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Vol.204 現場からの医療改革推進協議会第十四回シンポジウム 抄録から(7)

医療ガバナンス学会 (2019年11月27日 06:00)


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2019年11月27日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp

2019年12月8日(日)

【Session 07】医学教育  12:10 ~13:10
●医学部入試地域枠問題
坂根みち子

2018年、文部科学省局長の汚職事件に端を発した子息の医学部不正入学が発覚。これにより2019年は史上初めて、医学部の入試が男女平等になった記念すべき年となった。
医学部受験がバブル化している原因の一つは、医師不足である。最近ようやく医師の過重労働や過労死の問題が取り上げられるようになったとはいえ、医師免許は未だに「最強のライセンス」とされ、逆に足りないからこそ「生涯食うに困らない」職業と思われる。医学部の女性差別および多浪生差別という、先進国にあるまじき問題は、文科省局長のお陰で急転直下解決した。しかし、医学部入試にはまだ大きな問題が残っている。地域枠問題である。
医師不足・偏在対策として、医学部の定員は平成19年度の7,625人から平成29年度には9,420人まで増員された。そのほとんどが地域枠である。地域枠というのは、県が奨学金を貸与し、一定年数地域で働けば奨学金返還が免除されるという制度が中心になっている。地域枠での入学者は平成19年度の183人(2.4%)から平成29年には1,674人(17.8%)まで増えた。今後医師は充足し、あとは偏在の問題である。ということで、2022年以降は定員を削減予定である。
ところが、国の医師の需要予測は交代制勤務を前提にしていない。働き方改革や専門医制度の失敗による若手医師の大都市集中もあって、実際には医師は大幅に不足している。特に地方大学は青息吐息なのである。そこで近年進んでいるのが、地域枠の厳格化である。入試時には、ゆるい説明で学生を集めておき、入学後は奨学金を一括返還しても「道義的責任」を盾に地域枠から離脱できないようにしたのである。義務年限は大抵が9年間と長い。しかもこの時期は結婚や出産、子育てなど、大きなライフイベントが重なるが、一切の変更を許さない制度へと舵を切った。そこには、日本全体で若手医師を大切に育てようという意識はなく、あるのは労働力としての若手医師の囲い込みである。
私のもとへは、「道義的責任」を声高に叫ぶ大学教授によるハラスメントを受けている学生や家族からの相談がある。人権侵害と言えるレベルである。実例を挙げて、問題点を明らかにしたい。
●ハコモノよりもワカモノを 途上国で必要な人材育成
宮地貴士

私は、アフリカ南部のザンビア共和国で医療活動に取り組む医学生である。2017年3月にスタディーツアーで当地を訪れ、医療施設のない僻地で健康啓発を行う住民の1人と出会った。彼女が夢見てきた診療所建設に共感し、支援を決意。同年4月より様々な事業に取り組み、建設費を調達した。
日本での活動はご縁や機会に恵まれ、順調そのものだった。だが、肝心なザンビア側は、パートナーの失踪や村人からの集金をめぐる村長の対立など、宙ぶらりんな状態になっていた。私は休学し、ザンビアに住むことを決意した。
半年間滞在して分かったことがある。それは、最初から「ハコモノ」ではなく、現地の「ワカモノ」に投資すべきだった、ということだ。そもそもこの診療所は簡易的な医療施設に定義されており、普通の家にお産用のベッドやワクチン保存用の冷蔵庫を備え付けた程度である。
村人たちの家であれば10万円前後で建設できるにもかかわらず、700万円もかかってしまう。理由は、「立派な建物でないと都会育ちの医療者が来てくれないから」である。本来は村出身者が医療者になり、村にあるリソースを使って診療することがベストだ。
人材に目を向けたことで、ザンビアの医療課題が如実に分かってきた。保健省から給料の100%をもらい、政府の言いなりになる公的病院の医療者。政府役人を過度なおもてなしで甘やかす援助団体。現場のニーズからずれた保険制度など、先進国の価値観を押し付ける国際機関。
課題は山積みだが、できることからやっていく必要がある。キーワードは、
・プライベートセクター
・仲間づくり
・書いて発信
の3つだ。具体的には、同じ問題意識を共有する人々でコミュニティを作っている。これを生かし、現地医療者向けの教育プログラムを始める予定である。こつこつとネットワークを広げ、ザンビアの医療を現場から改革して行きたい。
●ハンガリー医学部進学を再検討
川本 歩

「将来は途上国にいる人たちを助けたい」。高校1年生の私は当時、進路に迷っていた。医師として病気の人を助けるか、それとも国際関係を学ぶべきか。そこで高校の先輩がハンガリーの医学部に進学したことを知り、同じ道を進むことを決断した。
ハンガリー医学部進学は日本の医学部進学に比べてハードルが低く、私大医学部に比べて安く進学できる点で大変魅力的である。卒業後も日本の国家試験を受けることも可能で、実際にこれまで医師国家試験に71名が合格している。今後も進学を考える人が増えてくることが予想されるが、懸念が3点ある。1.厚生労働省による海外医学部卒業生に対する規制、2.進学率、3.教育内容である。
厚労省が主張している規制とは、「少子化が進む中で国内の医師数が相対的に多くなるため、人数を制限する必要がある」という考えだ。これは我々にとっては大きな壁となる。なぜならハンガリーで学んでいる9割以上の日本人学生が日本での勤務を希望しているからだ。進学率については、一般的にストレートで卒業できる割合が1/3と言われている。残りは留年、もしくは退学となる。この進学率について試験の難易度が高いという声をよく耳にするが、それと異なる問題もあると私は考えている。教育内容については、良い点と悪い点が明快である。最初の1~3年にかけての基礎医学教育は充実している。一方、臨床実習になると話は少し変わってくる。この点については、私が今まで体験したアフリカでの病院実習の経験と比較しながら私見を述べる。
私はハンガリー医学部に進学したことに対して一切の悔いはない。しかし国の制度や現地での経験から、現在進学を考えている志望者にとって同じ選択が正しいかどうか、再検討する必要性があると考えている。
●医療と教育の枠を超えて
後神勇樹

「教員になるための勉強だけで、教師になっていいのだろうか」。私が教育大学に身を置きながら、マザーハウス という「途上国発のファッションブランド」で働くことを選択した、きっかけとなった最初の疑問である。
教育大学では各科目の指導法に加え、教育に関する学問など勉強範囲は多岐にわたるが、全て「教育」ないしは「学校」のフレームの中で専門性を高めていく。右を向いても左を向いても「教師の卵」であり、多少の迷いはあれど、その多くは卒業後すぐに「教師」となる。どうして学校の外に目を向け、視野を広げる時間がないのだろうか、と疑問に思っていたのだ。
そんな疑問を抱えていた時期に訪れたのが、福島県相馬市だ。訪れたきっかけは些細なことだったが、そこには被災の現場から未来を変えようと、医療や教育の枠を超え、地域が抱えていた課題について議論し、協力し合う大人や学生たちの姿があった。
「教育環境の悪化による進学率低下」「派遣された医師がいなくなり、医師不足になった」など、現実に横たわる問題は、教本の事例よりもリアルで残酷だった。その問題に地道に向き合い、解決の糸口を探る彼らの姿勢や、物事の捉え方、考え方は、机上で考えていた私にとって大きな衝撃だった。そして今、何よりも私の糧となっている。
ここでの出会いがなければ、私は教員として一般的なキャリアパスを描いていたように思う。「途上国のイメージを変えたい」と強く思い、マザーハウスで働くこともなかった。教師になる選択をしなかったことについては、全く後悔していない。
医学部ではない私には、医師にどれだけのキャリアパスがあるのかはわからない。もしかしたら、医学生生活の中で、専門性が高いが故に視野が狭くなってしまっている学生もいるかもしれない。
ただ私が知る相馬市で活躍している医療者たちは、「社会」に目を向け、医療や医学だけにとどまらないほどの知識を持ち、その視点と見識は示唆に富んでいた。それはきっと、他分野で活躍する人と多く議論を交わした賜物だろうと今では思える。
学問を超えた学び、人材の交流こそ、若者が成長する大きなきっかけになると私は信じている。
●医師の地域偏在と東北地方の教育格差
村山安寿

私は東北大学医学部2年生である。今年3月に医療ガバナンス研究所の上先生に機会をいただきインターンをした。その際、2019年度の旧帝大合格者の分布について調べる中で、東北地方からの旧帝大合格者が少ないことに興味を持った。そして同じく全国50校の国公立大医学部への合格者の出身地の傾向についても、旧帝大合格者の場合と同じ傾向が見て取れた。
出身地と出身高校の差を補正するため、地域ごとに18歳人口 1 万人当たりの国公立大学医学部医学科合格者数を算出した。最も高い値は南部九州で 73.48 人、次に高いのは四国で 65.88 人、3 番目に高いのは中国で 59.07 人となった。一方で最も低い値は北関東(茨城県、栃木県、群馬県)で25.56 人、次いで東北の 33.67 人、南関東(埼玉県、千葉県、東京都、神奈川県)33.67人である。東北地方と南部九州を比較すると、2倍の差が存在する。また、18歳人口1万人当たりの医学部医学科を擁する国公立大学数と、国公立大学医学部医学科合格者数には、相関があることがわかった。国立大医学部に進学する人数は明らかに西高東低である。
さらに同じ東北地方でも県ごとに、旧帝大や国立大医学部への進学者数には大きな差がある。合格者数が多いのが宮城県、秋田県、対して少ないのは岩手県、福島県である。これらの原因を調べると、私は幕末、明治維新の歴史に行き着いた。
東北の諸藩は、秋田を除き、戊辰戦争時に幕府側に付き敗戦した。その後は明治政府から冷遇され、特に教育への投資が行われてこなかった。その結果が現在の旧帝大および医学部合格者数の低さである。これにより、東北地方は人口当たりの医師数が他地域よりも少ない。
政府は地域枠を設けて地元学生を囲い込み、潤沢な「奨学金」を貸与している。しかしその金利はおよそ10%以上。卒業後もし他県で働こうとすれば全額一括返済が求められる上、その学生についてのウワサが瞬く間に広まるらしい。果たしてこのシステムが「医師偏在解決への光」となり得るのだろうか。
●初期研修プログラムに求めること
小川風吹

私は、地域の人々の幸せをとことん見つめる医師を目指している。昔から人が好きで、医学を勉強すれば人の役に立てることがあるのではないかと思い、医療の世界に入った。今もその気持ちは変わらず、人との1対1のコミュニケーションを大切にしながら地域に貢献したいと考えている。
大学病院での臨床実習を通して、病院での医療は、患者さんの“疾患”に対してアプローチする場所である、ということを強く感じている。入院し、その後無事退院していく患者さんを見ながら、医学と治療の素晴らしさを実感した。一方で同時に、患者さんのこれからの生活はどうなるの? 見守るべきじゃないの? と、悶々と考えさせられる。患者は治療すべき対象であり、病院は生活の場ではない。超高齢社会の日本では、患者さんを取り巻く環境をまるごと見守る医療、支える医療を必要とする人が増えてくる。医療者には、患者の生活の場を深く知ることが求められるだろう。
初期研修プログラムには、地域医療、特に在宅医療分野も重点的に勉強できる内容が期待される。患者の生活の場を知ることも必要だ。将来医師になった時、在宅医療の現場や一人暮らしの高齢者が地域でどうやって支えられながら暮らしているかを知らないまま、安易に「家へ帰りましょう」とは言えないからだ。そして、病気の治療と回復を目指す病院での医療とは対照的に、看取りに特化した在宅医療のアプローチも、実践を通して初期研修のうちから深く勉強したい。
令和 2 年度の見直し臨床プログラムからは、在宅医療が必修になることが決まった。ただ、在宅医療に長期関わることが可能な初期研修プログラムは、現状見つからない。医師としての第一歩を踏み出す初期研修期間においてこそ、フラットな目線で患者の生活の場を知ることが大切だと思う。

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