医療ガバナンス学会 (2020年2月4日 06:00)
この原稿はEPILOGI(2018年5月17日配信)からの転載です。
https://epilogi.dr-10.com/articles/2852/?fbclid=IwAR0AgzhCZVQphPbH3XS3_UnAPS3nnPok7smCajaf6pGnrzFHuLcqssZZsQc
ハンガリー国立センメルワイス大学医学部
吉田 いづみ
2020年2月4日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行 http://medg.jp
第3回で、大学病院での実習や授業の様子について紹介させていただきました。ハンガリーには4つの医学部がありますが、それらはすべて国立大学です。そのため大学病院を含む多くの病院が公立病院になるのですが、最近では私立病院も増えてきました(私立病院の運営が認められたのは1989年の民主化以降で、海外の投資家が経営しているケースが多いです)。
今回は公立と私立の病院の違いも含め、ハンガリーの医療事情や医師の立ち位置などをご紹介させていただきます。
●ハンガリーの医療制度
http://expres.umin.jp/mric/mric_2020_021-1.pdf
公立病院の病室での一枚
ハンガリーには日本のように社会保険制度があり、国民全員が租税を納めることで国が医療費を賄っています。また、日本と同様に診療報酬が一定で、都市と地方で治療費が異なるということはありません。
保険の適用範囲内の治療の場合、診察料は保険で賄われ、薬やレントゲン写真撮影などの実費のみ自己負担となり、患者さんは基本的に無料で治療を受けることができます。
公立病院だけでなく私立病院でも基本的な医療費は保険でカバーされていますが、初診料や再診料などは公立に比べて高額になっています。旧共産圏時代にも同様の皆保険制度がありましたが、実際には国民全員が医療を受けられる状況ではなかったそうです。
なお現在、以下の人たちは納税を免除されています。
・16歳以下の子ども
・赤ちゃんを持つ両親
・学生
・65歳以上の高齢者
・聖職者
・しょうがい者
ちなみに、歯科のほか、美容整形外科や美容皮膚科、リハビリテーション科などは自由診療で、保険が適用されません。とはいえ外国と比べれば高くはないので、医療観光でハンガリーを訪れる外国人も多いようです。
もう一つハンガリーの医療制度で特徴的なのが家庭医制度です。私立病院にかかる際はそのまま病院に行けば診てもらえるのですが、公立にかかる場合はまず地域の家庭医に診断してもらうことになります。クリニックだったり病院内の一科目としてなど形態はさまざまですが、家庭医は公立医療機関の勤務医になります。診断で、より専門的な治療が必要となった場合は、家庭医が紹介状を書き、公立病院の各専門科目で診療を受けることになります。
●基本無料の公立病院、一握りのお金持ちが利用する私立病院
大学病院を含む公立病院は保険制度によって無料で治療を受けられますが(一部、リハなど自由診療を設置している公立病院もあるようです)多くのデメリットが公立の医療機関にはあるといわれています。
現在、ハンガリーは深刻な医療費不足に陥っています。理由は国の財政難です。病院を建て替える財源がないため、旧共産圏時代の建物がそのままにされています。修繕費も少なく、「建物が古くて院内感染対策がされていない」「CTやMRIなどの医療機器がきちんとそろっていない」といった公立病院も多いです。また、エアコンがない病院も少なくはなく、そのせいで8月には外科手術を行わないという病院さえあります。
入院する場合はトイレットペーパーや(食べ物を考慮しなくていい場合は)飲食物を患者さん自身が持ち込まなければなりません。また、待ち時間もとても長く、予約をしても診察が2カ月先となることもあるそうです。
もっと多くの国費を医療に充ててほしいと言うことはできますが、教育費などを減らすわけにはいかないのでそれも難しいようです。日本のように患者の3割負担にすればいいのに、と個人的には考えてしまいます。
http://expres.umin.jp/mric/mric_2020_021-2.pdf
公立病院の待合スペース
http://expres.umin.jp/mric/mric_2020_021-3.pdf
公立病院の病室
公立病院に対して私立病院は建物も綺麗で設備も整っています。医師の質は公立病院も私立病院も変わりませんが、手術室にエアコンがなかったり、ICUのドアが木だったり、消毒費や清掃費用にも事欠く公立病院に比べ、提供される医療の質が高いといえます。
ただし、設備が整っている分、私立の病院にかかると、たとえ保険適用内で治療費が無料だったとしても、施設費や手当代を料金としてとられることになります。これらの料金は病院の言い値であるため、とても高価になってきます。そんな私立病院に行くのはハンガリーに駐在している外国人か、一握りのお金持ちくらいだそうです。また、ハンガリーのお年寄りの中には「外国が運営しているから」という理由で私立病院に行きたがらない方もいます。
なお一部の例外を除き、前述の美容やリハなどの自由診療は基本的に私立病院でのみ行われているようですが、やはり高額なため、お金持ちや外国人しか利用しないそうです。
また、先進医療を要するような大病を患う患者さんについては、EU内の他国に送られることになっています。これは、EU内ではいくつかの国が一つの地域に珍しい病気や難しい病気を集めて治療する仕組みがあるためです。例えば神経内分泌腫瘍の場合、ハンガリー、オーストリア、東スイスであればスイスにある専門の病院に患者さんを送り、そこで手術や治療を行うことになっています。そのため、その際の治療費がハンガリーの保険制度で賄われるかは分からないのですが、交通費や家族の現地滞在費は実費と聞くので、それだけでも大きな額になるはずです。とはいえ、大きな症例は基本的に国立の大学病院に集まるため、私立病院でも対応可能ではあるものの、あまり先進医療を行うケースはないかもしれません。
http://expres.umin.jp/mric/mric_2020_021-4.pdf
私立病院の待合スペース(引用元:http://medicoverkorhaz.hu/galeria/)
http://expres.umin.jp/mric/mric_2020_021-5.pdf
私立病院の病室(引用元:http://medicoverkorhaz.hu/galeria/)
●ハンガリーでのお医者さんの働き方
日本の医師ほどではないかもしれませんが、ハンガリーの医師もいわゆる「過重労働」といわれています。私の知っている医師は、1週間の労働時間が60時間、それに加えて夜勤が2回程度あります。さらに月に4~5回はオンコールがあるそうです。
日本との違いは「低賃金」であること。例えば卒後1年目の公立病院勤務の医師の月給は、1週間に夜勤1,2回を含めて60時間程度働いても6.5万円程度です。ハンガリーの全労働者の平均収入が手取りで8万円ほどなので、これがいかに低い額なのかが分かると思います。成績や技量が良くても最大で13万円程度しかもらえないため、多くの医師は患者からのチップで生計を立てています。例を挙げると、産科医はエコー検査などの1回の診療で1万円、1回の出産で4.5万円もチップがもらえます。もちろんこれは違法ですが、7-8割の医師がチップを受け取っており、チップを払わない患者さんは診察を断られたり、汚い病室に入院させられたりすることもあります。医師がもらえるチップの額に限っていえば、公立病院の方がすごいかもしれません。
もちろん、数は少ないですがチップを受け取らない正統派の医師もいます。彼らは生計を立てるために救急車に乗ったり、夜勤を増やしたり、私立病院でアルバイトをしたりしています。私立病院で働く医師の給料は公立病院の3倍といわれていますが、私立病院に就職するためには最低でも5年の勤務経験が必要です(※)。そのため、ハンガリーでお医者さんはお金を持っていないイメージがあるようで、「モテる職業」ではないそうです。それに対し、歯科医や弁護士が「お金持ち」「モテる職業」だそう。歯医者さんは病院と違って保険が適用されないので、その分稼ぎも良いのだと思います。
一方で、熱い想いをもって公立病院に残る医師もいます。私立病院は綺麗で給料も高いですが、公立病院の方が学べる症例が多いのです。
ちなみに、ハンガリーには日本のような研修医制度はなく、医学部の5,6年が研修期間のような役割を持っています。卒後2,3年間レジデンシーとして働く人も多いですが、日本とは違い必須ではなく、卒業したら国家試験を受けて、自分が決めた専門に強い病院を選んでキャリアを積んでいくことになります。そのため、働きたい病院に就職できなかった場合、その病院で単位が取れる大学院に進学し、研究や臨床経験を積みながら専門医の道を目指したり、1年間夜勤や救急のアルバイトをしながら浪人したりする人も多いそうです。先述した家庭医も専門の一つです。また、転職する場合は症例数などの実績や教授による推薦状がとても大事になります。
※公立病院で5年間勤務する以外にも、海外の病院で勤務した人、公立病院の大学院に進学して勉強した人、私立病院と個人的なコネクションを持っていた人などが私立病院に就職できます。私立病院への就職はその病院次第の部分もあり、裏口就職もよくあるようです。
●海外に出て行くお医者さん
ハンガリーの医師は先述のような過酷な労働環境や低賃金などの理由から、母国を出てイギリスやドイツで働く人が多いです。卒後すぐに海外に渡る人、数年経験を積んでから渡る人などさまざまですが、「月の3週間はハンガリーで働き、1週間は海外で働く」という医師も多くいます。これには「母国から離れることはできないが、生計を立てるために短期間海外で働かなければならない」という事情があるようです。お金を稼ぐことも大きな目的ではありますが、いろんな土地で働くことによって医療事情や街の情勢、住民の雰囲気などを知ることができ、勉強にもなるそうです。
●ハンガリーの医療事情から見えた「医師の本質」
給料も低くキツいといわれるハンガリーの医師ですが、そんな状況でも彼らが医師を目指したのは「患者さんを助けたい」「人を救いたい」という熱い想いがあったから。彼らからは、医師としての本質が学べるような気がします。