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vol 108 『ボストン便り』(11回目)「ふつうの人たちの勝利―ヘルスケア改革の可決」

医療ガバナンス学会 (2010年3月24日 07:00)


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ハーバード公衆衛生大学院
リサーチ・フェロー、博士(社会学)
細田満和子
2010年3月24日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp


紹介:ボストンはアメリカ東北部マサチューセッツ州の州都で、建国の地としての伝統を感じさせるとともに、革新的でラディカルな側面を持ち合わせている独特な街です。また、近郊も含めると単科・総合大学が100校くらいあり、世界中から研究者が集まってきています。そんなボストンから、保健医療や生活に関する話題をお届けします。

【ヘルスケア改革法案の可決】
国民皆保険という、多くの国で当たり前となっている制度を作り上げることを、アメリカにおいては、トルーマン大統領が構想して以来、歴代の民主党と何人かの共和党の大統領たちが75年の長きに渡って奮闘してきましたが、ずっと実現できずにいました。

ところが昨夜、3月21日の夜、やっとこの闘いに終止符が打たれることになりました。昨年12月に通過したヘルスケア改革法の上院案が、下院でも219対212という僅差で可決されたのです(219の賛成票はすべて民主党議員。反対票の内、共和党議員は177。32人の民主党議員も反対票)。これは歴史的な偉業であると、テレビや新聞など各種メディアは伝えています。

【年末からの動き】
ヘルスケア改革への道は、オバマが大統領になって以来、障害の多い困難なものではありましたが、着実に前進していました。昨年(2009年)11月には、下院でヘルスケア改革案が220対215の僅差で承認されました。その後12月24日には上院で、8,710億ドルの予算を確保しつつ、ヘルスケア改革案が通過しました。ただし上院案は、パブリック・オプション(政府による公的保険)を含んでいない点で下院案と大きく異なりました。また、共和党に配慮するために、母体に危険が及ぶ際の中絶に対しても公費が使われないことを認めています。

年明けの2010年1月になるとすぐさま、上院案と下院案をすり合わせる交渉が行われました。そして民主党内の保守派の支持を失わないために、下院案に含まれていたパブリック・オプションは最終的に削られるという見込みになりました。

ところがこのように妥協したのに(したがため)、1月19日のマサチューセッツでの補欠選挙では、ほとんど無名の共和党議員が当選して、民主党は上院の議席を失うことになってしまったのです。この議席は、ヘルスケア改革に文字通り生涯をかけてきたテッド・ケネディが昨年8月に亡くなるまで47年間守ってきたものでした。これによって、民主党は上院の絶対多数を失うことになり、ヘルスケア改革の行方はまたもや不透明になってしまいました。

【共和党の猛反撃】
ヘルスケアに対する共和党の反対は、昨年秋以降かなり激しいものがありました。共和党には特にヘルスケア関連の法案というのはありませんが、国に義務とされない範囲で、適正な価格の健康保険が広がることが望ましいという考えは持っているといいます。

それでも共和党は市場よりの考えを持っているので、現行の制度である、雇用者が被雇用者の健康保険の一部を負担することや、低所得者向けのメディケイドという公的保険が拡大されることにも反対しています。すなわち、雇用者が被雇用者に健康保険を提供すべきという制度は改めるべきだし、メディケイドは将来的に大きな負担となるので現状のまま、もしくは縮小できないものかと考えています。

そして、高額になりすぎた保険料を手ごろな価格にするために公的機関が交渉したり、既往歴のある人も保険に加入できるようにするという、明らかに保険会社にとって不利益となるようなオバマの改革に大反対をしてきました。

こうした反対勢力の動きは、「ティーパーティ運動」と呼ばれています。「ティーパーティ運動」は大規模なデモを各地で繰り広げ、メディアをにぎわしながら、ヘルスケア改革反対を訴え続けてきました。3月21日の1週間前くらいからは、国会議事堂前広場に大勢で集まっては、「法案抹殺(Kill the Bill)!」という大合唱を続けていました。(これはクエンティン・タランティー監督の映画「キル・ビルKill Bill」のパロディです。昨年末には映画「バットマン」の悪役ジョーカーの怪しげなメイクをオバマに施した絵が、彼らのお気に入りでした。)

「ティーパーティ」の由来は、イギリスの茶税に反対する一派が、茶箱をボストン港に投げ入れたという、アメリカ独立戦争のきっかけとなった「ボストン・ティーパーティ(茶会)事件」です。ヘルスケア改革が実現すれば、税が上がると恐れる彼らは、「ティー(TEA)」を「Tax Enough Already(もうこれ以上の税金はたくさんだ)」と語呂合わせをして、運動を盛り上げていました。

【民主党のラスト・スパート】
3月21日の下院での投票は、文字通り接戦であり、議員ひとりひとりの1票がとても重要なものになることが予測されました。民主党が絶対多数を占めている下院においても、上院で可決されたヘルスケア改革に反対の考えを持っている民主党議員がいるからです。つまり、急進的な民主党議員の中には、当初オバマのヘルスケア改革の目玉のひとつであったパブリック・オプションがなくなり、医療的必要のある中絶さえ正当なものとされなかった上院案に不満を持っている人たちがいるからです。

しかし、上院の絶対多数を失った今、ヘルスケア改革自体が頓挫してしまうことを恐れたオバマ陣営は、この点には目をつぶってでも、上院案を下院で呑んでもらう必要がありました。そこで、民主党議員に対してヘルスケア改革法案に「イエス」の票を投じることを電話やメイルや手紙を使って訴えるよう、一般の人々に連日強く呼びかけてきました。

【ふつうの人たちの力の引き出し方】
この呼びかけは懇切丁寧なものでした。まず、もしヘルスケア改革が実現されなかったらどうなるかということから、実現されたらどのような利益があるのかといったことがデータとして示されます。すなわち、以下のような具合です。ヘルスケア改革が実現されなかったら、2019年までに全国で1,700万人の人が無保険者になる。保険会社は保険料をさらに40から50パーセント程度引き上げる。今後10年の間、全国で275,000人が、保険がないがために早すぎる死を迎える。平均的家庭の医療費は、現在の13,000ドル(約120万円)から、2020年には24,000ドル(約220万円)へと2倍になる。

そしてヘルスケア改革が実現された場合の選挙区での効果が、例えば以下のように示されます。既往歴があるために保険加入を断られていた2,900の人が保険を持てる。地区の111,000世帯、14,900の小規模事業者の保険料が手ごろな値段になる。医療費を払うために破産した900人の支払い額が削減できる。メディケイド対象者10万7000人の処方薬が保険でカバーされるようになる。

さらに電話をかける際のマナーやせりふなども、事細かにアドヴァイスされます。議員の事務所の電話番号はもとより、たとえば、電話をかけても話し中だったらもう一度電話してみて下さいとか、相手を尊重して丁寧にはっきりと話して下さい、ということも指示されます。そして、電話がつながったら、自己紹介をして、有権者であることを言って、次のような見本を参考にして話をすることを勧めています。

「こんにちは。私の名前は○○で、△△町に住んでいる有権者です。まず、ヘルスケア改革推進のために尽力してくださっていることに対して感謝の意を表します。州内では何人もの選挙民たちが262,681時間も、あなたのような議員のためにボランティアをしてきました。ヘルスケア改革の最終投票は接戦となるでしょうから、私たちが大統領やあなたのような議員と共にヘルスケア改革のために立ち上がっていることを知ってください。」

【ふつうの人たちの勝利】
こうした電話での有権者のアピールがどれほどの効果があったのか、現段階では知る由もありません。ただ、このような仕掛けが用意され、多くのふつうの人たちが議員に電話をかけ、手紙を書き、メイルを送ったことは事実でした。

可決後の演説でオバマは、「この結果は、トップ・ダウンではなく、ボトム・アップによってなされた」「ふつうの人たちの勝利だ」と民衆の力を讃えました。このことの持つ意味は、大きいと思います。

アメリカの人々はこのヘルスケア改革が、国家からのお仕着せではなく国民の力でなされたと記憶することでしょう。そして、自分たちで社会の仕組みを作り変えていったと誇りに思うでしょう。これはあらゆる点でアメリカの強みとなると思います。

日本では、昨年の政権交代はふつうの人たちの意見表明だったと捉えられますが、その後、人々が誇りに思えるような変化があったか、あったとしたらどのようなものだったのか。ぜひ検証してみたいものです。

略歴:細田満和子(ほそだ みわこ)
ハーバード公衆衛生大学院リサーチ・フェロー。博士(社会学)。1992年東京大学文学部社会学科卒業。同大学大学院修士・博士課程を経て、02年から05年まで日本学術振興会特別研究員。05年から08年までコロンビア大学メイルマン公衆衛生校アソシエイト。08年9月より現職。主著に『「チーム医療」の理念と現実』(日本看護協会出版会)、『脳卒中を生きる意味―病いと障害の社会学』(青海社)。

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