それに基づき国際放射線防護委員会(ICRP)は2007年に「動物データに基づいて、奇形の誘発に関しては100ミリグレイ前後に真の線量しきい値が存在すると判断され、したがって、実際的な目的には、委員会は100ミリグレイを十分下回る線量に対する子宮内被ばく後の奇形発生リスクは期待されないと判断する。」と勧告し、これが現在の国際的なコンセンサスです。
今回の論文の著者らは論文の背景で、チェルノブイリ事故後に先天奇形の増加が報告されていると主張していますが、これはいわゆる“cherry picking”といい、研究の背景にある国際的なコンセンサスを無視して自分たちに都合の良い研究を引っ張り出してきたという形です。上述の通り現時点では、放射線被ばく量のいかんにかかわらず人体で被曝の影響が遺伝したことは確認されていません。そもそも広島・長崎の原爆やチェルノブイリ事故と比較して、福島第一原発事故では放出された放射性物質が大幅に少なく、住民の被ばく量も100ミリグレイを人体が浴びた場合の100ミリシーベルトを大きく下回っていたことが報告されています。このように論理的に考えると、そもそも福島第一原発事故による放射線被ばくが次世代に影響を及ぼす可能性を考慮しないといけないような状況には全くありません。

さて、この大前提をご理解いただいた上で、現在までに福島第一原発事故後の先天奇形について示されていることを確認しましょう。
まず日本には先天異常モニタリングという日本産婦人科医会および厚生労働省が運営するシステムがあり、2014年に研究班がそのデータを解析し「福島県も含めて現時点で先天異常(澤野注:先天奇形)の発症率の上昇は確認されていない。」と報告を出しています。(ただし、このモニタリングには停留精巣は含まれていません。)また、同様に2014年に福島県立医科大学の藤森教授らから福島県内の出生状況を調査し、早産や低出生体重児、先天奇形の発生率は全国基準と同等であったことが報告されています。

次に今回の論文で触れられている手術件数について考えてみます。名古屋市立大学の論文の中では、先天性心疾患の手術件数と有病率(先天奇形の発症率)には強い相関関係があると仮定して研究が行われ、「手術件数が増加しているから先天性心疾患が増加している。それは福島第一原発事故と関係がありそうだ。」と考察しています。確かに発症率が上昇すれば手術件数が増えるかもしれません。しかし、逆に手術件数が増えているから発症率が上昇していると言えるのでしょうか。

答えは「NO」です。手術件数の増加からは必ずしも発症率が増加しているとは言い切れません。論文の著者たちのその点は論文の考察の部分で触れ、複雑な心疾患の手術件数の増加率は1歳未満での複雑な先天性心疾患が複数回の手術を要することが多いため、その発症率の増加よりも高くなることに注意しなければならないと述べています。また医学は日進月歩です。様々な薬剤、検査、医療機材、治療法の進歩に伴い、救命される重度の心疾患を持つ新生児が増え手術件数が増加することや手術・麻酔技術の向上に伴って月齢の低い赤ちゃんに手術を行うことができるようになることは極めて自然と考えられます。

次に停留精巣の増加をDPC病院の手術件数の増加を元に書いている論文についても、2010年度から2015年度にかけて連続して手術退院件数が得られた年間10例以上の手術を行なっていた94のDPC病院のみが研究対象とされていました。そもそもDPCというシステムは2003年に開始され、近年急性期病院において急速に普及してきており、その過渡期で、ある疾患(今回は停留精巣)について評価するにはあまりにも不向きです。事実、停留精巣のDPC病院での手術数はDPC対象施設の増加に伴い2010年度か2015年度にかけて3649件から6360件に急増しています。更に近年手術が集約化される傾向にあることを考慮するとDPC制度導入に伴い、大病院であるDPC病院にただ単に手術が集中し手術件数が増えていることも当然考慮されるべきです。
例えば、2010年度のDPC病院での停留精巣手術件数のトップ3は自治医科大学病院(82件)、獨協医科大学埼玉医療センター(75件)、東京女子医科大学病院(56件)でしたが、2015年度のトップ3は獨協医科大学埼玉医療センター(203件)、順天堂大学医学部付属順天堂医院(177件)、東京都立小児総合医療センター(110件)でした。これを見れば2010年度から2015年度にかけてDPC対象の大病院に手術数が集中していることが明らかですが、この点は論文の中では考察にも全く触れられていません。以上のことから、原則的に手術件数の上昇で発症率の上昇の議論はできません。

このように考察していくと、観察された手術数の増加を福島第一原発事故と結びつけて考えることには無理がある言わざるを得ません。もし逆にある疾患の手術件数が減っていたとして、それをもって「原発事故の影響で発症率が低下した。」と研究者が主張して場合、誰がそれを信じるでしょうか。今回発表された村瀬准教授らの研究では「福島県内の状況は報告されているが、福島県から避難した多くの避難民が調査されていないため全国規模の研究が必要だ」と訴えていました。
しかし、福島県外に避難した人は福島県内にとどまった人に比べて大幅に少ないです。またより被ばく量が多いと考えられる福島県内で先天奇形の発生率に変化がないにも関わらず、全国的な先天性心疾患の手術数の増加の原因として福島第一原発事故の影響を一番に考えることには矛盾が生じます。しかし、それに対する考察もされていません。そもそもの前提条件として、もし仮に先天奇形が増えているとしても、先天奇形の原因は放射線被ばくのみならず様々な環境因子(化学物質、感染症、出産世代女性の葉酸摂取量など)に影響を受けることが多くの研究から示されており、その検討なしに十分に少ないとされる福島第一原発事故による放射線被ばくの影響を考えることは普通はされません。

放射線事故の健康影響について調査し検証することは福島第一原発事故で影響を受けてしまった住民の健康を守るために非常に重要です。現時点で福島第一原発事故による放射線被ばくによる人体への直接的な影響は確認されていませんが、確かに健康への影響の評価や疾患の発症率についての評価は未だ不十分な部分も少なからずあります。とはいえ、公衆衛生を担う者にはデータの解釈を行う際に、公衆に大きな影響を与える責任があります。上述の通り、そもそも科学的には福島第一原発事故によって先天奇形が増加することは考えづらいですし、今回の手術件数のデータから先天奇形が増えている可能性に言及することは不適切だと思います。この文を読み、1人でも多くの方が福島第一原発事故で先天奇形が増えていると示唆する研究はないことを知ってもらえれば幸いです。

MRIC Global

お知らせ

 配信をご希望の方はこちらのフォームに必要事項を記入して登録してください。

 MRICでは配信するメールマガジンへの医療に関わる記事の投稿を歓迎しております。
 投稿をご検討の方は「お問い合わせ」よりご連絡をお願いします。

関連タグ

月別アーカイブ

▲ページトップへ