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Vol.074 ポスト・コロナ社会への展望~分断ではなく共生の思想を~

医療ガバナンス学会 (2020年4月15日 06:00)


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この原稿は星槎ジャーナルからの転載です。

https://gred.seisa.ac.jp/other1/journal/

星槎大学副学長・教授
細田満和子

2020年4月15日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp

◆新型コロナウイルス禍の社会的側面
新型コロナウイルス感染症(COVID-19)による被害は各国に及び、感染者数や死亡者数の増加が世界地図と共に示されている。そしてこの影響は、病気の予防や発症や治療といった医療的側面だけでなく、社会的な側面にも及んでいる。
例えば、感染予防を意図する社会的隔離のための在宅ワークや休校などの措置により、自宅生活を余儀なくされる状況の中で、家庭内暴力(DV)や児童虐待が懸念される状況になっている(1)。また、経済活動の縮小・停止で雇い止めがおきたり、休校中にも塾や予備校やオンラインで学習継続できる子とできない子がいたりして、社会格差や教育格差の拡大が懸念されている。
こうしたことは、従来からの様々な社会問題の顕在化と理解されるが、本稿では、新型コロナウイルス感染症に関係する差別・分断の状況を見据えつつ、ポスト・コロナ社会への期待を込めた展望について述べてみたい。

◆差別の対象となってしまう患者
各地で、感染者に対する差別的な発言や態度が生じていることが報告されている。感染者に対して、誹謗中傷するような言葉がかけられたり、治癒した後も冷たい視線が向けられたりするという。また、学生の集団感染が発生した大学では、抗議や誹謗中傷する内容の電話やメールが相次いで寄せられ、中には「大学に火をつける」などという脅迫的なものもあるという。本来、患者は苦しい状態にあるので、回復のために身体的にも心理的にも援助されるべき存在であるが、批判や差別の対象となってしまっているのである。
このような状況は、心理学のウイリアム・ライアンが犠牲者非難(Victim Blaming)(2)と定義づけたものと捉えられる。犠牲者非難とは、犯罪による被害者や何らかの不幸な目にあった人に対して、本人にもその原因があり自業自得だと非難する一種のイデオロギーのことである。この犠牲者非難は、病者や障がい者に対しても向けられ、身体的苦痛にさらに追い打ちをかける社会的制裁を受けることになる。
犠牲者非難の対象となる新型コロナウイルス感染者には、社会学のアーヴィン・ゴッフマンがスティグマ(Stigma)といった、負の烙印づけがなされていることも指摘されよう(3)。スティグマは、人に知られると恥ずかしかったり信用を無くしたりする属性のことである。上記のような犠牲者非難があることを感染者は知っているので、スティグマというべき負のアイデンティティを持つことになる。そしてスティグマによる差別を恐れて、具合が悪くても言い出せずに病状を隠して行動し、感染を広げてしまうこともある。こうしたケースは、これまでも多くの伝染病において見られている。

◆差別偏見は周囲にも及ぶ
こうした差別は、感染者本人だけでなく感染者を治療する医療者、療養を助ける者、家族などにも及んでいる。例えば感染者が入院する病院に勤務している者が、冷たい目を向けられたり、暴言に晒されたり、「バイ菌」扱いされたりするという報道が相次いでいる。また、病院職員の家族さえも、職場から出勤を禁止すると言われたり、病院の受診を断られたり、子どもだったらいじめられたりしているという。さらに、職員の子どもを保育園が預かってくれなかったり、預かってくれたとしても保育園内で一人隔離されたりすることもある。
このように、感染者の近くにいる人々が差別される傾向は日本国内にとどまらない。それどころか、最初の感染者が出たのが中国だったので、アメリカやヨーロッパの国々では、アジア系の外見の人々が、「コロナ」と言われたり、避けられたり、暴言を吐かれたりし、中には暴力を受けたケースもあった。多くの国で封じ込めのために国境封鎖を進められているが、これもグローバル世界の分断として懸念が表明されている。
感染症に関わる差別や分断が、このように目に見えて生じてくることの根底には、それを醸成する潜在的な差別の存在が指摘される。今回の新型コロナウイルス禍は、そうした人種的・民族的な偏見を浮き彫りにした。しかし、これは、もしかしたら私たちが持つ内なる差別に気づき、解消へと向かって取り組みを始めようとする機会になるかもしれない。

◆グローバル・シチズンシップ(世界市民)に拓かれる可能性
このような世界的な危機だからこそ、共に苦しみを分かち合う世界への関心が芽生えることもある。感染拡大を防ぐため、各国では社会的距離をとること(Social Distancing)が図られている。国民に自主的行動を促す国もあれば、罰則を伴う強制をしている国もあり、要請の度合いは異なるが、スラムや難民キャンプなど、場所によっては隔離状況(quarantine)をつくることが難しいケースもある。
例えば、アフリカで最大のスラム街と言われるケニアの首都ナイロビにあるキベラ地区では、密集した生活空間を変えることが難しいうえに、日々働いていかないと暮らしが成り立たない。また、バングラディシュのコックス・バザールに位置するロヒンギャ難民キャンプでも、人々は感染の危機にあるだけでなく未来への希望を奪われている。最も弱い人々が、最も安全を守れないこの状況に、今こそ世界の人々は思いを馳せることができるのではないだろうか。
公共哲学のマイケル・サンデルは、東日本大震災の直後2011年5月に、ハーバード大学で開かれたシンポジウムで、次のようなことを語った。すなわち、この震災は大きな悲劇ではあるが、これを機会に世界は悲しみを共有し、共に復興に向けて歩もうとするグローバル・エンゲージメント(世界的関わり)が実現し、人々はグローバル・シチズンシップへと拓かれると(4)。この未来予測が現実のものとなっていることは、その後の被災地の諸活動を見れば明らかである。新型コロナウイルス禍もまた、世界の中でも最も厳しい境遇にある人々に、国際社会が思いを寄せる契機になるのではないだろうか。

◆グローバルな信頼に基づく共生社会
『サピエンス』や『ホモ・デウス』の著者である歴史学者・哲学者のユヴァル・ノア・ハラリは、TIME誌に「人類はコロナウイルスといかに闘うべきか――今こそグローバルな信頼と団結を」と題する記事を寄稿した(5)。この中で彼は、国境を封鎖するのではなく、世界規模で保健医療を充実させてゆくことが、パンデミックから人々を守る最善の方法であることを記した。
新型コロナウイルスは、「人類にとっての挑戦」と言われている。私たちはこの危機的状況において、感染者やその周囲の人々を差別して社会的に排除したり、自国だけが救済されることに拘泥したりすることに、厳しい目を向けてゆくだろう。そして互いに助け合い、協働して対応策を練り取り組んでいくだろう。ポスト・コロナの時代が、人と人とが信頼し合い、危機的状況を乗り越えたインクルーシブな共生社会であることを心から願っている。

<註>
(1) Selvaratnam, Tanya, Where Can Domestic Violence Victims Turn
During Covid-19? New York Times, March, 23th, 2020 (2020年4月5日閲覧)

https://www.nytimes.com/2020/03/23/opinion/covid-domestic-violence.html

(2) Ryan, William, Blaming the Victim, Pantheon Books, 1971.

(3) Goffman, Erving, Stigma: Notes on the Management of Spoiled
Identity, Prentice-Hall, 1963.= アーヴィング・ゴッフマン, スティグマの社会学 :
烙印を押されたアイデンティティ, 石黒毅訳, せりか書房, 2001.

(4) 細田満和子, パブリック・ヘルス 市民が変える医療社会, 明石書店, 2012.

(5)ユヴァル・ノア・ハラリ, 人類はコロナウイルスといかに闘うべきか――今こそグローバルな信頼と団結を, (原文:In the
Battle Against Coronavirus, Humanity Lacks Leadership, TIME, March,
15th, 2020)、柴田裕之訳、Web河出(2020年4月5日閲覧)

http://web.kawade.co.jp/bungei/3455/

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