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Vol. 139  日本医師会会長選挙を振り返る

医療ガバナンス学会 (2010年4月20日 07:00)


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東京大学医科学研究所 先端医療社会コミュニケーションシステム
上 昌広

※今回の記事は村上龍氏が主宰する Japan Mail Media(JMM)で配信した文面を加筆修正しました。
2010年4月20日 MRIC by 医療ガバナンス学会


【日本医師会長】
4月1日、日本医師会会長選挙が行われ、茨城県医師会長の原中勝征氏が、第18代会長に選出されました。森洋一氏 (京都府医師会長)、唐澤祥人氏(前日医会長)を僅差で破っての当選でした。
多くのメディアは、このことをトップで扱いました。確かに、日医は自公政権を支えた代表的な業界団体で、政権交代後の対応に多くの国民が関心を持っていました。また、自公政権を支持してきた唐澤氏、政治とは距離を置くと言いながらも、前原大臣などの京都出身の有力議員と親しい森氏、さらに昨年の総選挙での民主党大勝利に貢献した原中氏の争いは、与野党の代理戦争の様相を呈していました。マスメディアが関心を持つのも当然です。今回は、日医会長選について解説したいと思います。

【原中会長の経歴】
まず、原中新会長の経歴から説明しましょう。今回の医師会長選挙は、彼のキャラクター抜きでは語れません。
原中氏は1966年に日大医学部を卒業した内科医です。卒業後は東大医科研の内科に勤務し、臨床・研究に従事します。この間、TNF-αの研究で世界的な業績を挙げ、米国科学アカデミー紀要(PNAS)などの一流誌に多くの論文を発表しました。このような活動が評価され、1990年には東大医科研内科助教授に昇格します。当時、東大卒以外が助教授に就任するのは極めて異例でした。しかしながら、助教授就任後、直腸癌を患い、1991年に茨城県の医療法人杏仁会大圃病院理事長・院長に転職します。詳細は分かりませんが、東大内部での学閥争いも関係したという噂です。
その後、原中氏は茨城県の地域医療に専念します。1998年に茨城県医師会理事、2004年には茨城県医師会会長に就任します。茨城県と言えば自民党王国。古くは梶山静六氏から丹羽雄哉氏、額賀福志郎氏などの大物議員を輩出しています。そして、長年にわたり自民党茨城県幹事長を務めた山口武平氏がいました。余談ですが、山口氏の先輩には小幡(菱沼)五朗氏がいます。血盟団事件で団琢磨を銃殺し、服役。その後、右翼活動を離れ、茨城県議会長になった人物です。1990年に亡くなるまで茨城県政の重鎮として活躍しました。原中氏は、このような武闘派に囲まれた環境で実力をつけていきます。
彼に転機が訪れたのは、2007年の参議院選挙です。当時、日医の理事であった原中氏は、日医推薦の武見敬三候補ではなく、郵政選挙で落選していた国民新党の自見庄三郎候補を応援し、当選させます。一方、武見候補は落選し、日医の凋落ぶりを印象づけました。この頃から、原中氏と民主党の付きあいが始まったと言われています。
さらに、2008年4月、後期高齢者医療制度が施行されると、茨城県医師会は「高齢者切り捨て」と反対の論陣を張ります。地元で署名活動を展開し、原中氏は民主党の参考人として国会に登場しました。日医幹部が野党の参考人になるなど、前代未聞です。また、後期高齢者医療制度を推進したのは、地元選出の厚労族の大物 丹羽雄哉氏ですから、自民党王国に正面から喧嘩を売ったことになります。
その後の展開は、皆さんご存じの通りです。2008年9月には茨城県医師連盟(医師会の政治組織)が民主党支持を表明。2009年6月には、茨城県医師連盟会員ら1266人が自民党を集団離党しました。このような動きは広く報道され、総選挙での民主党の地滑り的勝利に貢献しました。茨城県では7選挙区中、5選挙区で民主党が勝利し、原中氏と対峙した丹羽氏は落選し、総選挙の責任をとり山口氏は引退しました。
総選挙後、原中氏は管国家戦略担当大臣(当時)から国家戦略局入りを打診されたそうですが、断ります。そして、日本医師会会長選挙に立候補することを表明しました。

【地域住民へ訴えた原中戦略】
私は、原中氏が総選挙で果たした役割を高く評価しています。茨城県医師会は後期高齢者医療制度に反対して以来、街頭に出て、住民に医療問題を訴え続けてきました。原中氏たちの懸命な訴えが、茨城県民の投票行動に結びついた可能性は高いでしょう。
このような戦略は、従来の日医とは反対です。日医は選挙のたびに、会員・家族の票をまとめて、与党候補を応援してきました。そして、選挙が終わると、与党と交渉し、自らの要求を実現してきました。住民や患者に対する配慮が希薄で、政治力に頼る姿勢が国民の反感を買ってきました。
また、「武闘派」が揃う茨城県で自民党に反旗を翻すのは、強い覚悟が必要だったでしょう。なかなか出来ることではありません。一致団結して闘い抜いた茨城県医師会の胆力・行動力に敬意を表します。

【代議員制】
原中氏率いる茨城県医師会の実力は誰しもが認めるところです。ところが、日医会長選挙は原中氏の思惑通りには進まなかったようです。その理由は、日医会長選が代議員制で行われたためです。
日医は、郡市医師会・県医師会・日本医師会の三層構造から成り立ち、代議員の選出は都道府県医師会に委託されます。このため、日医代議員は医師会業務に長年貢献した高齢者が選ばれることが多く、代議員の合意が医師会の総意を反映しないことがあります。その典型例は、医療事故調論争や、昨年の総選挙での自民党支持です。

【代議員たちの思惑】
今回の会長選挙での代議員の関心は、1)政権との関係修復、2)自派閥の権力維持にあったと思われます。
まず、最大の目的である「政権との関係修復」を実現するには、原中氏を会長にするしか選択肢はありませんでした。もし、原中氏が敗れれば、小沢幹事長たちが、どのような報復に出るかわからないからです。確かに、会長選挙は熾烈を極めたようですが、最終的には原中氏が勝利したのは、予定調和的な側面があったように感じます。
問題は「既存グループ間の利害調整」です。これには様々な思惑が交叉しました。例えば、森陣営の多くは唐澤体制での執行部を務め、本来、両者は近い関係です。唐澤・森陣営こそが日医の主流派で、原中陣営は非主流派というほうが妥当かも知れません。このように考えれば、今回の選挙で、森氏が出馬し、唐澤氏を支持しなかったことは、主流派内での世代闘争という見方も可能です。これ以外にも、数々の代議員同士の人間関係が漏れ伝わります。

【キャビネット制の廃止】
今回の選挙の特徴は、「キャビネット制の廃止」です。キャビネット制とは会長に選出された人物が、全ての理事を決めることです。選挙への貢献度に合わせて理事ポストを配分することが出来るため、会長は絶大な権力を持ちます。
ところが、今回、このルールが撤廃され、3人の副会長、10人の常任理事も代議員による選挙で選ばれることになりました。この場合、死票は減り、権力は分散することが予想されます。会長選挙直前に、制度変更に合意するあたり、日医はしぶといです。
結果は予想通りでした。会長選こそ原中陣営が勝ったものの、副会長選挙は唐澤・森連合が候補を一本化し、二人の副会長を当選させました。残りの一つは古き日医の象徴とも言える羽生田氏が滑り込みます。
また、常任理事についても、原中陣営が独自に推薦した候補5人のうち、当選したのは2人だけでした。3人は森・唐澤陣営推薦。残りの5人中、4人は原中陣営と森・唐澤陣営が相乗りです。なかなか、わかりにくい構図です。

【国民不在の数合わせ】
選挙を通じて、全ての陣営の顔を立てたのですから、日医の調整能力は見事と言うしかありません。
しかしながら、代議員たちの振る舞いは、国民にはどのように映るでしょうか。代議員の数合わせを通じたポストの分捕り合いからは、国民が悩む医師不足や救急車たらい回しなどの問題を解決しようとする熱意は感じられません。副会長や常任理事の中に、このような問題に真剣に取り組んでいる人がいないからです。
また、原中氏は、当選後すぐに小沢幹事長との親密さを強調し、4月2日には原中氏が小沢幹事長と面談したことが報道されました。この光景は、多くの代議員たちに希望を与えたでしょう。「これで与党に戻ることができた」と。
ところが、小沢氏の関心は、医療ではなく選挙にあることは明らかです。来る参議院選挙で、日医が民主党を応援すれば、小沢氏は診療報酬を増やしてくれるでしょう。果たして、これで良いのでしょうか。これでは、国民がノーを突きつけた自公時代と何ら変わりません。

【日医は医療政策に関心があるのか】
そもそも、日医は医療政策に関心があるのだろうかと疑わしくなるいことがあります。野党時代から、民主党の医療政策をリードしてきたのは、仙谷由人・足立信也・鈴木寛氏らです。総選挙のマニフェストも、彼らが中心となって作り、政権交代後は診療報酬増額、救急・産科・外科の重点化、医師養成数増員、高額医療費の患者負担見直しなど、マニフェストを着実に実現してきました。マニフェスト評価の老舗 言論NPOが発表した「鳩山政権の100日評価」では、全分野の中で医療がもっとも高く評価されています。
ところが、一部の日医代議員は仙谷由人・足立信也・鈴木寛氏たちを「病院族」と批判し、原中氏は足立政務官の更迭を要求しています。日医は、依然として開業医の利益だけを追求しているように見えます。
皮肉なことに、民主党の「病院族」が信頼する内田健夫氏は、森・唐澤陣営が推薦する副会長候補で唯一の落選となりました。彼は、唐澤体制で常任理事を務め、バランスのとれた対応が勤務医からも信頼されていました。日医が小沢氏とのパイプを重視し、実際に医療に関心がある議員には配慮していなかったことがわかります。

【情報公開・代議員制の廃止を】
日医の置かれた状況は深刻です。そもそも、日医の使命は、現場で働く医師を支援し、国民に良質な医療を提供することです。ところが、今回の選挙を通じて、代議員と一般会員の意識が乖離しているのは明らかでした。これでは何のための業界団体かわかりません。
私は、原中氏の日医改革の第一歩は、代議員制の廃止と考えます。情報通信が発展した現在、重要課題は会員の直接投票で決めるべきです。しかしながら、代議員は権力の象徴。果たして、原中氏は代議員という権力に切り込めるでしょうか?興味をもってフォローしたいと考えています。

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