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Vol. 138 「医師の自律」は論文の積み重ねから

医療ガバナンス学会 (2010年4月19日 07:00)


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医師
村重直子
※今回の記事は「週刊医療界レポート 医療タイムス」に掲載された文面を加筆修正しました。
2010年4月19日 MRIC by 医療ガバナンス学会

【カナダとメキシコの新型インフルエンザ臨床像】
新型インフルエンザ関係で少なくとも6本も論文を書いているカナダの集中治療医、ファウラー医師が来日した。PubMedのフルネーム検索だけでも、2008年に12本、2009年に10本、今年既に4本も臨床研究論文がある。特に目を引くのは、カナダとメキシコの新型インフルエンザの入院重症患者を集め、症状を記述した2本の臨床研究論文だ。

カナダの臨床研究(JAMA2009;302:1872)では、38施設から重症215人の情報を集めたうち確定例と疑い例の計168人を解析し、集中治療室に入ってから14日以内に18人が死亡、90日以内に29人(17.3%)が死亡したこと、136人(81%)が人工呼吸器を必要としたこと、50人(29.8%)は18歳以下だったこと、16人は院内感染だったこと、9人は医療従事者だったこと、重症期間中の治療、胸のレントゲン像などがわかる。

メキシコの臨床研究(JAMA2009;302:1880)では、6施設から入院899人のうち重症化した患者58人(確定29人、probable14人、suspected15人)の情報を集め、集中治療室に入ってから14日以内に19人死亡、60日以内に24人死亡(41.4%)したこと、54人が人工呼吸器を必要としたこと、患者数が多かったため集中治療室が満床となり待たざるを得なかった例が多く、救急外来で4人死亡したこと(到着から8時間以内に3人死亡、24時間以内に1人死亡)、重症期間中の治療などがわかる。6施設のうち65.6%の患者を診療した3施設では、6755人の医療従事者のうち40人(0.6%)が新型インフルエンザを発症し、そのうち重症化したのは1人だった。

これらの論文は、カナダの臨床医たちが試行錯誤を繰り返して患者情報の共通フォーマットを開発したからこそ実現できた。フォーマットに医師同士の納得と信頼を得て共通化するのは容易なことではないが、彼らはこの共同作業を世界中に広げようとしている。アメリカ、メキシコ、ヨーロッパ諸国、オーストラリア、ニュージーランド、サウジアラビア、イスラエルなどの医師たちと共同研究を進めているという。カナダの医師に限らず、アメリカ、イギリス、オーストラリア、ニュージーランド、中国、アルゼンチンなど、世界中の臨床医がこぞって発表した新型インフルエンザの臨床論文は無数にあり、今も増え続けている。

【論文の蓄積が臨床判断に直結】
こうした論文の積み重ねのおかげで、未知の疾患だった新型インフルエンザの臨床像や治療法が少しずつ分かってきた。逆に論文の蓄積がなければ、医師も神仏ではないのだから、患者を目の前にして、どう診断・治療すればよいかわからない。

歴史上、現代に生きる私たちが過去のスペイン風邪などを参考にしているように、現代の論文が、2009年のパンデミックとは何だったかを示す記録となる。人類の宝となって、今後の対策に活かされるだろう。医学情報は、論文として発表・記録しなければ、他の臨床医へ伝え患者の診療に役立てることができないし、時間とともに風化してしまう。

【極めて少ない日本からの臨床論文発表】
残念ながら、日本の臨床医から発表された臨床研究論文は、極めて少ない。日本から実用的な論文発表がほとんどなかったため、日本の診療を支えた情報は海外論文ではなかったか。

厚労省は「日本は人口当たり死亡者数が少ない」と発表したが、その出典は「各国政府・WHOホームページから厚生労働省で作成」とある。通常、各国政府・WHOが扱うのは遺伝子検査による確定診断のある死亡者数であり、これを人口で割ったものらしい。しかし、日本で遺伝子検査を積極的に行わなかったことが極めて考えやすく、それによるバイアスがかかっている可能性が高い。全死亡数のうちの遺伝子検査実施件数や割合も併記しなければ、信頼に足るデータとは言い難い。カナダでは重症例を優先的に遺伝子検査したというから、死亡者のうち確定診断のある割合が日本より高いことに不思議はないとも言える。

各国政府・WHOの発表データとは異なり、世界中の臨床医による論文の多くは、医師の臨床診断による疑い例も含めた数を扱っている。日本の臨床医から多数の論文があれば、その中でバランスをとりながら判断することもできようが、厚労省という単一の情報源しかないに等しい現状では、私たちは日本にいながら日本で何が起きているのかわからない。

特に、複数施設にまたがる臨床論文は極めて稀である。自律的な共同作業になると、必ずと言っていいほど「国が決めるべきだ」と言う医師が現れる。だが、ファウラー医師が議論してきた世界中の医師たちから、そんな発言を聞いたことはないという。「お上」に頼る姿勢は、医師としての自律を放棄してはいないか。

【厚労省も妨害してきた「医師の自律」】
一方、厚労省も、医師の自律を妨害してきた。例えば、新型インフルエンザの症例定義を決め、渡航歴にこだわるなど、単一のルールを強要した。現実に起きている多様な症例や医学的妥当性に基づく多様な議論を封じ込め、臨床医の自律的な試行錯誤を不可能にした。その結果、多様な患者ニーズに臨機応変に応えられず、診断が遅れた例もあった。

もし現場から臨床論文がもっとたくさん発表されるようになれば、非医学的・非現実的な厚労省の介入を防ぐことにもつながっていくだろう。

【「医師の自律」を実現できる現場の体制を】
医療現場から自律的に論文発表していくためには、コメディカルの増員や医師の交代制によって、医師が議論を深め研究する自由時間を持てる体制整備も必要だ。

例えばファウラー医師の勤務形態はこうだ。月に1週間、集中治療室での診療を行う。この1週間は当直でもあり、24時間x7日間、集中治療室に交代で勤務しているレジデント(通常卒後1~3年)やフェロー(通常卒後4~6年)からのコールも受ける。朝6:30から回診し、7:30-8:30 モーニングレポートでレジデント等と議論した後、集中治療室の患者を自ら診察に行く。10-13時、コメディカルも含めたチームで議論した後、カテーテル交換などの手技・処置をする。帰宅するのは20-22時頃で、夜中に呼ばれて病院に行くのは週に1~2回という。レジデントの場合、非番なら16:30-17時頃に帰宅するが、5~6日に1回の当直の夜は泊って翌朝帰宅だ。

ファウラー医師は、月に3週間は診療せず、臨床論文を書いている。診療に多く時間配分したほうが収入は多いが、ファウラー医師は臨床研究が面白いから多くしているそうだ。彼の時間配分は、8割研究、2割診療だが、収入はその逆で、8割が診療、2割が研究からだという。

臨床医を肉体労働者としてのみ扱うのではなく、臨床現場にいながら論文を書く存在であり、論文を書く時間や専門性に対してもペイされるべきという概念が、日本にも根付いてほしい。臨床論文の蓄積を日本でも実現するためには、必要なことではないか。

「医師の自律」とは、患者のために日々行っている臨床判断そのものだが、それを世界中の専門家同士が共有し、将来の専門家へ受け継いでいくために、論文に書き記す作業の積み重ねでもあるだろう。わずかながら発表されている臨床論文に、医師の自律の萌芽が見える。

 

略歴 村重直子
1998年東京大学医学部卒業。横須賀米海軍病院、ベス・イスラエル・メディカルセン
ター内科(ニューヨーク)、国立がんセンター中央病院を経て、2005年厚労省に医系
技官として入省。2008年3月から舛添前大臣の改革準備室、7月改革推進室、2009年7
月から大臣政策室。2009年10月から仙谷大臣室、2010年3月退職。

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