医療ガバナンス学会 (2019年9月30日 06:00)
これが、僕が医師を志した原体験である。悔しかったのは、祖父を病気で亡くしたことではなく、家族に何も言えなかったことである。故に僕は、もともと病気と闘うことではなく病気になった人や家族を支えることに興味があった。
家族を病気で亡くしたから、というありきたりな理由で、僕は医学部に入った。医学部は病気の治療を学ぶための場所であり、大学では様々なことを学んだ。しかし、実際に病院に見学に行くと、病気の治療を学ぶだけでは不十分だということに気付いた。重度の糖尿病を抱えたおじさんは家族との金銭トラブルが原因で、病院に来られなくなっていた。妻を病気で亡くしたおじいさんは、次から次に異なる症状を訴えて、週に3回も病院に来ていた。癌が進行したおじさんはこの先どう過ごしていいかわからないと言っていた。病気の治療を行う機関としての病院では、こういった人もできるだけサポートしているが、病院に来なくなる人もいる。医師たちは常に目の前の患者さんの治療に必死で向き合い、来られなくなった人のフォローまでは手を回せない。では、病院にいられなくなった人、来られなくなった人のサポートは誰が行うのだろうか。
そんなことを考えているときに、僕は在宅医療のクリニックと出会った。在宅医療は、医療スタッフが患者さんの家を訪れて行う医療である。生活の場に入るということは、診る範囲は当然、生活全体に及ぶ。家のつくりや家族のことなどはもちろんのこと、人生の様々なイベントに関わることさえある。進学、結婚、就職、臨終などである。僕が出会ったそのクリニックは患者さんの人生やその人との対話を重んじ、あらゆる側面からその人の生活をサポートしていた。このような現場で働きたいと思うよりも先に、病気になったらこの人たちに支えられたいと思った。
しかし、こんな現場で働きたいという希望の次には、ここで働くことが出来るのかという不安がよぎった。在宅医療の現場で医師が行うふるまいについて、自分はどこで学べばいいのだろうか。現場で働く医師に相談すると、それは経験と省察によって自ら学ぶのだと助言をもらった。在宅医療の現場には不確実さが常に伴うのだと理解していた僕は、この助言をすんなりと受け入れられた。では、この経験と省察はいつから得られるのだろうか。在宅医療という特異的な場での経験と省察は在宅の場でしか得られないと僕は考える。ならば、早い段階から在宅の現場に入って学ぶシステムが確立されていても良いのではとも思う。
早くから在宅医療の現場に入り、祖父を亡くしたあの頃の僕の家族を支えられるような医師に、僕はなりたい。
経歴
福井大学医学部に在籍中。大学4年次に休学し、オレンジホームケアクリニックにてインターン。その後復学し、現在は医学部附属病院にて実習中