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Vol.177 相馬日記 台風編

医療ガバナンス学会 (2019年10月17日 06:00)


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相馬中央病院
藤岡将

2019年10月17日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp

以下は、或る医師の日記である。日記という性質上、記載内容は完全に個人的な考えであり、また日記の著者によると、特定の人物、職業、地域、会社を批判や差別する意図は全くない。

人物紹介:
「私」:1986年に東京で生まれる。以後、大学生活も含め東京で過ごす。2013年より福島県浜通りに引っ越し、現在(2019年10月)、福島県相馬市の相馬中央病院に勤務中である。

地域紹介:
福島県相馬市:人口3.7万人、福島県太平洋岸(浜通り)の北側に位置する。元々は、相馬氏の中村藩の城下町。漁業が盛んで、IHI(石川島播磨)の工場やデュポンの製造子会社の工場が存在する。
相馬中央病院:相馬市街地に存在する、慢性期メインの病院(注:「車に轢かれました」、「胃がんの手術をします」、といった患者さんではなく、「施設に入所しているおばあちゃんが肺炎になった」、「血圧の薬をもらいに来ました」、といった患者さんが来る)。病床97床、医師数10人弱

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2019年9月×日
泊まり勤務の表が決まり、従業員に配られた。10月は、(略)、13日(日)の夜と、14日(月)の昼、14日(月)の夜、(略)が泊まり勤務のようだ。15日(火)疲れていそうだな。
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10月×日
15日(火)に急な予定が入ってしまった。病院に相談してお休みを貰えた、良かった。しかし、泊まり勤務明けにお出掛け、というのも体力的に大変そうだな。休み貰えただけ御の字だけど。
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10月10日(木)
友人のA先生より、「15日に用事あるなら、14日(月)の夜の泊まり勤務を代わってあげるで」と連絡が来た。泊まり明けのお出掛けは体力的に辛いので助かった。A先生に感謝。
先ほどのA先生の話だと、どうも週末に強い台風が来るそうだ。東京の実家のマンション、駐車場が地下駐車場なので親の車が浸水しないか心配だ。ボロいけどカワイイ車。高いところに車を避難させるように親に連絡する。
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10月11日(金)
週末の台風、スポーツ新聞によると『地球史上最強』とのこと。ボジョレー・ヌーヴォーの宣伝文句で、1年おきぐらいに「100年に1度の出来映え!!」と言っているのを思い出す。
帰宅してスポーツ新聞の話を同居者にする。曰く、「『地球史上』は話を盛りすぎだけど、かなり大きいみたい。この家、場所的に洪水が心配なので、念のため明日12日は私の実家(車で10分)に避難しよう」。避難は良いけど、「いきなり来て、アンタ誰よ」にならないと良いけど。
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10月12日(土)
噂の台風は今日来るみたいだ。JRのウェブサイトみると、長距離の寝台列車(サンライズ出雲・瀬戸)は運休みたい。長距離走る電車は運休の確率高くなるよね。
10時頃、同居者の実家に移動。雨は小雨。到着し、レインコートを室内の物干し棒にハンガーで掛けたら、よくみると実は物干し棒ではなく、飾ってある槍だった。うーんアンティーク。すみません。そう思いつつもレインコートは掛けたままである。
同居者の実家の裏に小川が流れているようだが、川の様子は普通。川の住人の小さい魚やオタマジャクシは台風来たら無事なのだろうか、心配。
11時、台風に備えガソリンを給油しに行く。ガソリンスタンドに着いたときには、かなり降っている。さっきまでは小雨だったのに雨の日に給油口のキャップを開けるのは、水気がタンクに入りそうで嫌ね。
13時、台風が気になり、テレビを付ける。台風の中心が海の上にも関わらず、静岡あたりはすごい雨が降っているそうだ。まだ上陸していないのにこれですか。
14時、窓越しに家の裏の小川をみると、川幅が2倍ぐらいになっていた。危険だから近づかないようにしよう。
自治体の防災情報で、この家の裏の小川、「氾濫の危険あり」。ここに居て良いのだろうか。2階建てなので死ぬことはないとは思うが、車が冠水したら、○万円の損失よね。心配。
それからずっと台風情報をテレビやケータイで見ていた。本当は15日のお出掛けの準備をしたいのだが、気になってしまい、テレビやケータイをみてしまう。寝台列車だけじゃなくて普通に首都圏のJRはすべて運休になるとか。
20時、布団の中に。台風が気になり、ケータイをみている。これ目が悪くなるね。窓越しに外の音が聞こえてくるが、雨の音がすごい。
近所の川が氾濫した模様。色々調べ、氾濫と堤防決壊の違いを知る。似ているけど全然違う、ってやつか。
(13日の)2時、だんだん眠くなってくる、おやすみなさい。起きたときはどうなっているか少し気になる
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10月13日(日)
8時頃起床。同居者のお母さんが掃除機を掛けている。窓の外を見るが、快晴。車は無事っぽい。また見える範囲では近所に異常はない模様。良かった。
1階に降り、テレビを見る。長野市の千曲川堤防が決壊し、辺り一帯が冠水している映像が流れてきた。昨年2018年の西日本豪雨を思い出す。長野にある北陸新幹線の車庫が水没してしまったらしい。新幹線も冠水。
9時頃、自宅を見に車で出かける。自宅は冠水していない。窓も割れていないし、天井から水漏れもない。電気ok、水道ok。
10時、同居者の実家に戻る。どうも、断水になってしまったようだ。
テレビで南相馬市役所の職員が避難所設営の仕事帰りに車が水没し亡くなった、と。まだ25歳とのこと。気の毒に。
12時、庭に出てみる。トンボが多数飛んでいた。トンボも上手いことやって台風をやりすごうしたのだろう。大げさだが「国破れて山河在り」もこういう情景だったのだろうな。
13時、同居者と自宅に戻る。泊まり勤務に備え、昼寝。
15時、「いつまで寝ているのよ」と。確かに。泊まり勤務の準備をする。
17時、仕事場の近くに着く。昼食を少ししか食べなかったので空腹。仕事場行く前にマクドナルド寄ろうと思ったが、ぱっと見、閉店しているようだ。台風に備えお休みにしたのだな。従業員思いの経営者だな。
近くの牛丼屋に行く。こちらは営業していた。従業員思いじゃない経営者だ。テイクアウトで牛丼を注文。車に載せる際、誤って傾けてしまい、袋の中に汁がこぼれる。袋の「外」にこぼれなくて良かったよ。車が牛丼臭くなってしまうからね。
仕事場に近づくにつれ、様子がどうもおかしい。道路の路面が茶色い、酒屋、電気工事店、玄関先に家具や家電を並べている。もしかして洪水になったのか。そう考えてみると、先ほどのマクドナルドも洪水で閉店になったのではないだろうか。
仕事場の近くのコンビニに、電気が点いていない。疑惑が確信に変わる。この地域は川が氾濫したのではないか。
仕事場に到着。私の駐車場枠に、知らない人の車が止まっている。仕方がないので、A先生の枠に勝手に止める。
駐車場の奥から、こちらに手を振るジャージを着た人が居る。手を振り返す。近づいてみると、薬剤師のBさんだった。近くには事務のCさん、Dさん、Eさん、放射線技師のFさん、臨床工学技士のGさん。
Bさんから話を伺う。病院裏の川が氾濫し、近所一帯が冠水。当院も倉庫と駐車場が冠水し、病院の車が一部を除きすべて使用不能に。わずかに残った動く車を避難させた、とのこと。なるほど、私の枠に止まっていたのは病院の車だったか。
また、別の川も氾濫し、そのため断水に。14日の透析のために大量の水が必要で、相馬市の水道局に相談したら、給水車を1台貸して貰え、皆で浄水場まで何往復か交代で水を汲みに行っている、と。相馬市の水道局のかたも2人いらっしゃった。急なお願いにもかかわらず、ありがとうございます。
牛丼を買っている場合ではなかったし、昼寝をしている場合でもなかったのである。
急いで病院内に。H先生より引き継ぐ。H先生から話を伺う。12日に停電が発生し、人工呼吸器の患者さん(注:機械が止まると亡くなってしまう。機械のバッテリーは数時間しかもたない)を他院に転院する準備を大急ぎで進めた。進めているうちに数十分で停電が復旧した。過去に「たかが電気」と発言した文化人が居たそうだが、されど電気である。東北電力のかたがたに感謝である。
Cさんから話を伺う。Cさん、12日の朝よりずっと働いている様子であった。さすがに今日は帰りますわ、とのことであった。Cさんの健康を考えると是非ともお帰りください。むしろCさんの体調が心配。Cさんの家も断水だそうな。
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10月14日(月)
10月14日は「鉄道の日」だが、それどころではない。
9時頃、病院の外に出てみる。前日のメンバーと、臨床検査技師のIさんが給水活動をしている。今日は相馬市の水道局のかたに加え、会津若松市の給水車と、職員のかたもいらっしゃる。遠いところより感謝。
透析部門責任者のJ先生が出社。「気になり出社してみました」。ありがとうございます。
12時頃、DMAT(災害派遣医療チーム)のかたがたが登場。福島赤十字病院の先生がリーダー。遠いところ、ありがとうございます。被災状況の調査にきました、とのことで、断水のため皆で水汲みをしている旨を伝えた。
すると15日に勤務予定の非常勤のK先生が登場。「予定より早く来たわ」と。これまでの経緯を説明する。
Dさんと話す。Dさんは病院創業(35年前)以来のメンバーだが、「創業以来、こんなにひどいことはない。12日の夜、病院玄関のタイルまで水が来て、『もう駄目だ』と思ったら、そこから水が引いてきた」。Dさんは悲しげな様子だった。掛ける言葉がない。
Bさんに会う。「給水車の使い方を徐々に取得してきた」、と。給水車を取り扱える薬剤師さん、って日本に10人居ないのではなかろうか。
病院隣の調剤薬局が水没してしまったと聞き、Bさん、K先生と一緒に訪れる。薬局裏のフェンスが壊れている。どうも、近所の材木屋さんから丸太が漂流し、フェンスにぶつかったようだ。薬局には従業員のかたがたが居て、掃除をしていた。奥より、オーナーのLさんが出てくる。いつもお世話になっている薬剤師さんだ。「1階は浸かってしまった。掃除している。断水しているので掃除がはかどらない。再開は当分の間無理かな」。Lさんもまた悲しげな様子であった。掛ける言葉がない
K先生は、避難所の様子を見に、外出。
13時、当院と市役所で話し合い、夕方以降、私とH先生で避難所を訪れ、被災者の健康相談を行うこととした。K先生に伝えたら、「よかったら僕も行きますわ」と。ありがとうございます。
病棟の看護師さんから連絡が来た。断水のため、近所の人が病棟のトイレを使いに幾人も来ている。おまけに盛大に水を出して手などを洗っている。透析の水を優先しているため、透析以外の水は補給されていない。このままだと貯水槽の水がなくなってしまうのではないか、と。Eさんに報告。医療機関ゆえ、「勝手に病院に入らないでください」と地元の人を断るのもなかなかこちらからは言い出しづらい。これこそジレンマ
14時、昔から世話になっているMさんから電話いただく。「どんな感じか心配になり電話したのよ」。ありがとうございます。状況を伝える。
15時、或る職員が、自治体設置の給水所を車で通ったら、被災者が喧嘩して警察が出動していた、とのことであった。気の荒い人が多いのかな。しかし日々診療していてあまりそういう人には出くわさない。警察の人も大変ね。
Cさんのもとに伺うと、通信社のNさんが。様子を見にいらっしゃったそうだ。Nさんも一緒に避難所に行くことになった
16時、Bさんのお手伝いをするべく、K先生とBさんのもとに伺う。近くの薬局が当分営業不能になったため、透析の患者さんの処方を院内処方に一時的に切り替えることとした、と。J先生とK先生と手分けして、全透析患者さんの処方箋を院内処方向けに変更する。医学的な仕事というより、オーダリングシステムの仕様(通常の院外処方箋は一般名、商品名で書かれているが、院内処方箋は病院で購入している薬の商品名で書かれており、そのままだとエラーになってしまう)による作業である。ジェネリック薬品滅ぶべし。3人で1時間かけてなんとか終わる。
K先生「先に行っているわ」、先に避難所に出発。
A先生より連絡。通行止め箇所が多く、もしかしたら少し遅れるかも、と。高速は無事だが、高速にアクセスする道が至るところで冠水しているとのこと。
Cさん「私も避難所訪問にご一緒しますね」。12日から連勤にもかかわらず、恐縮です。
17時50分、A先生到着。A先生に引き継ぐ。A先生到着した旨をCさんに伝え、H先生と病院の車に乗る。Cさん「この車、なんとか走りますが、実は半分水没しかけたのです」。心なしか地下鉄のプラットホームのような匂いがする。ドアのロックも自動で解除されず、手動でロック解除。
18時5分頃、避難所に到着。避難所は市役所の裏手で、市役所の照明は煌々としていた。Cさん「災害時なので皆出勤しているのだと思います」。市役所の職員も被災しているだろうに。
避難所入り口に、国土交通省の作業車が2台止まっている。Cさん「これポンプ車です。排水のために来てくれたみたいです」。宮城ナンバーだったので、隣県から来てくれたのだろう。
避難所には市の保健センターの保健師さんや、避難所運営の市職員のかたがたがいらっしゃって、まず挨拶する。保健師さんより避難所の概要を説明いただく。市内の孤立した集落に自衛隊が山を切り開いて助けに行き、その人たちも避難所に合流してきた、とのこと。
H先生とK先生と、1つ1つの被災者居住用のブース(低いパーティションで区切られていた)を訪問する。被災者のかたがたに、今の体調はどうか、定期で内服している薬はあるか、何か困っていることはないか、などを伺い、乾燥予防でマスクをお渡しする。時たま、風邪引いているかたも居るようで、後でK先生H先生が個別に簡単な診察を行うこととした。
或るブースに行くと、なんと仕事場の同僚のOさんが居た。自宅が冠水してしまった、とのこと。Nさんと一緒に、Oさんのお話を伺う。数十センチの浸水で、ベッドも家具もすべて駄目になってしまった、と。私「大変ですね」、Oさん「さっきから先生、それしか言わんのねー」、私「それしか言えないですもん」
全ブースを訪問し、終わったため、避難所入り口に戻る。ちょうど、非常食がどこからか届いたようで、避難所運営の市職員全員で運び込む。
追加の毛布を配布することとなり、運営の市職員のかたがたが配布している。見た目少しいかつい(注:勝手にすみません)職員のかたも、優しい言葉をかけながら配布している。設営に携わっている市職員自身も多くが被災者な訳で、そんな中でも職務を遂行し、被災者に優しい言葉を掛けている。
避難所を後にし、Cさん運転の車で病院に戻る。
病院に着いた後、こんな話を聞いた。病院近くのコンビニオーナーのPさん、店が水没する中、「自分の店を見捨てて逃げられるか」と。店主は店の最後まで見届けたとか。
翌日15日の用事に備え、前泊して万全を期すため、病院を出発し、仙台に前泊する。
仙台までの高速で、何台もの東北電力の作業車とすれ違う。東北電力の作業車はデザイン的には少し野暮ったい(注:地元民は分かりますよね)のだが、他のどの車よりも格好いい「はたらくくるま」であった。
仙台は普段と様子は変わらず。1泊6500円のホテルは快適。水も出放題。
お金の問題さえクリアできれば、相馬の人々も仙台のホテルに住み、相馬に通うのもありかも知れない(お金の問題が大きいが)
変な夢を見た。何らかの事情で外国に避難しないといけないのだが、飛行機恐怖症で乗れない、のような夢であった。フロイトさんこれ何ですか?
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10月15日(火)
9時起床。朝食を食べる。パンが美味しい。朝も風呂に入る。水が出るのは素晴らしい。
風呂にゆっくり入り、チェックアウトの時間が迫る。慌てて服にアイロンを掛ける。アイロンを使うのは中学生ぶりで慣れない。
11時 チェックアウト。用事先に向かう
15時 用事終わる。
15時半 仙台中心部の勾当台公園の近くで、Mさんから電話を再度いただく。昨日から色々思ったことをMさんと話す。当院職員の皆さんの献身的な貢献、また自らも被災者であろう市職員のかたがたの滅私の奉仕、高速を疾走する東北電力の作業車。
以下はMさんには伝えなかったが、私が思ったことである。
一部の医者は機会があるたびにネットなどで「医者の職業倫理」みたいな話を声高にアピールしている。もちろん「医者の職業倫理」とやらは主張通り立派ではあるかも知れないが、他の仕事、例えば今回の当院職員(医療資格者も非医療資格者も居る)、市役所職員、自分の店を最後まで見届けたコンビニ店主、高速ですれ違った東北電力の作業車に乗っていたであろう東北電力の社員、また、今回の事例ではないが「住人を助けるべく、火の中に飛び込む消防士」、「凶悪な犯罪者から住民を守るために立ち向かい、殉職した警察官」、「東日本大震災で、住民を守るべく道路を封鎖しに行き、津波に遭い殉職した相馬市職員」、挙げればキリがないほどの、他の無数の職業の人々も、「医者の職業倫理」と同様に、もしくは「医者の職業倫理」を超える使命感で我々の社会を支えているのである。

問題はこの先である。医者は「派手な仕事」ゆえ、前述の医者達が「医者の職業倫理」みたいなことを声高にアピールすると、社会の人々は(当然全員ではないが)それに対して或る程度の賞賛を送ってくれる(注:ありがたいことです)。しかし、他の職業の人々が社会から医者と同じ程度の賞賛を受けているか、というと私は疑問である。とても不公平であるし、残念である

また、巷ではインテリ連中が、「アメリカには、スティーブ・ジョブス氏のようなイノベーティブなスーパースターが生まれるが、日本では彼に匹敵するスーパースターが生まれず、云々」のようなことを宣っている。そんなインテリ連中も「イノベーティブではない日本社会」の一員であるにも関わらず、自分のことを棚に上げ、「日本はイノベーティブではない」と文句を言っているわけである。
確かにインテリ連中の指摘通りで、我々の社会は「イノベーティブではない社会」かもしれない。しかし一方、前述の通り、日本には「無名のスーパースター」は多数居るのだ、ただ無名+「地味な職業」ゆえ、誰も気付いていないだけである。そんな社会もそれまたステキではないかな、と私は思うのであった。

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