医療ガバナンス学会 (2010年3月29日 07:00)
実はシズオカクリニックの指定取り消し処分には伏線があった。上杉医師は数年前から静岡県民生部による(社会保険担当者の)指導を受けていた。良心的な歯科医である上杉医師はできるだけ完全な治療を行おうと保険治療に加えて自分が必要と考える保険外治療(自費診療)を行っていた。当時、とくに歯科は保険診療だけでは必要な治療はできなかった。混合診療を容認する通達もあった。にもかかわらず静岡県民生部は、上杉医師が患者から徴収した医療費を違法なものとして、そのような医療費の徴収、すなわち保険外治療を禁じる指導を行った。上杉医師がなぜ違法なのか根拠を示せと迫ると、民生部は法的根拠を示せず、「自分たちが認めないのだからやめろ」の一点張りだった。
そして昭和59年3月22日に同部はシズオカクリニックの監査に入り、「社会保険担当者の監査結果にもとづく弁明について」という文書を上杉医師に送付した。監査結果の処分には注意、戒告、指定取り消しがあるが、「弁明について」が送られたことは取り消しを意味した。上杉医師は「弁明について」を読んだが、そこに指摘された事項を仮に認めたとしても、シズオカクリニックの保険指定を取り消す理由になるものはない。保険医療機関の指定取り消しに関しては、健康保険法(以下、健保法)第43条12(旧法)に規定があり、取り消しの条件が明記されている。シズオカクリニックはそのどれにもあてはまらないのである。
上杉医師から「弁明について」を見せられ、相談を受けた上尾市の友人、飯塚哲夫医師が中心になって、全国の歯科医に呼びかけ、「上杉先生を支援する会」を組織し、集会やデモを主催するかたわら膨大な弁明書も作成した。また静岡県民生部に全国の医師から抗議の電報を打ったが、民生部は厚生省保険局を通じて都道府県保険課にその名簿を送り、「こいつらは一網打尽だ」とうそぶいたという。すなわち次年度の厚生省による指導の対象医療機関を電報発信者に絞り込んだというわけである。さらに健保法で保障された弁明そのものも民生部の卑劣で狡猾な対応で、上杉医師一人が入場し、5分ほど述べて時間切れとなり、あとは文書による弁明ということで弁明書を提出することになった。しかし読めば優に5,6時間はかかる弁明書の提出後、1時間たらずでシズオカクリニックの保険指定取り消しは決められ、民生部によって報道発表されたのである。
上杉医師はただちに静岡地裁に処分取り消しを求める訴えと処分の執行停止を求める申し立てを起こした。とくに執行停止は緊急要請であり、指定取り消しは違法だという理由があれば勝ち取れることから提起された。また執行停止の決定は、当然、本裁判の判断を占う材料にもなるわけである。裁判所では、申し立ての審理について、双方からの書面だけでは不十分として、法廷において直接「審尋」することにした。静岡県民生部は審尋において、「必要な医療はすべて保険で給付されている」、「保険給付外の医療行為などというものは存在しない」と繰り返し、上杉医師はそれを踏み外す違法な医療行為をしたから処分されたと述べた。しかし、裁判所から、それを示す法的根拠をただされると何の説明もできなかった。裁判官から「あなた方はとにかく処分をしたのでしょう。それなら処分の法的根拠をただちに説明できるはずでしょう」といわれる始末である。2回目の審尋からは厚生省の技官が出てきたが、裁判官がやっと引き出した答えが「厚生省としてはそのような見解であり、…」というもので、裁判官から「ここは裁判所です。行政の考えを聞いているのではなく、法的根拠を聞いている」と注意される始末である。
静岡地裁は、昭和59年6月25日、上杉医師の処分執行停止の申し立てを認める決定を行った。処分の執行は本裁判の結果が出るまでに上杉氏に回復できない損害を与えるからという理由のほかに、決定文の中で次のように述べている。「上杉氏の診療所の違法行為は明らかだという県の主張には疑問が残る」また「保険診療には治癒のために必要なすべての医療サービスが含まれているか」「自由料金を取った医師を処分する法的根拠があるか」という争点については「保険診療以外の医療サービスについては、保険医療機関と被保険者の間においても、自由診療契約の対象となしうる余地がある」「処分が適法との心証を得ることは困難」との判断を示した。
厚生省をバックにした静岡県民生部は東京高裁に控訴したが、同年12月4日再び処分執行停止の決定が示された。理由は静岡地裁と同じで、「療養の給付の対象は、治癒のために通常必要とされるもの、すなわち当時の医学・医療水準に一般的に合致するものに限られ、点数表はそれを項目別に具体的に列記したもので、点数表に掲げられていない先進医療サービスについては、保険医療機関と被保険者間に自由診療契約の余地がある」とした。
こうして処分の執行停止は決定されたが、処分の取り消しを争う本裁判は、結局和解となった。裁判中にシズオカクリニックが保険医療機関の更新時期を迎えたが、厚生省はこれを拒否した。上杉医師はやむなく更新拒否取り消しの裁判を起こしたが、厚生省は今度は更新保留という法的外措置に出た。さらに厚生省はシズオカクリニックの実態調査と称して、患者を公園などに呼び出して口腔の検査まで行ったのである。この暴力団まがいの行為に上杉医師は和解を受け入れざるを得ず、裁判は終息した。
以上が上杉事件の概要である。筆者は医師でなく、一般人なので厚労省の権力と暴力が上杉医師ほど及ばないが、ここに述べられた厚労省の主張は23年後の筆者の裁判でもまったく同じであった。筆者は上杉事件を知って、厚労省の体質は全然変わっていないことを痛感した。ところで上杉事件が裁判になった昭和59年は健康保険制度にとって歴史的転換の年だった。
【上杉事件の時代背景】
上杉歯科保険指定取り消し事件が静岡地裁に提訴される1ヶ月前の昭和59年4月1日、健康保険法では国会で承認された特定療養費制度が施行された。これは厚生大臣の認めた保険外診療について保険診療との併用を認めたものである。当時、歯科の保険診療と保険外診療の併用と差額徴収を認めた行政の通達を悪用して不当で高額な差額を取る医師が横行したことや日々進歩する医薬品や治療技術への国民の受療希望の高まり、そして何よりも保険局長の唱えた医療費亡国論に象徴される保険財政への危機意識から、高度先進医療や差額ベッド等の選定療養を患者の自費負担にして保険診療と両立させることで患者負担と保険財政のバランスを図った。医療費に患者負担の増大を組み入れる政策は、差額の積極導入を経て特定療養費に至ったわけである。特定療養費は、国民から求められる高度先進医療の導入に対し、これを差額でなく療養費の支給に切り替え、患者負担を拡大させて保険診療との併用を可能にしたものである。
昭和59年保険局長は国会答弁でこう述べている。「今後高度先進医療というようなものがどんどん出てくる場合、それは全部自費だというより保険でみれるところは保険でみる。今回の特定療養費は保険診療と保険外診療の間を調整しようということ」―厚生省からすると、特定療養費は保険外診療を併用すればすべての医療費が自費負担だったものを一部でも保険でみるのだから、患者負担の軽減であるといいたいだろうが、混合診療ではすべての医療費が自費負担になるという厚生省の解釈は、上杉事件の静岡地裁でも筆者が原告の東京地裁でも法的根拠はないとして否定されている。敗訴した筆者の控訴審でもその解釈が法的根拠を持つのは特定療養費規定以降とされているのである。
さらにまた上杉事件では、裁判1ヶ月前に歯科材料も対象とされた特定療養費という国家公認の混合診療が健保法に明文規定されたにもかかわらず、厚生省は「あらゆる歯科医療はすべて保険で給付されていて、給付外の医療行為などはない。だから一部負担金以外の医療費を患者から徴収してはならない」と主張した。この文句は厚労省の金科玉条らしく、平成16年の「健康保険法による療養の給付等の法的構成」という文章中に「健康保険法上、療養の給付については、一部負担金以外に患者から金銭を受け取ることは観念できない」とある。「観念できない」という文句は、筆者の裁判でも国の書面で使われていたが、「問答無用、何が何でも」という厚労省の決意が凝縮されたものだそうである。しかし、いくら決意を凝縮しても特定療養費、現行の保険外併用療養費は、一部負担金以外の患者負担である。
【上杉事件の現代性】
2005年10月、保険外のLAK療法を筆者など難治がん患者に行った神奈川県立がんセンターの混合診療事件は、旧健保法の特定療養費制度下で起きた。この事件の患者であった筆者が提起した裁判において、国は1984年に改定された健保法に起草された特定療養費規定の反対解釈によって、厚労大臣の認める保険外診療以外の混合診療の禁止が確定したと主張した。またそれは2006年10月、特定療養費から保険外併用療養費と制度名が変わっても趣旨内容は変わらないとした。一方、1984年5月の上杉事件は1984年4月の特定療養費創設直後に起こった。いずれも同じ医療制度下で混合診療が原因で起きた事件である。2つの事件はつながっており、次に掲げる理由から、今でもきわめてアクチュアルといえるのである。
(1) シズオカクリニックの保険指定取り消し処分は、昭和59年5月14日であり、それは同年4月1日の健康保険法の改定による特定療養費規定の施行後に行われたものである。したがって、この処分の執行停止の申し立てをおこなった裁判での原告、被告双方の主張も、当然その規定施行後になされたものであり、昭和59年6月25日に示された静岡地裁の判断、昭和59年12月4日に示された東京高裁の判断のいずれも特定療養費規定を基礎にしたものといえる。
(2) 現行の健康保険法における保険外併用療養費の規定は、旧健康保険法の特定療養費規定の根幹機能を受け継ぎ、制度をほぼ踏襲したものであることは明らかであり、国も東京地裁、東京高裁もそれを認めている。
(3) 上杉医師の訴訟は、保険指定を取り消された原告の「処分取り消しの訴え」および「処分執行停止の申し立て」であり、筆者の訴訟は「保険外診療併用における保険受給権の地位確認」であるが、双方とも保険外診療を併用したことによって受けた行政処分あるいは行政措置に起因する訴訟であり、これらを受けた原告がいわゆる混合診療行為を行政処分、行政措置の理由とすることは違法であるとして提訴している点では本質的に同じである。
(4) すなわち26年前の上杉医師の訴訟における司法判断は、現在の筆者の訴訟の判例といえることはあきらかである。
シズオカクリニックの保険指定取り消し事件は過去のものとなったが、その事件の核心にある本質は今も医療機関の保険指定取り消しの根拠となっている極めて現代的な問題であり、このままでは医療の未来をも規定するものである。
大正11年健康保険制度の創設から昭和36年国民皆保険の執行までの施策によって、国は国民の生命と健康をあずかる医療の当事者になったが、当然それを実行する能力はない。それを担えるのは、医師、医療機関である。そこで国家は医師や医療機関に対してきわめて強い権限を持つように健康保険法、医師法、医療法、療担規則等の法制度を編成した。国民には保険証1枚で、いつでもどこでも安く医療を受けられるとし、医師に対しては保険医資格を認定し、保険医療機関に対しては保険医しか診療できなくする。また制度を担保するために医師や医療機関を経済的に破綻させてはならないから、自由競争の起きないよう医療の価格を独占的に決めていく。もちろんダンピングや無料サービスなど許さない。医師や医療機関は民間であるにもかかわらず、開業と廃業以外の経営上の自由はまったくない。しかし経営責任は100%自己責任である。行政は医療の手足を縛り、事細かに干渉するが、何の責任も負わない。医療を受ける国民を皆保険制度で囲った上で、医療を独占的に国家管理下に置く―これはすなわち国家が医師や医療機関の生殺与奪の権を全面的に握ったということである。これが上杉事件から現在に至る保険医療、民有国営医療の本質である。これほどの強権的な医療統制は、民主的な先進国では考えられないことである。筆者が現在上告審で求めている混合診療における保険受給権の確認も、保険医療機関での医療行為には医師や医療機関に裁量権はなく、一切を医療の素人である厚労省の統制下に置くというこの本質の延長線上にある闘いである。
〔参考文献〕
(1) 飯塚哲夫 医療保険行政を告発する―ある開業医の闘争の記録(近代口腔科学研究会雑誌第10巻第2号1984年8月~第11巻第1号1985年2月)
(2) 同 上杉事件と厚生省保険局(近代口腔科学研究会雑誌第11巻第2号1985年6月)
(3) 同 歯科医療危機の光景(歯界展望第67巻第1号1986年1月)
(4) 津曲雅美 混合診療について(近代口腔科学研究会雑誌第35巻第2号2009年8月)
(5) 川渕孝一 保険給付と保険外負担の現状と展望に関する研究報告書(日医総研報告書第15号2000年4月)