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Vol. 131 研究段階の医療と病人権利―医療基本法より世界医師会宣言を-

医療ガバナンス学会 (2010年4月12日 07:00)


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医療制度研究会・済生会宇都宮病院  中澤堅次
井上法律事務所・弁護士      井上清成

2010年4月12日 MRIC by 医療ガバナンス学会


生体肝移植手術後に死亡した人の記事が報道された。手術に当たって、研究段階の手術であることの説明がなく、倫理委員会の承認も得ていなかったことが問題になっている。「研究の道具に使われた」、「倫理委員会を通すことを法制化する」などの議論もあわせて報道されている。末期の肝臓病で唯一の生存手段となる生体肝移植は、確かに研究段階の技術であるが、直後の死という刺激的な結果は、第二次世界大戦の中で行われた生体実験の歴史にダブらせて特殊なイメージを読者に伝える。

難治性で死に直結する疾患への挑戦が先端医療であり、その多くは研究段階にある。治療法が無く死を待つしかない状況では、リスクが高いとわかっていても最後の賭けと考える人もある。また、同じ手術であっても、個人により反応が異なるから、やってみないと分らないという側面もある。もし、研究段階の医療が赦されなかったら、天然痘のワクチンの開発も無かったし、移植自体も医療技術として定着することは無い。研究段階の医療そのものを禁止するならば、医療の進歩を封じてしまうという考えが一方に存在する。

戦争を身近に体験した欧州諸国では、生体実験の非倫理性と、研究段階の医療の技術面での貢献という、相反する問題の解決を迫られていた。1964年世界医師会がヘルシンキ宣言として、人間を対象とする医学研究の倫理原則を採択し、その後改訂を重ね今日に至っている。研究段階の医療を勧められた場合、断る権利はもちろん、いつでも自分の意志で治療を中止する権利のもとで、提案された治験に応じることも認めている。その際、受療者は、意志決定に必要で十分な情報を提供される権利があるとされ、これがインフォームドコンセントで、虚偽はもちろん許されない。さらに、被験者が医師に依存した関係にある場合、インフォームドコンセントは従属関係にない適切な有資格者によっておこなうことや、計画書を作成し、利害関係者を排除した倫理委員会に提出し、その監視の下に治療効果とリスクを追跡し、不利益が利益を上回る場合は研究そのものを中止しなければならないとも書かれている。

世界医師会はその後1981年リスボン宣言を採択し、病人権利(patients’ rights)を宣言した。そのなかで実験的あるいは教育のために行われる医療に関して、病人が断る権利を認めている。病人の権利を擁護することは医の倫理として重要な意味を持っており、日本でも司法の判断に用いられ、義務化というかたちで行われる様々な規制の原則にもなっている。しかし、日本の医療者は世界医師会の示す倫理について関心が薄く、この手の倫理違反があとを絶たない。

日本の社会システムは上意下達が基本で、お上が現場担当者の行動を法律で取り締まる形になっている。日本医師会は医療基本法の制定を求め、これにより行政処分をしやすくして、上から医療の専門職を管理し、お上に再発防止の指導をしてもらうように考えているようである。日本的な上意下達の典型で、お上の思惑、医師会の思惑、また国民の要望が複雑にからんだ、禁止条項満載の法律が出来るに違いない。国民の要望不満はお上が取り上げ、お上は現場の専門職の取締りを強化する方向になり、病人の不利益は放置され、専門職の罰則だけが強化される仕組みである。

病人権利は、弱者にこそ尊重されるべき人権に視点を置いている。ここに視点があれば、病人の問題解決こそが医療の役割であり、お上も社会もこの権利に責任を持つことになる。これが人権に基本を置いた民主国家の姿であり、国や社会に対する満足感や忠誠心に繋がる。

日本医師会が医師を代表する役割を持とうとするのであれば、まず、病人権利の条文を日本中の医師会館、医学部の教授室や教室、病院の院長室や医局、それから待合室の全てに掲示することからはじめ、権利と責任の議論と教育を深めるべきである。医の倫理が医師の目的であれば、それは病者の目的に沿うものである。もしも、倫理を語るのに自信がないならば、病人権利の法制化を医療基本法の代わりに国に求めるべきである。

病人に視点を置けば、世の中には病人と健康人しかいない。老若を問わず健康人が力に応じて病人を支える。それが医療・介護保障の理念である。今は健康でも何十年後にはだれもが必ず病気を持つことになる。生きてから死ぬまでを俯瞰すれば対立関係は存在しない。

病人以外に視点を置くと、社会には、企業、業界、団体があり、貧しい人がいて、金持ちもいる。医師も開業医、学会、病院となる。自分の立場を言い出すと思惑が優先して何も進まず、肝心の病人は放置されたままになる。せめて法律と政策は単純で効果のあるものであることを願いたい。

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