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Vol.045 1955-2020(4)

医療ガバナンス学会 (2020年3月6日 06:00)


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永井雅巳

2020年3月6日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp

毎年センター入試の日はそれまでの暖冬とうって変わって冷え込み、関東以西でもよく雪が舞った記憶があるが、今年も初日は凛として冷え込んだ。ところで、このセンター入試は今年で最後となり、来年からは大学入学共通テストと名を変え、「知識・技能」だけでなく、大学入学段階で求められる「思考力・判断力・表現力」を一層重視するという考えだそうだが、直前の文部科学大臣の舌禍や準備の不手際もあり世間には行く末不安がのこる。ただ、門外漢の私には、受験当事者には申し訳ないが、かつての国公立大学共通第1次学力試験が大学共通第一次学力試験と改められ、さらにセンター試験となり、大学入学共通テストと名称がクルクル変わっても、どこがどう変わったのか良くわからない。その結果がどうなったのかという検証も知らない。かつて大きな批判を浴び短期間で方針転換を余儀なくされた“ゆとり教育”もそれまでのつめこみ型教育から「思考力・判断力・表現力を養う」に似たような目標を掲げていたような気がするが、所詮、どう名称を変えてみたところで、この国の「より賢い子育て」という教育文化、国民の価値観を改めるのは難しそうだ。

日本の少子化について、インタビュー(世界の未来:朝日新書)にて「もっと、社会の秩序を緩くして、子供をつくる。お行儀が悪くなることをよしとしなければなりません。フランスでは子供の多数が婚外子です。若い人たちは深く考えずに子供をつくることができます。」といったエマニュエル・トッドの意見には賛否両論あろうが、彼の教育に対する考えは慧眼である。論旨の根幹は“高等教育が社会の階層化を進めて民主主義を損ねている”という指摘だ。高等教育は必要だが、それが進むと、高等教育を受けた人でも選別が進み、人々は平等ではないという潜在意識をもたらす社会に移るという先人マイケル・ヤングの考えに基づく。さらにE.トッドは、今や高等教育といわれるものが、知性や創造性を発展させる教育ではなくなり、幼稚化し、体制順応主義、服従などを促すだけのものになっており、最もよい教育を受けた人たちが、どんどん知性的でなくなっていると指摘する。
高等教育期間が次第に長くなり、その中で体制に順応できる人を選別するだけの仕組みとなっているとも言う。然り、この国でも高等教育のトップから官僚になった人が考える仕組みであれば、どちらにせよ、現在の規範にいかに適応できる人を選別する仕組み(テスト)を考えるから、呼び方は変わっても中身はそう変わらないわけだ。この国では、より適応した人たちだけで一部の社会を作り、その中で適応者した人のためのルールをつくり、適応できなかった人達との間に階層を作ってきた。

問題は歴然とした学歴選抜による階層社会となっても、まだこの国の人の多くは、自らの子供は、選別された側に入ることに躍起となって、他の価値観を認めなくなっている事ではないだろうか。現宰相を取り巻く文科省関連の事案でも、(どうでも良いが)桜の事案でも、トップの高等教育を受け、官僚のトップに立った人たちが(国民ではなく)権威筋を守ることを規範としたのである。これがこの国の規範であると。この国以上の学歴社会といわれる隣国でも、権力者が体制の腐敗を指摘する司法・検察当局者を一斉に排除し、権力者に反対を唱えない官僚を要職におくことによって、権力を維持しようとしているらしい。隣国の行為は愚行とよべるが、この国の中では、それが規範と言われれば、正邪が見えなくなってしまう。

多くの人は、誰もが優しく、困った人がいたら助けることを厭わず、ふるさとやこの国を愛し、お年寄りを敬い・・、そんな人々が形成する社会になったら良いなと考えるだろう。ただ、自分の子供は別だ。優しさや謙虚さなどより、この国で生きてゆくためには、人より優秀な成績を取り、人より良い学校に入り、格差の向こう側の選別された側をめざす。間違ってはいけない、子供やその親がそう考えているのではない。この国の社会がそういう方向性や尺度を示しているのである。すべての価値観をより学校教育での優秀さを是とする社会を作ってきたのである。そして、この国の階層社会もまた高等教育が作っていると言ってよい。

今、世界では多くの場所で、香港で、台湾で、南米で、ロシアで、アメリカでも民衆が、民衆の考えを権力側に届けるために主張(デモ)している。もちろん、筆者は暴力テロリズムを肯定するものではないし、かつての労働組合や日教組に与する立場ではないが、今、この国に根差す多くの問題(地域格差、経済格差、世代格差、環境問題、食糧問題、そして教育文化)があるにも関わらず、一般国民が声をあげなくなっているのは、健全でない気がするし、また私自身そういう教育を受けてきたことに何となく後ろめたさを感じる。今、権力者や大人は、自分たちは逃げ切れると考え、問題を先送りし続けているのではないか。

幕末の長州の英傑たちはこの国の行く末を案じ、日がな一日考えつくし(私のようにテレビやメディアに囚われて“自分で考えること”を忘れることなく)、当時の体制を不健全と考え、ルソーの社会契約論を読み、未来に希望を創るために行動した。一方、マルクス・レーニンを読んだ戦後の学生たちが起こした活動は、残念ながら、その手法により多くの国民の共感を得ることができず、結局、現在に至る体制迎合主義の引き金を引く形となり、また多くの当事者がその中に身を委ね、この国の教育文化を創ってきた、(と言っては失礼か)。

2040年にむけて、どういう人創りをしていくかは、今、この国で最も大切なことである。

都会で地下鉄に乗れば、子供から高齢者までスマートフォンで検索エンジンを動かしながら、隣の人がどうなのかは関心もない。核家族化した家庭にはお年寄りはおらず、自分たちが支えることになるという高齢者と口をきいたことも会ったこともない子供たちが増えつつある。この中で、高齢化率が36.8%となるこの国を本当に支えていくことができるのか不安になる。それは、単に経済の問題ではない。もっと大切なモノのような気がする。義務教育課程で1人に1台PCを付与するといった施策を否定するつもりはないが、例えば、小学校では週1回1時間高齢者施設でお年寄りと一緒に遊ぶ。中学校では週1回1時間地域の一次産業(農林水産業)に体験的にかかわる。高校では週1回3時間介護実習を義務付けるといったカリキュラムはいかがだろうか。その後の高等教育は今ほどの数は必要ないかもしれない。その結果、PISAのランキングがたとえ落ちたとしても、国の人創りとして何ら問題ではないように思えるが・・。
政府だけの問題ではない、この国の文化が“Out-put として、国民みんな同じ方向を是とするのではなく、子供一人一人が持つ個性(優しさ)をレスペクトし、伸ばすような社会をつくることは難しいのだろうか・・。

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