医療ガバナンス学会 (2020年3月31日 06:00)
千葉大学医学部
原田夏與
2020年3月31日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行 http://medg.jp
私が医師を志したのは、理科が好きだったことがきっかけだ。小さい頃、自分が不思議に思うことを納得できるまでとことん調べた。雲はどうやってできるのか、鏡の水滴に映る自分の姿がなぜ逆さまなのか、食べ物が体の中に入ってから出ていくまで何が起きてるのか自分で調べ、考えて、身の回りの謎が解けていくが楽しく、気付けば理科が好きになっていた。研究者になることも考えたが、私は人と接することも好きだった。その2つを両立できる医師という職業なら、少しでも人の役に立てるかもしれない思い、医療の道に進むことを決めた。
私が常々感じているのは、人を診る医師になりたいということだ。今、医療は専門性が増し、呼吸器・循環器・消化器など、縦割りが進んでいる。その専門性の高さを考えた際、このように細分化が進むことはやむを得ないかもしれない。ただ、大学病院で実習に参加していると、患者さんではなくただ病気のみを診ているように感じることがしばしばある。例えば、代謝内科に糖尿病と高脂血症を抱えた患者さんの診療を依頼したところ、その2つを担当する医師が異なるからと、同じ患者にもかかわらず、2回に分けて受診するように指示を受けたことがあった。ただ、複数疾患を併せ持つ患者は珍しくない。一人の患者さんを、疾患ごとに分けて事細かに診察していくことも重要だが、そのような細分化が過ぎてしまうと、本来1人の人間である患者さんを、全体として診る医師がいるのか不安に感じてしまうのだ。
もちろん、それは大学病院で働く医療者の特性というよりは、大学病院という医療機関に特有の現象なのだろうということは理解している。だから、私自身は、大学病院よりも、もう少し患者さんと近い位置で診療に関われる様な医療機関で働くことができればと考えている。また、将来的に専門分野を決めた際にも、患者さんを診察した上で、自分で患者さんを診療できるのか、専門の医師に依頼した方がいいのか、その線引きができるくらいには、専門の領域にとらわれない知識と技術を身につけたい。また同時に、自分の診療の幅を広げられるように常に勉強を続けたいと思っている。
そして、目の前の患者の話にしっかり耳を傾けて、その考え方や患者さんの背景などにも気を配り、常に、その方にとっての最善を考えられるような医師になりたい。というのも、私自身、忙しそうに診察をしている医師を見ると、遠慮してしまって自分の伝えたいことを最後まで言うことができず、もどかしい思いをした経験があるからだ。その際にも、実際の病気や怪我のことばかりを質問責めにするのではなく、たとえば日常会話を交えながら診療するなどして、少しでも患者の安心感につなげられるような努力をしたいと思う。そして、患者さんが「ちょっとした質問でも先生に尋ねてみよう」と思えるような、身近で話しやすい存在を目指したい。
同時に、研究活動にも従事することができればと考えている。先ほど説明したように、私自身は幼いころ研究者になることを志していた。それもあり、目の前の患者さんの診療を優先しながらも、できる範囲で研究活動に従事したり、仲間や上司の研究を手伝いたいと考えている。私一人では微力かもしれないが、この様な活動を続けることで、少しでも社会のために貢献できればと思う。
これまで話してきた様に、私の理想は、人を診ること、そして臨床と研究を両立することだ。これをどのように実現するか、医学部に入った頃は具体的なイメージは沸いていなかった。そのような私にヒントを与えてくれたのが医療ガバナンス研究所の上昌広先生との出会いだ。上先生は、「臨床医の仕事は、患者を診て、その結果を論文にまとめることだ」と常々口にされており、私の持っていた医師像を良い意味で壊してくれた。実際、医療ガバナンス研究所に出入りしている医療者は日々の臨床と研究を両立している方々が多かった。
その1人が尾崎章彦医師だ。尾崎医師は、現在10年目の乳腺外科医であり、初期研修を終えてから一貫して福島県で仕事をしている。尾崎医師には、以前論文執筆のお手伝いをしたことがきっかけとなり、現在に至るまで指導を受けている。現在は、福島県いわき市のときわ会常磐病院に勤務しながら、震災後の健康被害の調査などを続けている。そんな中、昨年の12月、私は常磐病院の見学に伺う機会をいただいた。
常磐病院は、2010年にときわ会が市立常磐病院を継承したことを始まりとする。スタッフの確保に追われる中、2011年3月11日に東日本大震災に直面した。ときわ会は元々透析クリニックを背景として発展した経緯があり、当時から多くの透析患者を抱えていた。地震の影響で透析の提供が困難になった際に、上昌広医師やその協力者が中心となって、亀田総合病院で数百人の透析患者を受け入れる体制を整えたのだそうだ。そのことがきっかけとなり、医療ガバナンス研究所との関係が続いている。
常磐病院が位置するいわき市は元々医師不足に悩まされてきた地域だ。平成28年のデータで、いわき市は人口10万人あたりの医師数が161.2人であり、全国平均の240.1人にも、福島県平均の195.7人にも及ばない。いわき市の人口は約34万人であり、東北では宮城県仙台市に次ぐ大都市である。全国的には人口減少が懸念される中、いわき市は近年人口が増加した。県内の原発避難者や原発作業員が流入したためだ。医師不足に人口増加が重なって、いわき市は全国でも指折りの医師不足を経験している。常磐病院も例外ではなく、その医師数は20人にとどまっている。初期研修制度は、医師不足解消の一助としての狙いがあるという。それを知って、自分にできることがあるならという思いも確かにある。しかし、それ以上に、ぜひこの病院で医師としての力を磨き、経験を積みたいという気持ちが膨らんだ。現場で活躍する医師の姿を見たからだ。
常磐病院の乳腺外科医である尾崎医師は、2年前からいわき市で診療に携わるようになった。当時、常磐病院においては外科の江尻医師が中心となって乳がん患者の診療に従事していたが、乳腺外科の標榜はしておらず、尾崎医師が中心となって一から作ったという。専門は乳腺外科だが、2018年の前半に南相馬市内の大町病院の医師不足に応援に入った際には内科医として勤務し、今でも週1回は内科医として勤務しているという。私が常磐病院において外来を見学した際に、患者さんがその人柄を慕って、「先生が来てくれて本当によかった。なんでも話せる。」と言っていた姿がとても印象的だった。診療科にとらわれず、患者の身近な存在として医療を提供する尾崎医師の姿を見て、人を診るとはこういうことだと感じた。
そして、尾崎医師は、忙しい診療の合間をぬって、浜通りで勤務を続ける他の若手医師と共に、震災後の地域の健康問題などについて調査を続けてきた。災害の後、地域で診療を長期的に続けながら、その健康影響について長期的にまとめる様な取り組みをしているグループは他にないのではないかと思う。そのような経緯もあり、2015年に自身の被害に遭ったネパールなどをはじめ、各国との共同研究も進んでいるという。また、尾崎医師は、製薬会社と医師の間の製薬マネーのようなタブー視されている領域についても果敢に調査を行なっているのだが、この件においても、イギリスのバース大学との研究も進めることとなったという。ニッチ領域かもしれないが、意義のある研究活動を続けることで、世界と繋がるチャンスはできるのだと知った。そして、このような活動が、本当の意味でのグローバル化なのだと実感した。
このように、地域で人を診ながら、臨床と研究を両立し、様々な活動をしている医師の姿を見て、医師の見習い期間である初期研修を、ぜひこの病院で行いたいと思った。地域の方々に貢献するために積極的に新しいものを取り入れて、変化を厭わない常磐病院という環境は、自分が大きく成長できる場であると強く感じたからである。新しいことに挑戦するチャンスがたくさんあり、そのサポート体制も整いつつあるように見受けられる。しかし、常磐病院にはまだ初期研修の制度がなく、今まさに初期研修医の受け入れ体制を作るべく、準備をしている段階だ。私が初期研修医として働き始めるのは早くて2年後、2022年の春からだ。それまでにぜひ間に合うようにと願っている。